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極私的こどもの教育論

いま6歳の息子の父です。
近所の公立の小学校に入っています。
今のところ近所の公立の中学校に入って、あとは本人次第ってイメージを勝手に描いてます。

「習い事」への違和感

我が幼少期(40年ぐらい前)より、習い事が盛んな気がします。
「なぜ、習い事をさせるのですか?」
聞いてみたいです。
学校で習うことを先取りして習わせる。
学校で習うときには「すでに習ったこと」になっているので、周りに優越感は感じれるかもしれません。
それが学習へのモチベーションを生むこともあるでしょう。
それ以外にどういう効果があるのか私にはイメージができないので、誰か教えてほしいです。
今まで早期学習の効果について納得できるお話に出会ったことがないからかもですが。

放っておいても成長するシステム

まねぶ

何歳ぐらいからでしょう。
1歳?2歳?3歳?
詳しくは覚えてませんが、とにかくよく親のマネをします。
フザけて私のマネをすることもあります。
話し方、怒り方は私よりはるかに接している時間が長い奥さんにそっくりです。
わからないことあったら、すぐにiPhoneかiPadで調べます(1歳ぐらいから見様見真似でスマホはイジってました)。
なんか意味わからないこと言ってたら、学校やら保育園やらの誰かのマネみたいです。
あと、動画を撮影してたら、口調がYouTuberになります。
テレビに出てくる芸人をマネしたり、CMソングを口ずさんだり。
外に買い物や外食に行ったら、帰宅後お店屋さんごっこが始まります。
とにかくマネの連続です。
彼はオリジナリティがない人間なのでしょうか?
人は自分が知らないもの、見たこと、聞いたことがないものは想像ができません。
そうやって社会や社会での行動、そして人間として行動をマネすることによってなぞって、日常を構築しているのではないでしょうか。
そうやって、勝手に成長していくのではないでしょうか。

遊ぶ

ずっと遊んでます。
というか、やりたいことをずっとやっています。
ごはん、宿題、お片付け、やりたいことを邪魔されると、時に泣きながら怒ります。
そこには理由がなく「ただ遊びたい」だけなんだと思います。
うちはひとりっ子なのですが、ひとりっ子ならひとりっ子なりにひとりで勝手に遊んでいます。
ウルトラ怪獣を戦わせたり、お人形さんにご飯あげたり、何してるか意味がわかりませんが、とりあえず自分で勝手に世界観をイメージして遊んでます。
これは私の幼少期の話になりますが、社宅に住んでいて、その中にコミュニティがあり、男子は男子で小学校に通う子同士でつるんで遊んでました。
体力も知力も違う中で、みんなが楽しめるルールを考える。
数学的には5 vs 5が平等ですが、それはあくまで全員が同じ能力値の場合なので、4 vs 6で鬼ごっこすることもあるでしょう。
そういう学校では習えない計算を学んだりしたような気もします。
我が子もたまたま全校生徒が100人を切る小学校に通っているので縦割り教育が盛んです。
私における社宅のコミュニティ的な役割を担ってくれたらいいな、って思ってます。

なぜなぜ期

いつ終わるかわからないなぜなぜ期。
知らないことは知りたい、好奇心の塊にいつからかなっていました。
母親に聞く。
スマホで調べる(漢字が読めないので、これはまだ苦手ですが)。
図鑑で調べる。
母親にうっとおしそうにされながら、何度も何度も同じことばかり聞きます。
そうやって頭に染み込ませているのでしょうか。

全ては成長するためにプログラミングされたものでは?

個人差はあるんだと思いますが、マネして、遊んで、なぜ?を確かめるのはどこの子どもでも共通項です。
人の本能的行動には意味があるはずなので、それらは全て「必要だから」行う行動なのではないでしょうか。
本人的には理由などなく、本能的にそうなっているのでは?と。
親として「勝手に成長するシステムを邪魔してはいけない」は意識します。

こどもの教育で意識してやってること

してはいけないことは伝える

彼にどういう能力があるのかよくわかりませんが、とりあえず一人で生きていけるようにサポートするのが親の義務ではあります。
考える力がなくてもしかり、あってもしかりなのですが、人から愛される力がないと楽しく生きていけないって考えてます。
100人全員から愛されなくてもいいし、それは無理だと思うのですが、誰かには愛されないとチャンスすらもらえません。

  • 挨拶をする

  • 周りの喜ぶことをする

  • 人の嫌がることをしない

あまり怒ったり、叱ったりしない私ですが、上記3点ができてない時だけは伝えます。
あまり聞いてもらえませんが…。
それこそ、子は親をマネぶので、自分が率先して上記のことをやらないといけないという意識も働きます。

たくさん話す

奥さんには否定されそうですが、いろいろ話をします。
話す力は話すことでしか身に付かないと思いますし、その中で自分の周りであった事象や感情を言葉にする力、周りを笑顔にする力を身に付けていってもらえればって考えています。

多くの体験をさせる

これも奥さんには否定されそうですが、いろんな場所に行ったり、旅行に行ったり、イベントに行ったり、いろいろ体験できる環境づくりは意識しています。
テレビで見た、友達に聞いたとかで、興味を持ったことは調べて、行けそうなら行きます。
また、どうしてもせまい世界の中でのイメージしか持てないので「こういうことやってみない?」ということもよく提案します。
私がサッカーやらフットサルをやってたりなので一緒に連れて行ったり、一緒に野球を見に行ったり。
映画やらライダーショーやらも「こんなんあるけど行く?」と提案し、一緒に行きます。
「ヤダ」って言われてまで無理にさせませんが、いろんな選択肢があることを伝えるのも親の役割だと思っています。

本は好きなだけ買っていい

これは単に伊集院光の父のマネごとなんですが、「パパといる時は、好きな本を買っていい」というルールにしています。
ただし、最近は本という名のおもちゃも多く、そういうのはパパジャッジメントでダメにしてますが…。
それ以外の本は何でもいいというルールにしています。
「図鑑が楽しいから買ってみたら?」と提案し、ウルトラマン図鑑、仮面ライダー図鑑を買って何度も何度も読んで、文字を読む力や調べる力も高まったんじゃないでしょうか。
興味なさそうな、植物図鑑、鉄道図鑑等も買って読んでます。
先日は「石の図鑑を買いたいって言うんやけど、意味わからんねん。パパから反対して。」と奥さんに言われましたが、私も石には興味ないですが、彼が興味があるんだったら買わない理由がないので買いました。
歴史や生物、社会のルーツを調べる時は石とかからも調べたりすると思うんですが、私がほぼほぼ知識ゼロなので、そういうことにも興味や知識を持てる子になるって素晴らしい。
興味をもったきっかけは、ゲームの「どうぶつの森」に出てくる化石とからしいですが、きっかけなんて何でもいいんです。
私は本だけじゃなく、映画でも音楽でもお笑いでも「誰かがつくったものを見ること = 誰かの脳の中を見ること」って思ってます。
たくさんの脳の中を見てみたいって思ってます。
本を見て、たくさんの人の脳の中を見て、外的視野が身に付けば、周りに気を遣えたり、人の深層心理が見える人になるかもです。

正解はわからない

正解はわからないんです。
アメリカのデータでは「学力の高い学校に行くと生徒の能力が上がる」という因果関係はほぼないらしいです。
「能力の高い生徒たちが学力の高い学校に集まる」だけだと。
日本もそうなんじゃないでしょうか?
そもそもいい学校ってのが意味がわからないし。
私、たぶんいい学校って言われる高校行ってましたけど、毎日明日起きたら死んでたらいいのになって思ってましたよ。
でも、これってどこの高校に行っても私はこんなものだったんじゃないでしょうか。
それは高校というより社会への不平不満憤りだったような。

本当はこの時期から塾に入らせて、中学からお受験させて東大やら医大やら目指させるのが正解なのかもしれません。
でも、私にはわからないのです。

大人になってから、たくさん苦しむ人にお会いしてきました。
本人は無自覚でも能力や人柄の問題で苦しんでいる人もたくさんいます。

人から愛され、周りの人を笑顔にし、困っている人がいたら手を差し伸べ、自分の力で生きていける人に育てばいい。

と思う私のこどもの教育最適解でした。

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