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お金は大事って話。

 しばらく晴れの日が続いて通勤が楽で素晴らしかったのに、今この日記を書いている外から雨音が響いていて私の気分が急降下している。多少の強雨ならごり押しで行く無謀さを未だ持っているけれど、びしょびしょのままに仕事を始めたくはないから結局は雨合羽を着て現物のみの安全牌を放ってしまうと思う。筆者、濡れそぼったチキンである。しかし経験上、単純で無作為な行動ではほとんど風邪を引いたことのない強体質なので強行突破を為る可能性もあり、もしやすると未だ自分は若いのやもしれません。無謀と果敢が客観視できないことを許されるのは若いうちじゃないのかと思うと私は結局若くないのやもしれません。

 密かに追っていた漫画の連載が終了してしまった。個人的には満足のいく終わりではあるのだが感想コメントを眺めていると私と同じように非常に良い読了感に満ちている方が大勢居るようだった。私はそれにとても安堵していることにきづいた。それは見るに堪えない感想などを警戒したのではなくて、自分の意見が他人と会っていたことにとても安心にしたからだった。今の時代、サブカルチャーで重要なのは共感性の高さだと思っている。こう書いてしまうと説教臭くもあり思想を感じられて嫌な気分になるので端的に言うのなら「自分が好きな物を他人から認められたいし、自分も認めていたい」という思いが酷く感じられる時代になったと思う。今の人達は他人の言葉にふれあう機会が多すぎて大きい言葉を怖がっている気がする。

 人と人との繋がりが気軽に出来ることはとても良いことだけど、世界中の人々と共通の感想で一通の思いで繋がることは非常に困難なことだ。誰しも人それぞれの感想があるのだから強制などどだい無理な話。けれどふれあう機会が多いと気に食わない言葉が安易に目に入る。ほんのごく一部の我慢ならない人が数人現れて他人に影響を与えようとわざと大きな言葉を使いたがるのだが、それを冷静に見られれば「混乱している人だ」と判断できるけれど、大きい言葉はとても強い。そして安易に人へと繋がっていく。私達現代人はその大きな言葉を使う人が集っていくことに怯えているような気がする。実際、私も怯えている。だって唯一の対抗策である良い言葉を、私がきちんと吐ける自信が無いからだ。

 良い言葉とは難しい。あなたはとても素晴らしいことをしたんですよ、と人に言える技術や心から溢れる熱意の伝え方を人生の中できちんと教えてもらえる機会がほとんどない。一方で悪い言葉はとても簡単だ。小学生にだって気に食わないなら「しね」と言えるし、分が悪かったら「地球が何回回ったら?」と誤魔化せる。すなわち難しくて大変な言葉よりも、簡単で単純な大きい言葉のほうがより沢山の波を起こして、多大な影響を及ぼし大きなうねりとなりやすいと思う。

 私はとても多趣味だ。レベルの低い観点で多くの趣味を同時進行し自分なりの答えを見つけて大いに楽しんでいる。そしてこの日記にて一応は情報を発信してはいるので、いつか遠い日には「大きな言葉」に会う機会が訪れるかもしれない。あるのかも知れないと思うと怖くはある。対抗する技術にも自信が無い。そんな高等なモン誰も教えてくれなかったからだと嘆きたくなる。けれど私はいい年であって思想も説教も語れるほど教養もありゃしないから、私が唯一持っている武器を最終手段として振り上げるつもりだ。それは

 金だ。そして筋肉だ。

 え?嘘? と馬鹿にしちゃイケない。みんな大人になって自由に使うお金の強さをしろう。強雨の中にいきたくもない仕事に向かうのはお金のためだ。どうしてと問われれば「金はパワー」で「筋肉はパワー」だからだ。培った物はけっして自分を裏切らない。裏切らないものは自分の信じるものに消費する。それだけで褒める技術も要らないし大きい言葉も跳ね返せるのだ。鍛えれば鍛えるほど、稼げば稼ぐほど、自分の欲望は際限ないけれど際までついていけれるはずだから。

 なんか生臭い話になったけれどそんなこんなで皆頑張りましょうね、筋トレ

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