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社会人3年目、親がしている支援は「朝起こすこと」だけ

小学1年生のときにひらがなの読みでつまずいた息子に対し、これまで多くの支援とつなげることを担ってきたと語る母の渡辺冬美さん。
障がい者雇用で地元の電気関係の会社で働きはじめて3年目。自らの困り感に向き合いながら実務経験を積む息子をみて思うのは、「がんばってきてよかった」ということ。
小学1年生から社会に出るまでの十数年にわたり支援についてうかがいました。

お話を聞いた方:渡辺冬美さん(仮)
当事者との関係性:母

当事者の現在の年齢:20歳
読み書きが苦手だと気づいた時期:小学1年生
専門機関での判定(診断):あり
読み書きの程度:読みの速度は「小学1年生より遅い」、漢字を適切に使えず、文章を書くときはひらがな主体になる

いい先生たちとの巡り合わせで、支援がつながっていった

ー読み書きが苦手だと気付いたきっかけから教えてください。

小学1年生の夏休みの宿題です。
夏休みの初日に家でやらせてみたらまったくできなくて、驚いてすぐに担任の先生に相談に行ったのを覚えています。その場で、担任の先生が「一緒にやってみよう」と息子にワークの文字を読むように促したところ、1行も読めませんでした。
ただ、すぐに支援につながるということはなく「まだできる子とできない子の差も大きい時期なので様子を見ましょう」と言われました。
ひらがなを覚えるまでに、小1の3月頃までかかりました。
様子を見ましょうと言われても、親としてなにもせずにいることもできず、くもんに通わせてみたのですが、くもんは子どもの学習ペースにあわせて進めるスタイルなのでいつまで経っても進みませんでした。
おっとりした性格の子で、本人ができていないことをあまり意識せずにいてくれたのが幸いでした。
 
担任の先生は、夏休みの相談以来気にかけてくださっていたようで、授業でひらがなが終わって進むなか、息子に対してくり返しひらがなのテストをして覚えているかチェックをしてくれました。
 
ーそのころのお気持ちを覚えていますか?
 
かなり戸惑ったことは覚えています。快活な子ではないけれど、できない子ではないと思っていましたし。
下に妹がいるのですが、妹は4歳ごろからお手紙交換などをして、文字にも興味を持っていました。息子はそういうことはしていませんでしたが、「男の子だからかな」と気にもしていませんでした。
私自身も本を読むのが好きな子どもで、教えられる前に字が読めるようになっていたので、誰でもそのうち読めるようになるだろうと思っていて、まさか読めないとは……。

ー「様子見」からどのように診断や支援につながっていったのでしょうか?
 
なんとかひらがなは読めるようにはなったものの、たとえば算数においてもたし算・ひき算の計算はできても、文章問題が読めないからテストでは点数がとれずにいました。
小学生の簡単なテストができない、勉強ができないということに、息子よりも私のほうがまいってしまって、担任の先生に「なんでもいいから検査をしてほしい」とお願いしました。
たまたま2年生のときの担任の先生は、通級に通う生徒を担任したことがあり、発達検査についてもご存じで、WISCを受けさせてもらえました。
臨床心理士の方からは「読み書き障害の傾向が強く、支援の必要がある」と結果について説明を受けたのですが、じゃあどういう支援があって、どういう手順を踏めばそれが受けられるのかといったことは教えてもらえませんでした
当時、息子が通う小学校には特別支援学級がなく、学校からは学習障害だけでは特別支援学級を開設することはできないと言われました。ただ、その代わりに支援員さんをつけてくれました。

小学2年生のときに受けた検査結果および所見の一部

 3年生で担任してくれた先生は、ヨーロッパの日本人学校から帰ってきたばかりということもあってか、柔軟な考え方をお持ちでした。
息子は3年生でもまだ九九を覚えきれていなかったのですが、3年生の算数の授業で学ぶかけ算・わり算には、必ず九九が必要です。先生が手書きふでばこに入るサイズの九九表をつくってくださって、息子はそれを見ながら計算をしていました。
「九九を暗記していること」ではなく、「かけ算・わり算をやり方を理解しているか」を重視して見てくださったんだと思います。
もう10年以上前に、東北の田舎で手厚い支援が受けられたのは運がよかったと思います。
 
そうした中、小学3年生の途中から校外の通級支援教室に通えることになりました。
その通級の先生は、特別支援学校から出向してきた先生で、今思えばこれもまた、たまたま非常に知識のある先生にあたったのだと思います。
その先生にアドバイスを受けて、小学5年生頃からは「代読」でテストを受けるようになりました。「代読」によるテストは中学校にも引き継いでもらい、公立高校の入試でも代読をしてもらいました
 
ー小学校ではじめた代読が中学、高校受験にまで引き継がれたのですね!

はい。ただ、これは私がかなり口酸っぱくお願いしたからだと思います。
1,2,3年生とかなりこまやかに引継ぎをしてくださっていたのですが、4年生になったとたんに引継ぎがなくて困ったため、面談をして改めて説明しました。これまでがたまたま引き継がれていただけで、新しく担任になった先生にはきちんと説明をしないといけないんだと学びました。
以来、小学5年生から高校2年生までの7年間、毎年4月の最初に面談を申し込みました。
4年生のときに、担任の先生1人に伝えても、理解が浅いとうやむやにされると知ったので、5年生以降の面談は必ず保護者1対先生2と2人態勢でお話を聞いていただけるようにお願いしてきました。同席されるのは教頭先生のときもありましたし、特別支援教育コーディネーターの先生のときもありました。
 
ーこうした支援に対して、もともと知識をお持ちだったのでしょうか?どういう支援を受けられると学びにつながるのか判断するには、専門的な知識も必要だと思います。
 
代読を導入してくださった通級の先生のおかげです。
私自身は、最初「代読」すらも受け入れられず、「ただでさえ読めないのに代読してもらったら、本人は読まなくなるのにいいの?」と抵抗がありました。
その先生から、大事なのは読むことじゃなくて理解すること。代読によって読む負担を減らしたら内容が理解できるようになる…と教えられ、説得される形で導入しました。
私は、そのときはまだ続けることは考えておらず、一度やってみましょうかとはじめたのですが、その負担軽減により国語以外の算数、理科、社会に関しては理解が進み、成績が少しずつよくなっていきました。
 
通級の先生には、息子がどういうところが弱いのかを説明していただき、理解が深まりましたし、息子にとって通級は安心できる大人とかかわりあえる場所になっていました。その経験は、今も活きていると思います。

高校受験2週間前に試験での合理的配慮が決定!

ー中学校への合理的配慮の引継ぎは、中学校の先生に申し入れることでスムーズに実現したのでしょうか?
 
中学校までは、学校と通級、保護者からの申し出で話が進みました。
大変だったのは高校受験での配慮です。
結果として、高校入試では別室対応、問題用紙の拡大、問題への総ルビ、時間延長、代読をしてもらいましたが、この実現まではかなり苦労しました。
隣県に元大学教授で学習支援をしている先生がいると聞き、その方にご相談に行ったりもしました。また、高校入試の配慮申請をするために少しでもプラスになればと精神障害障害者保健福祉手帳も取得しました。
 
公立高校の入試の配慮申請において、私たちが住む自治体では診断書添付の義務はなかったのですがその先生のアドバイスで診断書をつけて提出しましたが、事前の相談では中学校側からは配慮申請しなくても合格できるだろうと言われ、県の教育センターからも「前例がない」と言われていました。
配慮申請を提出した後、県の障害福祉課にあった合理的配慮の苦情窓口に電話して、「合理的配慮を申請して高校受験をしようとしているが、返事がよくない。受験は人生で一度きりです、取り返しがつかなくなる前に県の教育委員会に伝えてもらえませんか」とお話ししたところ、快諾してくれました。
その後、中学の校長先生と受験先の高校の校長と県の関係者で話し合いを重ね、3回目でようやく受験で合理的配慮が受けられること、その内容が決まりました。
受験のわずか2週間前でした。
県単位でほぼはじめてのことだったようで、問題用紙のルビはすべて手書き。ただ、すべて要望通りではなく、代読は本人が指さした範囲を読む…という対応でした。
そこからの2週間で過去問を拡大コピーして家で練習しました。
 
ー本番の2週間前!それは大変でしたね。お子さん自身は、お母さんがそうしてあちこちに相談して支援につなげていることはご存じだったのですか?
 
息子にはなにも言っていませんでした。
受験で大変だったのは、実は息子が志望校を中3の10月頃に変えたことも一因で……。
名前を書けたら入学できるレベルの高校を受験しようとしていたところ、「友達と同じ高校に行きたい!」と言い出して。人気のある高校でしたし、レベルももともと受けようとしていたところより高い。
内心かなりハラハラしていましたが、息子がやりたいと言ったことに対して、私ができるのは間をつなぐことだけですから。結果としては、それでよかったと思っています。
 
ーずっとお子さんには伝えずに支援をつないでこられた理由をお聞きしてもいいでしょうか?
 
身近にアルコール依存症、買い物依存症のひとがいて、これらは家庭内暴力やネグレクトの二次障害としておこるものだと関連の本を読み知りました。学習障害にも二次障害があると聞き、それだけは避けたいと思い、なるべく先回りして息子には伝えずに支援をつないできました。
同じように、下の妹にも息子の障害のことは伝えていません。兄に学習障害があると知り、娘自身への学びに悪い影響が出てほしくないなと思い…。
余談ですが、一度娘に「お兄ちゃんに苦手なものあるって知ってる?」と聞いたところ、「虫でしょ」と言っていました(笑)
 
息子はおっとりしていて、話していても言葉がぱっと出てこないタイプです。
学習言語は理解しているのですが、話すときの語彙が少ないんです。
なので、息子が自ら先頭にたって自分の意志を伝えたり、先生とやりとりするのは難しいと思い、ずっと学校と子どもの間にはいってきました。
でも、高校2年くらいから息子自身が先生とやりとりできるようになり、自分の意見を伝えていて、子どもの成長を待つことも大事なんだなと実感しました。

がんばったらできるんだ、自信につながった資格試験

ー高校生活はいかがでしたか?
 
息子が進んだのは工業高校で、「ジュニアマイスター」という制度がありました。
在学中に資格を取得すると、資格の難易度ごとにレベルがあって表彰をしてもらえるという制度です。
各自で資格試験に申し込んで受験をするのですが、息子は資格マニアのようになり、電気工事士1種・2種や運転免許をはじめたくさんの資格をとりました。読み書きが苦手でも、自分なりに学習を積み重ねることで、こうした結果につながるのだと思いました。
その結果、ジュニアマイスターの特別表彰という難易度の高い表彰を受けられて、私も驚きました。
息子にとっては、自分はがんばったらできるんだという自信にもつながったみたいです。
コロナの時期に電気工事施工管理技術検定という試験を受けにはるばる仙台まで連れて行ったときには、まさか受かると思っておらず私は「記念受験だ~」なんて言ってしまったのですが、息子は高校の先生にさまざまな資格試験の難易度やわからないことを相談していて、合格するつもりで受けていたので、あとで悪いことをしたと反省しました。
息子にそれだけの力がついていることに、私自身がまだ気づいていなかったんですね。
 
ー工業科で資格をたくさん持っていたことが就職にもつながったのでしょうか。
 
どうでしょうね。高校の先生が複数の企業に話を持ち掛けてくれたようですが何社にも断られたと聞きました……。
息子の希望もあり、就職は障がい者雇用で探していたのですが、精神障害での雇用への偏見は根強いと感じました。
最終的には地元に根付いた電気関係の会社に正社員かつ障がい者雇用での採用が決まりました。幸いなことにお給料は通常の求人と同じ額をいただけているようです。
障がい者雇用だということで、入社から2年間は社労士の方との定期的な面談もあり、精神的な安定にもつながりました。
今も働く中で、メールでのやりとりなどで苦労はしているようですが、なんとかやれています。他県にトラックを運転して自分が組み立てた製品の納品に行くなど仕事も色々と任されてきているようです。
今、私が息子にしていることは毎朝起こすことと、たまに人間関係に苦労しているという話を聞くくらいです。
たまたま恵まれた環境を得られて運も大きいと思いますが、がんばってよかったと毎日思います。2年間の実務経験を得て、これから先もなんとかやっていけるだろうと思っています。
 
専門機関などが通える範囲にない東北地方で、10年前にこのような支援を受けていたということが、みなさんの参考になれば幸いです。 

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