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最後の話

死ぬことに対する恐怖って、みんな普段どれくらい考えてるんだろう。

我々はいつか必ず死ぬ。んなことは、誰に教えられたでもなく物心ついた頃にはなぜか知っていて、例えば夜寝る前に思い出したりしては、ふっと体の周りの空気が冷えて、得体の知れない恐怖に心臓を掴まれる。

わたしの世界ではもちろんわたしが主人公であり、その主人公が死んだら世界は終焉を迎える。

じゃあそのあとはいったいどうなってしまうのだろうか?考えれば考えるほどその恐怖は増し、暗闇が怖くなる。スピリチュアルな世界を求めてしまう夜もある。猫ちゃんの背景に宇宙がある有名なイラストのようになってしまう。にゃん。

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↑筆者のオリジナル宇宙ニャンコ。描いて気を紛らわす。

生きてるということはいつか死ぬということだし、永遠に誰かに会えなくなることだし、そんなルールに沿って日々を生きている。いきなり誰かの明日がなくなるかもしれない。それがもしかしたらたまたま自分の番かもしれない。理性ではわかっても、怖いという感情の金縛りから逃れることは出来ない。誰がこんな鬼畜なルールを作ったんだ。やれやれ。

自分の大切な人の死を想像してしまうことがある。もちろんわたしが先にこの世から消えてしまう可能性もある。もっと、怖くなる。どっちが先が相手にとっては幸せか?とか考えたりする。うーん、重症かも。

例えば仲のいい夫婦が死別した時に、もう片方がすぐにお迎えが来ると「あぁ、呼ばれたんだなぁ」という話をよくする。人の命は、誰かの命とつながっていて、互いに影響しあっている。気がする。

これから先、大事な人ができた分だけ失っていくのだと思うと恐ろしくなる。いまこれを読んでいるあなたにもいずれ最後は訪れる。怖さを読者にも少し背負ってもらって、軽くしてみようと試みている。ぶるぶる。

でも、こわいという気持ちがあるから、危ないことはやめとこーと思うし、今日も筆者は横断歩道をとても慎重に歩いたりする。しっかりご飯も食べて生命活動を続けようとするんじゃないか。怖さとバランスをうまく保って付き合っていかなきゃ行けないのかな。


なんで今日はこんなに考えてしまうんだろうか。秋の夜長に物思いに耽りすぎるのはあかんですね。

ちなみに宇宙は行ってみたいですし、猫は大好きです。それでは。






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