学校は生徒を型にはめようとしている? そう思われる理由を考えてみた

学校は一つの基準で生徒を測り、生徒の才能を伸ばすことをしないということはよく言われます。

しかし、例えば中学校では国数社理英と文系と理系の計5教科があります。さらに音楽や美術の芸術系、生活に密着した技術家庭、体育、プログラミング、総合学習、職業体験やガイダンス、補習、さらには部活や委員会や各行事まであります。これ以上一体何をしたらいいのでしょうかか?

確かに、学校のシステムや教師の対応などに問題のあるところは多いでしょう。しかし、学校そのもののカリキュラムなどの点においてに大きな問題はないと思われるし、学校教育そのものが生徒を型にはめるものとは言えないと私は思います。

ではなぜこれほどまでに、「学校が悪い」と言われるのでしょうか?
私が考えたのは、

①授業の進め方の問題
②学校のシステムに対する説明不足の問題
③教師それぞれの性格や接し方の問題
④親など保護者の問題
です。

①授業の進め方の問題
・どうなることを目的として学んでいるのかが最初に伝えられていない(おそらく少しずつステップアップするため)
・得意科目を伸ばすことが、苦手科目を克服することに比べて大切にされていない(おそらく得意を伸ばすことは難しく、できるなら問題ないという判断がされる)
・テストが減点方式なため、全ての科目ができていないといけないような感覚に陥る
・バランスよく学ぶことで、バランスよくできないとダメなのではという感覚に陥る
・ノートまとめの宿題が出され、それが評価される

・授業が話を聞くだけ、もしくは作業になりがち(ノートを写す、話を聞くなど)
・授業が分からなくてぼんやり聞いているだけの人が出てくる
・宿題などへのサポートが少なく分からなくて写すだけの人が出てくる

これらは教師それぞれに任されていた部分が大きく、だからこそ今まで変わってこなかったのだと思う。

② 学校のシステムに対する説明不足の問題
・何のために勉強するのか
・各科目を学ぶ目的
・各科目の目標・最終的に何ができるのを目指しているのか

学校ということは、できないことをできるようにする場所です。
だから、できることはそれでOK、できないことは「できないので頑張りましょう」となります。
だから才能を発揮できる科目があっても、一つでもできない科目があると「勉強ができない」と見られがちです。
ここに、「いろいろな科目をさせると才能を無視していると言われる」パラドックスがあるのではないでしょうか。

いろいろな科目をさせる→できないことが出てくる→できることへの努力や能力を認めて、できないことを頑張るように伝える→才能を無視しているとなる

なので、「いろいろな科目をやるのは個人の興味や才能を見つけるためでもある」「できない所はできた方がいいが、できている所はそれだけで充分すごい」とあえて伝えることも必要なのではないかと私は考えています。

③教師それぞれの性格や接し方の問題
・学校に昔ながらの上から押さえつけるような雰囲気・習慣が残っている
・教師が理想の生徒像を強く持っていることがある
・教師ができない生徒を理解できない
・そもそも先生に上からな人が多い(人による)
・そもそも先生が忙しすぎて生徒一人一人に対応する余裕がない
・そもそも親などが完璧な子供を求めているため、子供や先生がそれに合わせている

もしかしたら、威圧的で上から目線な教師があまりに多すぎて、学校全体や教育システム自体に大きな問題があるように思われている部分もあるのではないでしょうか。(もちろん素晴らしい先生もたくさんいます)
これらは教師それぞれの問題であるからこそ、今まで変わってこなかったのだと思います。

④親など保護者の問題
もちろん学校には威圧的な教師も多いと思うし、変な校則で縛ったりと批判したくなる所も多いです。
しかしもしかしたら、「才能が無視されている」と感じる原因は、学校自体よりも家庭環境にあるのではないかと思います。

勉強ができないからといって怒る親はとても多いです。しかし怒られたから頑張ろうとはならないだろうし、自分が勉強できないのは事実なので反論できない。すると、

テストの点が悪い→親などに怒られる→なんで怒られるんだろう?→勉強だけで判断する学校が悪い
となります。(自分が悪いんだ、と自信がなくなる場合もあります。)

もし怒られなければ
テストの点が悪い→次はできるように頑張ろう
と思えるかもしれなません。

「できるようになる」ために学校に行っているという当たり前の意識が親と子供、もちろん先生にもあれば、状況はもっと違うのではないでしょうか。


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