見出し画像

私はとっても占いが大好きである。

 一応はこれも日記という名目でやっている為、私は書き始めに今日一日に起きたあんなことやこんなことの素晴らしいイベントについて書いてやったろうと息巻いているんですが無理です。さきほどコンビニで雑誌を立ち読みしている一瞬で、左手の薬指第二関節が虫に刺されたことぐらいしかイベントは起きませんでした。そういえば過去に、私はよくコンビニで立ち読みをすると仕事の先輩に伝えたところ「情けなくないのか?」と指摘され、割とショックを受けました。確かにぴちぴちの学生やフレッシュな大学生に紛れて立ち並ぶ私の姿は、かなり異様な光景となってコンビニの窓ガラスから透けて見えている可能性が否めません。でも私のような『立ち読み文化』を提唱する一派も一欠片ぐらいはいると信じているので、私は率先しあえて情けない姿をこの世の中に知らしめることによって、まだ見ぬ彼らにエールを送らんとし、私は雄々しく同士よ奮闘せよ! などと背中で語るつもりです。そんな役目を何処かのえらいひとから拝命されたような気がするので、今後も血気盛んに立ち読みを続けていこうかと思います。

 昨日の日記で宣言したとおり趣味について語ろうかと思う。筆者は色んな事に目移りしまくる節操のない人間性をしており、とにかくなんかしらの影響を受けるとすぐに真似したがる悪癖を持っているので趣味ネタにはつきないと思われる。そしてある程度に知識と経験を得られれば魔窟となっているクローゼットの中に趣味は放り込まれていくので、それを一個一個と引っ張り出していこうかと思う。ちょっと長いかも知れない。


 まず今回の記念すべき第一回目は『占い』。筆者はとても占いが大好きである。星座占いも手相占いも前世占いもタロット占いも好きだし、暗い街角に座っている怪しげな占い師も「素敵なコトしてる」と羨望の間差しを向けるぐらい好きだ。なぜ、かといえば占いとは今日一日の元気と行動の修正点を得られるからだ。つまり今後の指標をくれるからだ。

 筆者は一日の始まりに、必ずラインの星座占いとYahoo!の運勢占いを見てから仕事へと向かう。毎日、だいたい二個以上の占い結果を確認している。なぜ一個じゃなく二個なのかは順位がいいほうを信じたいからだ。それを糧に行きたくない通勤路へ行きたいからだ。もちろんどっちも悪い日もあるので、そういう日は十個近く占いを調べて良い奴だけを信じる。信じたいモノだけを信じてこれまでの運勢を摂取してきた。筆者はこれを十年近くやっているので、我ながら少しだけ、いや自分がやっていることだけどけっこう引いているところもある。やめたら良いじゃないの、と思う方も居るかもしれないが私的には「やめる必要ある?」と言いたくなる。
 それは占いを信じる始め方を間違っているからだと私は思うからだ。

 私は寝る子が飛び跳ねるぐらいネガティブな性質を持っていた。まず第一に私の閾値が「マイナス」なのだ。お風呂に入っていればふと不安と心配事に胸が焦がされ、漠然とした焦燥感にベッドから起きれなくなる。全ての現象に対し感情がフラットなのではなく真っ暗な穴が開いている。つまりスタート位置がマイナスだと言うことだ。マイナスな人間は、いまより幸せになりたいなんてそこまで思っていない。今日の日常が本当に明日も続いてくれるのか、そんな意味の無い曖昧な不安がつきまとっているだけ。足下が不安定に感じ、なにかに掴まっておきたくなる。そんな人間性に『今日一日の運勢』とは一番分かりやすい指標となってくれるのだ。

 だって基本的に良いことしか書いてないしね。悪いことだって書いているけれど、それは今日一日に気をつけるべき事。というよりマイナスにしないための注意点なだけ。

 占いを信じないまたは意味が無いと思う方はまずスタート位置を改めて欲しい。占い結果とはプラス要素ではない。マイナスをゼロにするためだけに信じるのだ。金を稼ぎたいから占いを信じるなどしてはいけない。とまでは言わないけれど、しかし、今よりもっと幸せになりたいから占いを信じるという考えはとても危険だと私は思う。少なくとも私はこの十年間で『よりプラスな日常を得たい』から占いを活用したことは皆無である。ソシャゲのガチャにだってやったことはないし、仕事が成功はするのか占ったこともないし、週末のポケモンカードゲームの勝敗についてだってやったことはない。幸せに関して占い結果とは不必要なのだ。

 だから私は今後とも趣味である「占い」はやめないだろう。基本良いこと書いてることも含めて、よく分からない相手から一日の基準を決められる意味不明さはあるけれど、それでも私のようなブラック人間は一欠片の手助けとして甘受する。はたして結果が伴っているかは断言できないけれど、私は一個人として占いは素晴らしいものだと言い切れるだろう。

 さて、ここまで読んだ方は見方によってはコイツ脅迫概念に囚われてそうだと思われていそうだが、是非とも安心して欲しい。私は十年ほどYahoo!の運勢占いを愛用していたが、驚くべき事に最初の数年間はなんと別の星座を見て一喜一憂していた。

 私は山羊座である。
 間違ってずっと牡羊座の欄を見ていた。


 私はそう確実に五年間は全然違う占い結果を信じて活用し、その後の指標と論じて行動基準を定めていた時期がある。相当な物である。死後に骨と皮にして標本にしてもいいぐらい稀少な人間だと思う。だってすごいヤギと羊の絵柄が似てたんだもん…。しかしそれを分かった上で未だ私は占いを信じている。私は別に幸せになれなくてもよかったのだ。この世界の他の誰かと一緒に肩を並べ生きているんだと、そんな安心感を得るためだったら嘘でも間違ってても信じりゃ良いのだと。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?