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イシュードリブン

3冊の本を読んだ.

「マッキンゼー流 入社1年目 問題解決の教科書」

「マッキンゼー流 入社1年目 ロジカルシンキングの教科書」

「イシューからはじめよ」

上2冊は大嶋祥誉さんという方の,そして最後の一冊は(自分が卒業単位にもならないのにわざわざ履修しているSFCの)安宅和人先生の本だ.お二方ともマッキンゼーで働かれた経験がおありだ.

問題解決や知的生産に関して書かれているこの3冊を読んで自分がどういうことを感じたのかをまとめておきたい.ただこの3冊を読んだからといってすぐ実行に移せるかと言われるとそうではないのが自分自身の状況である.

この本の内容はとてもわかりやすいし,それにより問題解決が近づくこともよくわかる.ただ実際に自分の目の前の問題に対して当てはめて考えていかなければ,本当の意味で理解し身についたことにはならないからである.それについては,自分がこれから取り組む課題において,読み返しながら当てはめていくこととしよう.

ここでは,とりあえず自分がこの3冊を読んでの直感的な感想の部分のみを述べよう.なおこの文体は安宅先生の文体に大きく影響を受けていることは明白である.

issue 問い

「どれだけ問いを立てられるか」

この重要性に気付き出したのはここ2,3年だろうか.車椅子ソフトボールをはじめ,ソフトボールのコーチをはじめたことが大きな要因であったかもしれない.

思えば問いの多い少年時代を過ごしていたかもしれない.少年野球では,コーチの言っていることが納得いかなければ,耳を傾けなかった.理論の成り立っていない指導をするコーチが少なからずいたからである.ただ理論として成り立っている指導に関してはいまだに記憶に強く残っている.それが例え一般に言われていることに反していたとしてもだ.

指導者の言うことに耳を傾けず,プロ野球選手のモノマネばかりしていた.構える時に力を加えている場所,ルーティンの意味合い,その一つ一つを真似ることが無意識のうちに「問い」になっていたのかもしれない.

車椅子ソフトボールを初めてから,問いが自然と多くなっていった.プロ野球選手のように,明確に目標とすべき存在がなかった.自分が車椅子に乗ってプレーする上で重要なのは何か,問いを立て続けた.日本人の車椅子操作の上手い選手のプレーを見て,アメリカ人のパワーのある車椅子の漕ぎ方も見て,どちらも真似ながら自分だけの車椅子の漕ぎ方を,車椅子ソフトボールならではの車椅子の漕ぎ方を構築していった.答えはまだ出ていない.

野球というスポーツを「解が出ている」と表現していいのかはわからない.アメリカや日本でこれだけ盛んに行われているスポーツなのだから,それだけ技術が吟味されたと言える.小中学生のころの自分から見れば,プロ野球選手の動き一つ一つが十分「解である」と言える(ここにおける適切な表現がわからない).雑な言い方をすれば,「それに近づく方法」を考えればよい.

ただ車椅子ソフトボールにはそれがない.必然的に問いを立てることから考えなければならない.想像できる「解」がないからこそissueが必然的に生まれるわけである.今思えばこの体験は自分にとって非常に大きなものだった.

仮説

(実験には)2つの結果がある.もし結果が仮説を確認したなら,君は何かを計測したことになる.もし結果が仮説に反していたら,君は何かを発見したことになる.                ー エンリコ・フェルミ

「イシューからはじめよ」において引用されていたこの言葉を読んで,自分は非常に感銘を受けた.

自分はソフトボールのコーチとして指導する中で,何度も「仮説と検証」という話を繰り返してきた.その検証がうまくいくことだけが成功だと考えていたわけではないが,なんとなく「検証がうまくいって,そこで初めて進歩がある」というような感覚でいた.ただこの言葉を読んでとても納得がいった.

結果が仮説に反していたとき,そこには発見がある.これは自分にとっても,自分以外の多くの人にとっても経験のあることだろう.そしておそらく自分はこの発見の部分をとても重視する人間ではないかと考えている.なぜかといえば,他人との人間関係においても,この仮説と検証に近い考え方をもって人と接しているからである.

怒りとは期待を裏切られた時に起こる感情であると聞く.自分は怒るという感情を持つ機会が少ない.それは他人に期待をしないからというのが大きな理由だろう.そこにあるのは,期待ではなく仮説であるから.

「この人はこうしてくれるだろう」

という期待を多くの人は持つのだろう.ただ自分は,

「この人はこうするのではないか」

という仮説を持つ.これは別に意図しているわけではない.その人がその通りに行動すれば,自分はその人の行動を計測したことになり,その人がそれに反した行動をとれば,自分はその人の知らない面を発見したことになる.こんなことを書いていると「お前には人間の心がないのか」と言われそうだが心配ない,言われ慣れている.

まとめ

自分の経験をもとに,ざっと思ったことを並べた.これらの本に書かれていたことを実践していくには,時間がかかるかもしれないが,自分にとって「全くやったことのないことをしなければならない」という感覚はない.むしろ自分のやってきたことを一部肯定されているような気持ちでいる.ただこれらの本で書かれている知的生産にはまだまだ及ばないので,これらを読み返しつつ,自らの知的生産の質を高めていくとしよう.

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