人々は何故未来が決まってる理論を嫌うのか

まあ、ぶっちゃけ、「そういう物」

「そういう生物」だから、

と言えばそりゃそうなのですが、

私が推測するに、人は何か大きな勘違いをしていると思うんです。

多分、どんなに努力しても、頑張っても

それは努力することが決まっていた。

となることに不快感を覚えると思うんですよね、

しかし、人間の体や脳って生み出される過程でそういうのを想定してなかった、とは思えなくて。

まあ、もっと言えば人々が人類がいる事、今自分が生きていること、を
良い事、嬉しい事、と考えてるからに過ぎない

あるいは、まあ「そういうもの」"

だからそうなった"、

そうなってる"って事なんだと思いますけど

しかし、動物や物の視点だったり、

下にいる者が上を見ることによる心理的影響などは色々ありますけどね、


まあ、はい。

つまり人にとって無限や無限の可能性が心地いい物だとしたら

それに真っ向から害する、人類が不快に思う、

「自分の人生は決まっている」という考え方は何か不可解である。

というのが今回のメインです、

まあ、要するにこれに関しては認識を間違えてて、

100年後の自分は決まっている。

生まれ持った才能も、努力も、それは決まっている。

未来の姿は知れないけど、どうすることもできない事であることは確か。

未来を変えれないのに努力?

なーんかモヤモヤするな、

才能や努力が未来を変えるってのは

要するに未来の定義が曖昧だからあれだけど、

未来を変えてるわけじゃなくて、時間を変えてる。
(時間を物の動きや位置とする場合)

 に過ぎないんじゃないの?

そもそも時間を変えるというより今を変えるの方が正しそうだけど…

みたいに思う人もいると思うんです。

けど、それは正しい、

しかしながら認識が足りない、

もう少し緻密に言えば情報が足りていない、言葉が足りていない

んだと思います。

多分、「未来は決まっている」と、これだけ考えるのではなく。

「未来は決まっている、だが、未来は無限にある。」

こう考えるとまた違った感覚を生み出せるんじゃないですかね…?

未来は決まっているけど死後粉々の砂になった後に

何億億年後かに他のどこか知らない星で復活するかもしれませんし、w

確率なんて言葉をここで発すると確率なんて使うんじゃない()

とか言われそうですが、そもそも確率は自分の行おうとした行動の予測、

即ちビジョン?

うーん確率も奥が深いですね…

まあ、これで幾らかは暇つぶしの足しになれば幸いです。

最後までご精読頂きありがとうございました。




























































































































































































































































































































































































































































































































































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