「自分はロボットに成り果てたのか」と思い悩むこと

馬鹿みたいなタイトルですが真面目な記事です。
ギャグ記事をお求めの方は申し訳ございません、当店では取り扱っておりませんので…

茶番は置いておいて、本題に移りましょう。
タイトルの「ロボット」はいわゆる比喩表現で、機械になってしまったのではと思い悩んでいるわけではありません。
嘘のような本当の話ですが、実際に「物心着いてから高校生になるまで、ずっと自分は実は人間の形をしたロボットだと思い込んでいた」という友人がいます。

一つ一つ項目を分けてお話していきます。


①犬の話から

まず飼い主に大切にされている犬を思い浮かべてください。
「ご主人様が遊んでくれて嬉しい!」「よそ者が僕の縄張りに何の用だ!」「ご主人様が構ってくれなくて寂しいな…」「お散歩楽しい!もっともっと!」等と喜怒哀楽を身体全体、主に尻尾を使って表現しています。

犬の行動のほとんどは感情によるものです。
スズメバチのように縄張りに近付く者を無闇に攻撃することがないのは、飼い主のしつけによるものです。
「人を噛んだときにご主人様に叱られて悲しかった」という経験から学ぶ知能はあるので、
「他のやつを攻撃してはいけない」という理性に基づいたものというよりは「ご主人様に叱られたら悲しくなるから」と、どちらかというと理性より経験に基づいた感情を重視して叱られる恐れのある行動を取らないと考えられます。
「つまみ食いをしてはいけない」としつけられても、飼い主の見ていないところでこっそりつまみ食いをしていることもしょっちゅうですよ。

温厚だった飼い犬が突然ほかの犬を襲ったという事故もよくありますし、犬に僅かな理性があったとしても基本的に感情には勝てないのです。(犬に理性を司ることができるか否かは、専門家にとっても未だにはっきりとしたことは言えない模様)


②犬と人間の違い

感情の豊かさ、そして叱られるであろう行動を控える点は人間も犬も同じですね。

しかし、犬と違う点は歳を重ねるにつれて「叱られるから避けよう」だけでなく「この行動は相応しくない気がするから避けよう」と理性で自らをコントロールできるようになります。
極端な話ですが子供に対して「異性を犯してはいけません」としつける親や教師はほとんど居ない中で、理性に負けた者以外はその行動を取りません。

異性とあんなことやこんなことをしたいのはヒトを含めた動物の本能ですが、手術を受けていない犬はその本能に抗えません。
逆に人間は教えられていなくとも相応しくない行動を取らないように自らを律することができるのです。
これは大脳皮質が発達している人間のみが持っている理性です。

つまり、感情で動く犬と違って人間は感情、理性どちらも持ち合わせています。

人間として生まれた以上は理性と感情のバランスを自らコントロールする必要がありますね。
コンビニ等でたまに見かける迷惑クレーマーは「気に食わねえ!」とキレて吠えている犬です。ワンワンワン!!

そういえば大学の頃、信頼していた教授がこんなことを言っていました。
「愚者は怒りに身を委ねた鬼であり、賢者は怒りを赦す仏だ」的な。
犬と鬼で韻を踏め…………ないな…


③俺はジャイアン(だった)

まず、私はスパルタ教育を受けて育ちました。
あれをしなさい、これをしなさいと押し付けられていくうちに「自分って何なんだっけ」と非常に強い不安を抱いたことを覚えています。

自他ともに認める「怒りの感情がない奴」ですが、スパルタ教育を受ける前はドラえもんのジャイアンのような癇癪を起こしやすい性格でした。
ちょいワルな子供と混ざって遊んだり、よその子供に喧嘩を売ったりしていましたが母ちゃんには逆らえないという、本当にジャイアンでした。

スパルタ教育が始まり、娯楽や自己選択のほとんどを失った私はジャイアンとは真逆の性格になっていきました。
小学校でも宿題以外の勉強をする必要があり、喜怒哀楽を出せる場がなくなったのですから当然といえば当然です。

それが今現在も無礼者に絡まれても「変な人もいたもんだなあ」と平然としている、ある意味どこか欠陥した人間です。


④さらばジャイアン、そしてHey Siri

この時代ですからSiriはご存知のことと思います。
昔のWindowsのイルカ(本名:カイル)のようなユーザーをサポートしてくれるbotです。

当然botですからSiriに話しかけたところで決まった返事しか返ってきません。
Siriに暴言を吐いたところで「そうなんですね」の一言。
一応遊び心としてSiriに「怖い話をして」と話しかけると短編ホラーもどきを語ってくれる機能はありますがそれくらいです。

基本的には決められたことを決められたとおりにこなすだけのお助けキャラです。
「大好きだよ」と話しかけると喜んでくれますが、Siriの感情ではなく開発が内蔵したデータであり、そこに感情はありません。

暴言を吐いても怒ることがなく、感情のないSiriは私に近い存在なのでは、と。

これがこの記事のタイトルを決めるにあたって着想したものです。


⑤ADHD、うつ病

私はADHDとうつ病を罹患しています。

非常に長くなるので省きますが、端的に言えばADHDは単なるドジっ子とはまた違う、不注意や過集中により失敗を繰り返す病気です。
ドジっ子は気をつけていれば失敗することはなくなりますが、ADHDの場合そう簡単にはいきません。何せ「障害」のひとつですから、治る病気でもありません。

そして、ADHDの役5人に1人はうつ病を併発しているそうですよ。怖いですね。
というのも、失敗を繰り返す度に叱られ、治るものでもないので何度も何度も叱られていくうちに「自分はダメだ」と自信をなくし、自罰的になっていくからです。
例えば友人と口論になった際、たとえ友人側に非があっても「全部自分が悪い、友達は悪くない」と自分を責め続けます。
「自分も悪かったけどそもそもお前が最初にあんなこと言わなければ良かったんじゃないか!」と思うことができれば生きやすくなるでしょう。
それが出来なくなるほど自罰的になれば、そりゃうつ病発症のリスクも高まって当然です。

そしてうつ病というのもまた厄介で「辛い…死にたい」とネガティブになるだけではありません。
脳が萎縮する病気ですから、簡単に言えばとてもあたまがわるくなります

例えば簡単な計算ができなくなったり、簡単な漢字も書けなくなったり。
「自転車の乗り方」や「産まれた頃から慣れ親しんだ日本語の話し方」等は身体が覚えているので問題はありませんが、後者は「あの単語、なんていうんだっけ」と小難しい会話や文章作成にあたって困難を極めます。
そして理性が乏しくなってしまう認知症とは逆に、感情を司る機能が乏しくなります。
ジャイアンからSiri…いや、それ以下に降格しましたよ。

例えるなら、古くなって動きが遅くなったパソコンに近いです。
パソコンとしての機能は失っていないものの、突然フリーズしたりブラウザの立ち上げにすら数分かかったりと、著しく機能が劣化しています。
パソコンならこうなってしまうと買い換えどきですが、人間の場合そうはいきません。

そして、ADHDも兼ねているとなおさら失敗経験が多くなり自分を責める毎日が続くわけです。


⑥それでも他人に迷惑をかけたくない

感情が乏しくなって以来、大好きだったゲームの発売日も楽しみではなくなり、娯楽はいくらでもあるのに全てを素直に喜べなくなっている。
それがとても悔しくて申し訳ないのです。
友人と話したり遊んでいる時間も、以前ほど楽しくなくなり帰ってから真っ先に出てくるのが「疲れた」という言葉です。

ギャルを演じることもおどおどした優等生を演じることも身体が覚えています。
だから、私がせめて出来ることといえば相手を楽しませる演技をすることくらいです。
相手にデメリットのない嘘なので許してほしいと思いつつも申し訳ない気持ちでいっぱいです。

Siriも「今日は何曜日?」「マップを開いて」「米津玄師のLemonを再生して」等、ユーザーが求めていることに答えてくれます。

Siriと比較するとまだ感情豊かではありますがやはり自分はロボットのような何かに成り果ててしまったのではないかと、常々思っています。


ここまで読んでいただきありがとうございました。

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