僕の好きなクリエーター053-マーク・ロスコ
マーク・ロスコと禅
僕がマークロスコの作品と初めて出会ったのはホテルのロビーの壁に置かれている絵画であった。
もちろんそれは模写 あるいはポスターの類だったと思うけど、なぜか気になってじっと見つめていた。
僕だけの感じ方かもしれないけどこの絵は禅と関係があると思ったのだ。心が平たくなる感じがしたからだ。
おまえは何かというとすぐ禅だな!っていう声が聞こえてきそうだけど、なぜだかかそう思うのだ。
円相
僕がまずは思ったのは、禅でいう円相みたいな感じだなと思ったのだ。この円相は何かというと、みる人によっても違うのだか、ウイキペディアによると次のように解説されている。
芸術的価値
この人の作品について色々文句を言う人がいて、誰でも描けるとか、なんでこの絵が50億もするんだよとか。
この芸術的価値について解説すると。僕は元々基本的に美術品というのは、価値が無いものだと思っている。芸術家は描きたいから描いているだけで、売れなきゃならないとか、売るための絵を書き出した途端にその芸術的価値は終わる。
レオナルドダビンチの絵がどれほど高価な絵であろうが、僕の欲しい絵ではない。そりゃあくれるというならもらって、すぐさま売ってしまいますがね? つまりその場合僕はモナリザの絵が欲しいのではなく、お金が欲しいだけって話になる。
このように本当の絵のコレクターっていうのはその絵が気にいっているから欲しいわけで、例えば1枚の絵を100万円で買ったとして、他の誰かが300万で売ってくれと言って来ても 売らないものなのだ。 つまり、絵のコレクターは金が欲しいわけじゃなくその絵が好きだから欲しいわけだ。
しかし、世の中には絵を投資の対象として見ている人がいて、オークションをかける時に色々な戦略を作って、売ったりするわけだ。 芸術家に500万で買い取って1億で売るということもざらにある話だ。
マークロスコ。この絵を見た人は涙を流す。と言ったり。価値が上がるような絵の理屈を解説してオークションに出す。
だが、その素晴らしさというのはでっち上げと言ってもいいくらいの話だ。
芸術に金銭的な価値があるかどうかは、買う人がいるかどうか。であって、芸術本来には何の価値も無いというのが僕の考え。
投資で絵画を買う人はその絵がさらに高く売れることを期待して買うわけだ。
つまり現代美術はゴミになるか、誰かの投資の対象になっていく。というわけ。
誰でも描けると批判する人は デュシャンの泉に対しても同じ批判をする必要があるだろう。なにせ泉という作品は、便器にサインしただけのモノ。 しかも本物は捨てられてしまっているのだから。
僕のとってのマーク・ロスコの価値
話をマーク・ロスコに戻すと 僕がロスコの絵をみて立ち止まって見た理由は 禅だ。と思ったからなのだ。心が沈澱していく気持ちになった。 瞑想する媒体。僕にとってのロフコの絵はそういう価値 だったのだ
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