見出し画像

川崎の街でよく見るお兄ちゃんが「大好きな選手」になった日。

はじめに

川崎市に住み始めてから、もう20年以上になりました。
中学の運動大会は等々力陸上競技場だし、成人式はとどろきアリーナだったし、納税し始めたのも川崎市だし。
生まれは宮城なんですけど、出身はどこと聞かれたらもう「川崎市」と言っていいかもしれません。それくらい自分の「ホームタウン」です。

そして、同じように川崎市をホームタウンとするサッカークラブから今シーズン、ひとりの選手がユニフォームを脱ぐことを発表しました。

出会い

元々、サッカーを観るのが好きでした。
家族がテレビでのスポーツ観戦が好きで、98年のフランスW杯あたりは本当にぼんやりとですが観ていた覚えがあります。02年の頃は早く試合が観たくて、学校まで家族に迎えに来てもらったりもしました。日本でやってるなら1回は観てみたいと思ってチケット争奪戦にチャレンジしたものの、取れなくて悔しい思いもしたなあ。

その後、五輪もW杯も毎度観るようになって、代表戦や海外リーグの試合も観るようになっていた頃。代表に選出された選手の中で、知らないはずなのに、なぜか慣れ親しんだ見た目と名前の選手がいました。
それが彼でした。

その頃はJリーグの試合を観に行くという発想が全くなかったんです。男の子が行く場所というイメージと、フーリガンのような怖いイメージが染みついていたし、周りにはサッカー観戦に行こうなんていう子もいなかった。DAZNもなかったから、たまにあるテレビ放映でしか観れなくて。Jリーグはずっと遠い存在でした。
それでも彼は、自分の頭の中にいて違和感のなかった唯一の「Jリーガー」でした。他の選手はJリーグ所属でも「A代表の選手」の印象だったのです。

不思議ですね。一度もサッカーを観に行ったことも、それどころか川崎フロンターレの試合も観たことがなかったのに。

そこでようやく、ああ、街中でよく見かけるポスターに写っている選手だってことに気が付きました。名前と、写真と、青と黒のユニフォーム。川崎の街の色々なところで見かけるお兄ちゃん。あの選手が、日本代表に選出されたのか、へえ。その時はそれくらいの気持ち。

けれど試合に出場しているとなんだか嬉しくて、ベンチを温めている時は「なんで出さないんだ!」って怒ったり、いいプレーを魅せてくれた時は喜んだり、当たり前のように自分の身近にいる選手だったと思います。

「大好きな選手」になった日

それから自分の私生活が忙しかったこともあり、なかなか追いかけられていなかったのですが、結果だけは気にしていたのですよね。やっぱり自分の住んでいる街のクラブが強いっていうのは嬉しいことでしたし。

Jリーグをちゃんと観るようになったのは2017年、間違いなくDAZNで観られるようになってから。元々ブンデスリーガが観たくて加入していたので、DAZNで観られるなら観ようかなと思ったのがきっかけだったと思います。ただ、毎試合追いかけられていた訳ではなくて、本当にたまに、時間が合う時にちらっと観るくらい。結果はほぼやべっちF.C.頼みでした。笑
そうして、最終節まで優勝決定がもつれ込んだという情報を知ったのもまた、やべっちF.C.からでした。(やべっちめっちゃお世話になってる……)

偶然休みだったその日。テレビとPC、2窓にして見守った最終節。
優勝が決まった瞬間、家の中で喜びの声を上げたのを覚えています。
選手を追う画面の中で丸くなって泣きじゃくる選手がひとり。
それは、いつかのあのお兄ちゃんでした。

「よかったねえ。おめでとう。よかったねえ」

ニコニコしていた自分が、その涙を見てもらい泣きしながらこぼれた言葉。
あの時から、お兄ちゃんが「大好きな選手」になったのだと思います。

初めての等々力と歓声、思わず笑みがこぼれるプレー

そこからはどうやって等々力に行くか、そればかり考えていました。
やっぱり怖い場所のままだったサッカースタジアム。
何度も何度も情報を検索して、色々なページを見て、自分の誕生日近くに試合があるとわかった時に「これだ!」と決意。自分へのプレゼントのつもりでチケットを1枚購入。対戦相手が生まれ故郷の仙台であったことも後押しになりました。

2018年8月25日
明治安田生命J1リーグ 第24節
川崎F vs 仙台
スコア
1-0

得点者
中村憲剛(55分)

等々力が怖い場所から魅力的な場所になるにも、大好きな選手を「素晴らしいサッカー選手」なのだと認識するにも充分すぎる試合でした。
応援や感嘆の声、生で観る選手たちの迫力のあるプレー、勝利の喜び。全てが初めての経験で、何もかもがサッカーをもっと好きにさせました。
そこからは毎回何とかしてチケットを取って、等々力に行って、自分の目で観るサッカーってなんて楽しいんだろうと、のめり込んでいったのです。

私にサッカーの本当の喜びをおしえてくれたのは、間違いなく彼でした。

ありがとう、さようなら、はじめまして

そんな彼が、ユニフォームを脱ぐ。
それは青天の霹靂でしたが、話を聞いた時、また納得もしてしまったのです。いつかが、今来たのだと。その終え方が、何とも彼らしく、潔く清々しくて、納得するしかないのだと。

こんなにドラマチックで、カッコ良く現役を終えられる選手は、そうそういない。最後の最後まで、カッコ良すぎる。


中村憲剛選手、ありがとう。お疲れさまでした。
選手としての貴方に、さようなら。

そして、はじめまして。
「選手じゃない」憲剛さん。

引退したとしても、もう貴方は私にとって、川崎の街でよく見るお兄ちゃんではありません。
いつ、どこで見かけたとしても、川崎フロンターレの偉大なバンディエラであり、Jリーガーも日の丸を背負えるのだとその技術と努力でおしえてくれた存在です。
サッカーやクラブや街を愛するということを、その18年をかけておしえてくれた恩人です。

目の前に広がる新たな旅路を、今までのようにスタジアムから声を上げて応援することはなかなかできなくなりますが。
辛くて立ち止まりたくなった時にも私たちの声を思い出してもらえるように、最後の最後までめいっぱいの愛を送ります。

さようならは区切りの言葉。永遠のお別れではありません。
もちろん、寂しくないと言ったら嘘になります。
けれどそれ以上に、ピッチの外で活躍している貴方にたくさん会えるのが今から楽しみです。

憲剛さん、本当に本当にありがとう。
また会いましょう。



気が向いたら是非ポチりしてね\(゚∀゚)/ サポートいただいた分は地道に貯金して何かに使います(使い道考え中)。