見出し画像

【世界に挑戦した私の軌跡2】アメリカ本社への出向・転籍、アメリカ永住 : 米国本社への転籍

お客様Key Manだった樋口さんに口添えを頂けたお蔭で実現できたアメリカ本社への出向ですが、元日本法人COOのToddさんの補佐としてシカゴで1年間お世話になる事になりました。Toddさんは将来のCEO候補のひとりとして周囲の大きな尊敬や期待を集めるリーダーで、日本法人よりも大きな組織の責任者でした。彼の傍で1年間過ごす事は、日本法人でしかも課長レベルの社員にとってはとてつもなく恵まれた特別な事件でした。

大きな夢の一つだったアメリカで働く事をこれ以上ない最高の形で実現した私にとって、次の夢は世界に通用するグローバル・リーダーになる事。世界第三位の経済大国である日本のお客様にもっと役に立てるグローバル・リーダーとして成長して、同じ思いを持つ後輩達の世界に挑戦する機会となるグローバル組織を世界中に広げる事を妄想していました。アメリカはその第一歩、日本には帰るつもりはなく、世界各極に活躍の場を広げるリーダーとなる事を妄想していました。

その為には、先ずは1年間の出向で終わるのでは無く、そのまま日本に帰る事無くアメリカで働き続けれる米国本社転籍を目標としました。下記に添付した資料はToddさんに合意して頂いた2010年の年間達成目標ですが、自分の成長に真剣に向き合っていた時代の良き思い出です。 (2011年もアメリカに居続ける事を強く意識していました。達成できたら残して欲しいと伝えていました。)

画像1

因みに、Toddさんが中でも気に入ってくれたKPIはHappy Hour 100%参加。当時から先進的にリモートワークが進んでいた会社でしたが、社員同士の接点が限られることが若手の成長の大きな課題になっているのは日本以上でした。毎週木曜日に開催されるHappy Hourは、若手が自らの成長の切っ掛けを掴む為に社内ネットワークの飲み会として自主的に開催されていました。Toddさんもトップ自ら定期的に参加されていて、「こいつは、Happy Hourへの100%参加を俺とのビジネス目標設定の一つにしてるんだよw」ととても喜んでネタにしてくれていました。

お蔭様でHappy Hour 100%参加を含め上記の目標をほぼ達成の目処も立ち、加えてToddさんの週末の良きテニス・パートナーとして実力を発揮できた事で、Toddさんとは公私に渡るコネクションを築く事が出来ました。 そして、築いたToddさんとのコネクションにより、当初の目標であった米国本社への転籍についても面倒をみて頂ける事になりました。

本来、日本法人にとっては、米国本社役員の仕事の流儀を知り、コネクションを作り、将来の日本法人の幹部として日本法人の為に成長する事を期待された本社出向です。なので、居座って米国本社の転籍を実現した日本人は過去に殆ど居ません。そのような背景もあり、私が転籍を前提に日米社内調整を進めていた時に、日本法人の人事担当専務からも念押しの確認の電話を態々頂きました。
「日本に帰る事れば出世の道があるのに、転籍して本社のエリート達と厳しい出世競争をする覚悟があるのか?Toddさんのスポンサーを得ているのだから、転籍のリスクを取らずに日本に籍を残し続けて出向を続けるオプションもあるよ。」と私のキャリアを心配しての覚悟を確認する言葉には正直揺らぎました。
そんな状況で、出向を続けるか転籍かを深く悩んでいた私を決心させたのは、日本法人の同僚がふと言葉にした「お前はうまい事やってズルいな」のひと言でした。 そのひと言が、自分の夢と応援して下さったお客様や先輩・同僚・後輩・友人の事を思い出させてくれて、そして「悩む時は自分の成長の為に厳しい道を選びたい」とのアドバイスを思い出させてくれました。

退路を断ち思い切った判断をしたとその時は思いましたが、その判断は間違っていませんでした。 何故なら、Toddさんに転籍の方向で再度依頼をした数ヶ月後、Toddさんが会社を辞める事もあり得る状況になり、もし出向の継続を判断していたら間違いなく出向継続のスポンサーを失っていました。退路を断って転籍を判断していたお蔭で、転籍できるまで面倒見てやるから心配するなとのお言葉をToddさんから頂けました。

出向の継続か転籍か、その後の私の人生に大きな影響のある判断でした。そして退路を断って転籍を選ぶ判断を出来た事で、ご自身も大変な状況でも最後まで面倒を見て頂ける事になりました。

そして振り返ると、この重要な判断を正しく出来たのは、「明確な目的意識を持ち、自分の決めた未来から逆算で今どうしたいのか?」と正しく判断、セルフ・コーチング出来るように、多くの方々に長年応援して鍛えて頂いたお蔭でした。

日本法人を退職して、無事アメリカ本社への転籍をしたのは2011年2月1日でした。その数週間後に、ロサンゼルスでのキャバクラ接待が社内監査に早速引っかかり、早速クビになりかけたのも良い思い出ですw

熱い志を持った転籍だったのに、そして、会社サポートで米国永住権も得る事ができたのに、様々な言い訳を見つけて次の大きな夢を諦めた話は、また別のnoteにまとめたいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?