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定年クライシスのおじさまたちへ

1989年の大納会につけた日経平均の最高値を、この2月22日に34年ぶりに更新した。この30年間は「失われた30年」と言われていて、日本全体がデフレに喘いでいた。ロスジェネ世代は景気が良い時代を経験したことがなく、景気が良いということがわからないのかもしれない。

かくいう私は、バブルの絶頂期の1990年に大学を卒業し、何の苦労もない就活を経てゼネコンに入社した。当時の大卒初任給は18万円だった。最近まで、ほとんど変わっていない。地方の中小企業だと、大卒に18万円も払えないところはたくさんあるだろう。会社に入って年次が高くなってもほとんど給与が上がらず、結婚して子供がいて、家と車のローンを払っている部長よりも、独身の若者の方が可処分所得がずっと多いなんてこともあるだろう。


私は途中で脱サラ(今は起業というのか?)をして、定年はなくなったが、同期の皆さんは、そこそこ良い会社や組織に就職して、そろそろ定年も視野に入ってきた頃である。役職定年を経験している者もいるだろう。そろそろ長く勤めた会社を去るか、平社員として居座るかの選択を迫られることになる。居座ったとしても、せいぜい65歳まで、運が良ければ70歳までだろう。

34年間という年月は世の中を大きく変えてしまった。なんと言っても、超高齢化社会になってしまった。そして自らが高齢者に属することになる。年金は65歳から受給することができるが、そこから死ぬまで、残りの人生は長い。もしかしたら30年ぐらいあるかもしれない。

これからの長い時間は、体力や知力が低下しつづけ、外観は醜く枯れていく。もちろん、そんな状況でも美しく、輝きを保てる人もあるかもしれないが、大学を出たばかりの若い頃には遠く及ばない。長年、仕事一筋で培った経験も今になっては役に立つのかどうなのか。

一発奮起して、起業もありかと思うが、体力や気力が低下し、集中力も意欲も低下していくなかで、はじめての起業なんて到底無理だろう。大人しく、まだローンの残っている自宅で大人しくしていた方が良い。支出を極力抑え、将来、老健施設に入る費用を残して、資産を少しづつ切り崩すのだ。


そんな悲観的な人生を考えてしまわざるを得ない人は多いだろう。あまりに悲観して、宇つ病を発症しそうになる。私の友人でもそういう人は結構いる。

自分の親の世代は、好景気に後押しされ給与なんかはグングン上がり、定年後も十分な年金をもらって悠々自適な暮らしを見ているから、なおさら、今の時代、政府を恨んでしまうこともあるだろう。

いや、そんなにネガティブになることはない。
もっと、自由に気ままに生きて、ダメになったら現場に出て仕事をすればいいじゃないか。世の中は人手不足だ。身体が元気ならば、仕事はあるだろう。仕事で身体を動かしていれば健康になれるし、仕事中は、これからの人生についてくよくよ悩む暇はない。仕事の後のビールも美味いだろう。


大禍なくサラリーマン生活を40年間もこなしてきた人は、与えられた現状から「一歩踏み出す」ことがすごく苦手で、自ら、自分の立ち位置を変えたことがない人がほとんどだろう。長いサラリーマン生活で自分で価値を作ることができず、全て会社のルールや誰かが決めた価値観に従ってきた。今さら、自分で何かを考えて、一歩、踏み出すなんて不安でできるわけがない。

確かに、一歩、踏み出すことは勇気がいるし、おそらく、今より不安定な状況に陥るかもしれない。でも、とにかく一歩を踏み出さないことには、何も変えることができない。厳しい状況に陥るかもしれないが、解決しようと努力することができる。

今の若い人は、コスパだタイパだと、効率性を求めるから、汚れ仕事なんて、まっぴらゴメンだというだろう。でも、今、成功している人の多くは、極めて、タイパやコスパの悪いことをやった経験がある人なんだ。

本当は定年後じゃなく、もっと若い頃に経験していればよかっただろうけど、これからでも遅くはない。

一歩、踏み出そうじゃないか。きっと、何とかなる。

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