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障害を作り出しているのは、まわりとの関係性受け入れられる柔軟な世界を探したい

得意なこと、好きなこと、夢中になれることで生きていって欲しい。
普通に惑わされず生きる力を身につけさせるため、本人にあった勉強法はプロにおまかせ。
家は安全地帯だから、苦手なことの話は一切しない……と言い切る咲田さんに、「苦手」の捉え方についてうかがいました。

お話を聞いた方:咲田さん(仮)
当事者との関係性:母

名前:咲田みなとさん(仮)
現在(取材時)の年齢:10歳 / 小学5年生
読み書きが苦手だと気づいた時期:就学前
読み書きの程度:カタカナを勉強中。自分の名前は漢字で書ける。
専門機関での判定(診断):あり

ー就学前に読み書きが苦手だと気付いていたんですね?

読み書き以前に、コミュニケーションで「おや?」と思っており、年中さんでASD(自閉スペクトラム症)の診断がつきました。
なので、LD(学習障害)もあるだろうな~と思っていた、という感じかな。
年中の時点で文字への興味は一切なし。その後も字と音がつながっていることへの解像度が低く、伝えるための手段が文字じゃない人なんだなと思いました。
「あ」という形に「a」という音がついていること、それは「雨(あめ)」の「あ」なんだよということがつながらないし、どうでもいいし、つまらない。

成長のなかで、文字の認知が独特なんだとわかってきました。
文字を見たら、まず頭のなかで「あいうえお表」を思い浮かべるそうです。
で、「あいうえお表」の大体このあたりにこの文字はあるから……「あ・か・さ・た・な・は……は行の『は』だ!」という認知パターンなので、それは読む作業はめっちゃしんどいよな~と納得しています。

ー読み書きの検査をしていない理由を教えてください。

検査の必要性を今のところ感じていないからかな。
就学前にASDの診断が出ていたこともあり、「どこで学ばせるのがいいのか」を考えて引っ越したんです。発達支援に力を入れている都内某区、なおかつ小学校特別支援教室の「拠点校」となる小学校を調べ、その校区に。
ほかの地域では、通級の先生に専門性がなかったり、先生のキャリアとして通級担当になるのはよくないことであるという認識がある場合もあると聞いていますが、ここの先生はみんな熱心で、ご自身の専門性を高めるための勉強もされています。

息子は普通級に所属しているのですが、2年生のときに通級で担当してくれていた先生が3、4年のクラス担任になりました。
息子本人は自分が要支援だということをわかっていて、人に助けを求めることができる子です。「ぼく、これできないからみんなやって~」と言えるタイプで、普通級をエンジョイしていました。
教科書が読めないことを気にしはじめたのは3年生の冬頃なのですが、担任の先生がすぐそれに気付き、「耳からの理解が早いから」とデイジー教科書(※)の利用を提案してくれました。
導入するとなってからのスピードも速く、翌週の通級ではアプリの使い方を教えてくれ、授業についていけるようになりました。
デイジー教科書は音声読み上げなので、まわりの子にも音が聞こえてしまうので、その音がほかの子の学びを邪魔してしまう可能性は気になっていたのですが、特にまわりが気にしている様子がないとのことでヘッドフォンも使っていませんでした。
板書もiPadで撮影しており、それをマネして写真を撮っている子もいるそうですが、それも問題ないこととして捉えられているので、学校全体で認識が進んでいるように思います。

5年生に進級してから「全員がヘッドフォンとタッチペンを持ってくる」ことになり、息子だけが目立つことなく自然と環境が整備されました。
そうした必要な配慮が得られている環境もあり、またそもそも診断してラベリングする必要性を感じていないので診断は不要だと思っています。

ーいろいろな方に話を聞いてきましたが、これほど学校環境が整っているという話ははじめてうかがいました。ご自宅でのトレーニングなどはされていますか?

家は安全地帯ですから、苦手なことの話は一切しません
学校、通級、療育に全部お任せしています。教材選びにも関わっていません。

小学校入学前に引っ越しをしたように、そうした環境整備は大事だと思っているので、今は少しずつ中学校の情報収集をはじめています。学区的に中学校も拠点校で、センサリールームというクールダウンのための部屋もあったりと環境は悪くなさそうですが、先生が変われば雰囲気も環境も変わるので、もし合わないようであればフリースクールでも不登校でもいいんじゃないかと思っています。

私もパートナーも、一般的なルートでなくても、好きや得意を活かして人生を送る方法はいくらでもあると思っています。
通常の学校での困りごとが困りごとにならない社会もあるし、障害はまわりとの関係性で生み出されてしまうものだと思うので。
本人は絵を描くのが好きだし、物語を紡ぐのも得意。もちろん厳しい世界だというのは仕事で関わってきたので深く理解していますが、芸術的な方面にチャレンジしてもいい。
文字がだめだったら歌ったり踊ったり描いたりしゃべったりしたらいいんじゃないかと思いますけどね。「みんなとおなじ」じゃない個性が大事にされる世界。そこを選ぶのは少数派かもしれないけど、「好きなことを追求する」ことであとからお金がついてくるケースもたくさん知っているのでチャレンジしたらいいと思います。
我が家は「みんなとおなじ」にはそもそも興味がない人ばかりなので、それは強みかもしれませんね(笑)。人と比較ばかりしてると幸せは遠のくと思うので。
世間を変えるのは難しいし、変わっていくとしても時間がかかる。だけど変わるべきなのは世間の認識のほうだと思っています。もちろん最低限社会に適応できるようなルールは教えていきますが、それは普通の子育てと同じです。子どもを普通に当てはめて矯正していくより、合わない場所は気楽に変えて解決したらいいという考え方でやっています。

ー読み書きが苦手だということが決定的なハンデにならないという考え方は、どこから生まれたのでしょうか?

どこからかはわからないなあ。
私たち家族はもともとどちらもちょっと変わった生き方をしてきたので。
読み書きが苦手な子に対して、文字での学びを押し付けるのが「ふつうの社会」なんだとしたら、そっちのほうがおかしいと思ってます。
そもそも今の社会において、「漢字が書けない」ことは問題にならないですよね。
手書きで文字を書く機会はかなり減っているし、書くときに思い出せなくてスマホで調べることもしばしば。「漢字を書けること」が価値を失っているので、そろそろ読み書きについては再定義してもいいんじゃないかな。もちろん読み書きに付随して学んでいくことも多いし、書字障害と覚えた漢字を忘れるのは本質的に違うことだけど、文字は学ぶための手段であって、それ以外の学び方をもっと自由に選択できるようになってもいいのでは。
読み書きが苦手なことで起きる問題は、文字が読めない/書けないことじゃなくて、それに不随しておきる「みんなより劣っている」という感覚だと私は思ってます。
学校で手書きのテストをやめれば、その感覚を持たずに済む子は増えるんだから、その子にあわせた学習成果のチェックの方法があればいいのにって。

ーだからこそ「家庭は安全地帯」を貫いていらっしゃるんですね。

子どもの幸せと親の幸せは別物ですよね。よくわからない社会規範や親の幸せを押し付けることが障害を生み出しちゃうこともあるし。
こういうことを言うと、私が達観していて子育てが上手みたいに受け取られるかもしれませんが、そんなことはないですよ。うるさいとか片づけないとか、何度言ってもくり返されるとイライラします。そこはふつうにめっちゃ怒る。
だけど、人生の選択は柔軟にしたいんです。子どももだし、それは大人である私たちも。

今の時点では、彼は好きなことをやれていたら幸せなんです。でもだんだん人と比べたり、自分にできるんだろうかと不安に思うような客観性も持ち始めている。どんな道を選ぶにしても、子どもが柔軟にチャレンジするには、親が解脱しないとなーと思います。その上で私は好きを追求していくことを強くおすすめしています。

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