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【ショートホラー】まわる。

その日、俺はひどく疲れていた。
外回りに出た途端豪雨に見舞われたり、取引先に理不尽に怒鳴られたり、本当に散々だった。マンション3階の自室に帰宅したのは、午後11時を過ぎたあたり。明日は休みだが、もう酒を飲む気力すらなかった。
スマートフォンを見て、仕事関係の連絡が入っていないことに安堵した。転職を真面目に考えよう。激務で心は疲れ切っている。
午前0時を回ろうとしたあたりで、好きなアイドルの新曲が明日から配信になることを思い出した。もうすぐ0時だし、配信買ってから寝よう。そう思ってスマホを操作する。
突然、スマホの画面が暗転する。さまざまな操作をしても暗転したまま。故障か、本当についてない。暗転した画面を覗き込む。疲れ切った自分の顔が映っている。目の下にはパンダと見紛うほどのクマ。ほうれい線、そばかす。げんなりしてしまう。

暗転した画面の自分と目が合った。だが、目が合ったのは一瞬で、画面の俺の目は、くるくると回っていた。目の疲れをとる体操をしているみたいに。勿論、俺はそんなことはしていないし、そんなことをしているのなら、スマホの画面は見れない。
くるくる、くるくる。上、右、下、左。画面の俺の目はくるくる回り続けている。くるくる、くるくる。だんだんと回転が速くなっていく。
やばい、これはやばい奴だ。目を逸らそうとしても、スマホを手放そうとしても、なぜだか出来なかった。疲れているんだ、幻覚だ。俺はそう言い聞かせ続けた。

目の回転がだんだんとゆっくりになる。
回転が止まった。俺から見て右側を見るようにして目は止まっている。
右側には窓がある。開いていないはずの窓のカーテンが、ふわっと揺れているのがわかった。
これは、見てはいけない。なぜだか俺はそう感じた。カーテンの揺れが視界の端で大きくなっていく。窓がぴきっ、ぴきっと音を立てた。
だめだ、見るな。見るな。幻覚だ、幻だ、悪い夢だ、見るな!
叫びだしそうなほど怖いのに、声も出なければ、震えることすらなかった。画面の俺の目は、まだ右を見ている。
びきっ、と音がして、カーテンが、ゆれる。それと同時だった。

画面の目は右を見るのをやめ、再び回り出す。くるくる、くるくる、くるくる。
終わってくれないのか。俺はまだ解放されないのか。
先ほどのように回転が速くなり、ルーレットのようにゆっくりと止まっていく。次に画面の目が示したのは、上だった。
見てはいけない。わかっているのに、どうしてか見てしまいたくなる。だがわかる。見てしまっては、きっとだめだ。蛍光灯が点滅し始める。誰も住んでいないはずの上の部屋から、ばたんばたんと、音がする。
点滅の感覚がゆっくりになっていく。部屋が暗くなるたびに、上から何か生暖かい空気が吹き付けてくる。暗くなる時間が、長くなる。生暖かさが、近づいてきているのがわかった。
部屋が真っ暗になったら、俺はもうだめなのかもしれない。本当に、今日の俺はついてない。最悪の一日だ。
部屋は、再び暗転した。

そのとき、着信音が鳴り響いた。友人からの通話だった。部屋は突然明るさを取り戻した。着信音が響いている。
「・・・もしもし。」
震える声で、俺は電話に出た。
「ああ、やっと出た。お前さ、やばいもん見たりしてない?」
背筋に冷たい汗が流れる。この友人は、寺の息子である。霊感がある、とも聞いたことがある。
「いま、見た。」
「やっぱり。なんかやばい気がしたんだよね。」
俺は事の顛末を話した。友人は、うん、うんとうなずきながら聞いていた。
「俺、今から行くから。実を言うとそこまで来てるし、すぐ着くよ。」
友人は、自分が到着するまで、その部屋を出て外で待っているように告げた。スマホは部屋の中に置いておくように、とも彼は言った。
「あと5分かからないから、待ってて。」
通話が切れた。ツーツー、という音の間に、俺はたしかに聞いた。
女性の「どうして」という声を。
俺は、外に飛び出した。

友人は一人で来るものだとばかり思っていたが、友人の父と祖父も一緒だった。父親と祖父は、袈裟を着ていた。
「怖かったねえ」
友人の祖父は間延びするように言い、ふたりで部屋の中に入っていく。
「管理人さんにも話したし、今日は俺の家に来てくれ。」
一晩あればどうにかなるか、と彼は呟いた。

友人は、帰りがけの道でいろいろ教えてくれた。
俺を今日理不尽に怒鳴った取引先の人間が、殺人で逮捕されたこと。1ヶ月ほど前に交際相手を殺していたらしい。
その取引先の男に憑いていた交際相手の霊が、どういうわけか俺に「乗り換え」たこと。
今回の出来事はその女性の霊によるものだったこと。
その女性は、俺と同じアイドルが好きだったこと。
友人はかねてより疲労が貯まっていた俺を不安視して、気にかけていたらしいこと。

「なんで俺に、乗り換えたの?」
んー、と友人は少し悩んでから、話し出した。
「体調が悪くて、ネガティブだと元々『寄せやすい』んだけどさ、向こうの恨みが強かったってのもある。」
お前には直接関係ないのになー、と彼は言う。今日は、月が見えない。
「それと、同じアイドルが好きだったからかもな。新曲買うところだったんだろ?」
俺は頷いた。
「それで、羨ましかったのかもな。自分が聴けない新曲を聴けるお前が。」
そんなことで、と言う俺を制止して、友人は続ける。
「あとさ、言い過ぎなんだよ。『疲れた』って。」
街灯の弱い明かりが、彼を照らす。
「『疲れた』は、『憑かれた』と音が一緒だから、寄せたんだよ。言葉って、怖いんだぜ?」
夜の風が、やけに冷たい。気をつけなよ、友が笑った。

次の日部屋に行くと、窓には沢山のひびが入っていた。スマホは火でも噴いたのか、黒焦げになっていた。
友人の父は、管理人にも話したのでもうこの部屋を引き払うように言った。スマホをだめにしてしまった、と謝っていた。友人の祖父は、というと、いびきをかいて眠っていた。
その日のうちにスマホを買い換え、会社に辞表を書いた。一度すべて辞めてしまいたい。そう思った。

しばらくしてから、友人の家、すなわち寺に行った。殺された女性の墓に手を合わせたかった。真っ白な菊の花を持っていった。それで彼女の恨みが晴れるかは、俺にはわからない。でも、寄り添いたかった。あの恨みに、悲しみに。
「寄り添えるわけないって。」
友人は言う。
「優しすぎる奴も、寄せるからな。体調が悪い、ネガティブ、優しすぎる。三重苦だぜ、それ。」
それでも、この人の悲しみをわかってあげたい。俺はそう思った。伝わらないとしても、届かないとしても。
あのアイドルの新曲をかけた。墓所に似合わないポップな歌。菊の花が揺れる。
何を君が伝えたかったのか、俺をどうしたかったのか。考えると怖いけれど。どうか、安らかに。それしか言えなかった。


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