返マシュマロ置き場 19~26
マシュマロ返投ページ、その3です。
26個目 ■□□□□□□
2024/02/02 返マシュマロ
センス…欲しいですよね…
私自身はセンスなき人なのであれなのですが、最近改めて感じていたのは「やはり『伝わるデザイン』を読み込むべきなのだろう…」ということです。
先日、ラボの学生さんのスライドがほんとにわかりやすいなぁ!と感銘を受けてその秘訣(それはテクニックとして身に付けたのですか?それとも生まれつきなのですか?)を尋ねたところ、環境要因によるものであるとのことで、その源流は『伝わるデザイン』にあるようだった。
そんなわけで私も今度こそ頑張ろうと思ってたところですので、(もしもまだ読んでいなかったら)ぜひ一緒に頑張りましょう。
↓
進捗報告:
がんばると書いたのでがんばろうと思い、まずは下記2冊の本で「NGパターン」を確認することから始めてみました。
(前者は『伝わるデザイン』の著者による別本;後者はKindle Unlimitedで見かけて)
25個目 ■□□□□□
2024/02/01 返マシュマロ
この文脈で「貧乏性」という言葉が登場していることが新鮮で、しばらくそのことについて考えてしまった。
そして本題ですが、これは研究日誌noteのことですよね。
消していく理由のひとつは、研究日誌を全部残したままにしておくと論文自己紹介の記事などがすぐに埋もれきってしまうからです。自分の中では研究日誌以外の記事のほうが「誰かに読んでもらうつもりで書いている」度が高いことが多いのだけど、そういう真面目な(?)記事は滅多に書かない & 研究日誌ばかり更新しちゃうので、研究日誌だらけにならないようにテキトーなタイミングで古いのから消している。
ただ、それだけが理由ではない気もしていて、そっちの理由については自分でもよくわからないのですよねぇ。研究日誌をホームページに書いていた頃も、別に他の記事が存在していたわけではないけどしばらくしたら消していたし…。
記事を消す時にどういう気分になってるかを思い出してみると、自分の中で「終わり」ってことになったら消しているような気がしないでもない。たぶん書いた時点で8〜9割くらいは終わっていて、その残りも終わった頃に消している…のか…?うーん。書く理由もわからないし消す理由もわからないんだな。
ところで、この前まちがえて一番新しい日付の研究日誌を消してしまって、そうするとそれ以前の日誌も消さなきゃいけなくなり(いけないわけではないのだが)、で全部消したらなんとなく新たに更新する気分になりにくくなってしまった今です。
↓
追記:
記事をしばらくすると消す理由、残っていると自分が何度も読んじゃうから、というのもあるかもしれない。と気付いた。
24個目 ■□□□□
2024/01/17 返マシュマロ
後半の質問部分について。遠くおぼろげな記憶も含めて慎重に振り返って考えてみたのですが、少なくとも近年は、共同研究をしていても「目指す方向性」は基本的にみんなちがうものだと思っているかもしれません。ただ、そういった方向性や意見の違いが原因で自分の研究(自分が主著者になる論文)が「不本意な形で終わる」という経験をしたことはないと思います。
なんか、研究が論文になるまでの過程を今いる時点から振り返ると、論文を投稿した時のエディター・レビュアーとの考えの違い、そして共同研究者の方々と一緒にそれらを乗り切った思い出(?)が濃すぎてそれ以前のあれこれは薄れてしまっているような気もした…。でも査読コメントへの対応を含めたとしても、納得する形で終えられてはいると思います。たぶん。
…とかって考えつつマシュマロの前半部分に戻ると、研究の売りにしたい点について意見が違っていること自体は問題ないというか、むしろ自分の考えを持てているのは素晴らしいことだと感じました。ただ、自分が違う考えを持っている(そしてモヤモヤしている)ことや先生の考え方の背景などについて、じっくり話し合える状況かどうかで悩ましさがかなり違ってくるのかなぁと想像しました。
23個目 ■□□□
2024/01/08 返マシュマロ
おおっ、カフェベン好きな人に初めて会った気がします。なんだかうれしい。あ、会ってはいない。存在を知った…?
今気づいたけど、そもそも誰かとカフェベンの話をすること自体がほとんどないかもしれない。だとすると次のチャンスももうないかもしれないので、私もカフェベンのいいところについて書いてもいいですか。
……
…って一度つらつら書いた後でハッとなったんですが、お店側からしたらカフェベンは嬉しい行為ではないはずだから、あんまりこういうところでうきうきと書かないほうがいいのかな…と思い直して消しました。
勝手に書いて勝手に消しただけの前置きおわり(すみません)。
作業の種類は特に決まっていないのですが、申請書を書く時期は特にカフェベン依存度が高まる気がします。
22個目 ■□□
2024/01/08 返マシュマロ
ちょっと方向性が違うかもしれないのですが、ある時期からビタミンサプリを必ず持っていくようになりました。ビタミンさえ摂っておけばなんとかなるんだと思い込んで体調を崩さず乗り切るためです。
21個目 ■□
2023/12/29 返マシュマロ +(2023/12/31 追記)
前にも同じ質問をもらったことがあったような?と思ったけど、少し違ってた↓
「なんにもする気が起きない時」は確実にあるのだけど、そう言われてみると「研究やそれに関わる作業」限定でしたくない時、というのはない気がします(ほんとかな…)。
胸を張って言えることではないんですが、おそらく私の生活では「できることならなんにもしたくない」欲が土台を作っており、「何かする」の中では研究をするのが一番好き、という感じなのだと思っています。なので、研究をしたくない時 ≒ 他のことも何もしたくない時、となっているのかも。
しかし最近たびたび考えてたのですが、自分がこういうこと↑を書いてる/言ってる時に「研究」が何を指しているのか問題がありますよね…
今回いただいた質問についても、「研究に関わる作業」に例えば事務書類手続きなんかも含まれるのなら、それは常に「したくない」ってことになるもんなー。
(追記↓)
上に書いた回答がなーんか正確じゃない気がしてきたので、書き足しさせてください。
「研究」という括りで「したくない」「する気が起きない」時
→ たぶんない「研究に関わる事務関係の作業」を「したくない」時
→ 常に
というのは上に書いた通りなのですが、もう少しよく考えてみると、
「研究」に含まれるうちの何かを「したくない」時
→ 「研究」が指す範囲次第では、常に「したくない」なこともあるかも「研究」に含まれるうちの何かについて「したい」と「したくない」が切り替わること
→ たぶんない「研究」に含まれるうちの何かを「したい」のか「したくない」のかわからない時
→ よくある「研究」に含まれるうちの何かを「する気が起きない」時
→ よくある
という具合で、「したくない」と「する気が起きない」って似ているようでだいぶちがうんだなと思った。
そして、「常にしたくない」とはっきりしていることだったらそもそも自分の気分に問い合わせること(する気分かどうか)自体をしないので、むしろラクなんだねぇ…。発見。
20個目 ■
(ついに焼きマシュマロ■が1個できた!)
2023/12/27 返マシュマロ
亜南極のポゼッション島(キングペンギン調査地)とスウェーデンのFågelsundet(オニアジサシなどの調査地)が最初に思い浮かびました。ぐっっ…!とくる風景部門だと思います。
風景の写真がほとんどなかったけど、調査写真集↓
19個目 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□
2023/12/15 返マシュマロ
今、色違いのアヒルタオルがAmazonカートに入っています(クリック待ち)。
今まで考えたことがなかったのですが、「おいしかったなぁ」「たのしかったなぁ」と思うことはあるけど、「食べてよかったなぁ」「行ってよかったなぁ」と思うことってないような…え、なぜ…??
食べたものとか行った場所は残らないものだからだろうか。いや、でもそれだとノースリーブスライブも残らないよな。なんだろう、「買う」という決断に特有の何かがあるのか…でも食べものだって旅行だって買って手に入れてるわけだしな…。もしくは「買ってよかった」という表現に慣れすぎている?
そして「売ってよかったもの」についても、物を売った経験がほとんどないので(大昔にブックオフに行ったくらい?)思いつかなかったです。
答えゼロですみません…。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?