見出し画像

スタッフ研修の感想(根拠と中動態に出会う)

全3回、打ち合わせやコアスタッフとの意見交換も含め、秋から年を越して実施したスタッフ研修が終わりました。
スタッフも開所時から数えると3倍に増えた8年目。
チームも大きくなり、コアスタッフからの発案と企画進行でこうした連続した研修の機会を持てたのはとても感慨深いものがあります。
同時にこのタイミングで引き受けていただいた山口久美さん、とてもありがたかったです。

(講師の山口久美さんの落語で学ぶ自閉症↓)


発達障害の領域で科学的根拠や理論的な説明をしてもらえる研修はまだ障害福祉の分野では少ないと思います。
支援の質というものがあるなら、物理的な環境や、関係づくりについて準備に時間かけることができること、そのことが質を左右するとぼくは思っています。
そして、その人が置かれている環境や暮らし、今に至るまでの経過に対して「こうすればうまく」という先入観は避けて、これからの生活や活動づくりに向けて白地図を広げながら、共に開いた人としてまずは目標となるピンを一緒に打つような作業も必要かもしれません。
その「ピン打ち」は、あるメンバーにとっとは具体的なキーパーソンかもしれないし、別の人にとってはホワイトボードでつくったカレンダーや飲み忘れ防止のピルケースになるかもしれません。


支援というのは上手くいくかわからない。
だから「こういう支援の方が上手くいくんですよ」って、支援者自身の思いや勝手な期待を相手に乗せるているだけなのか、何かの根拠や理論があってそうしたいんのか、ちゃんと根拠となる前提を共有がないとわかりづらいところがあります。
以前から「それ何の根拠があってそう言っているんだろう?」そういう根拠なき自分語りみたいな意見に違和感あったのだけど、それがまさか、今回の研修で解決するなんて。
(あと、これは愚痴だけど、根拠ない意見も、根拠を共有できない現場では相対化してしまうんだよなぁ。。。)

もう一つ、面白かったのは、なんで「待つことがつらい」のか、ということ。
「休む」「寝る」「待つ」ことは、能動的な行動を表しているようで、実は受動的でもあることで、その2つの状態に引き裂かれるような、どっちつかずなんだけど「そうである」ということがある。それは、とても苦しいという話は、書籍『居るのはつらいよ』なのか?を思い出しました。そして、その「待つ」構造をつくり出している「ヒト」「モノ」「コト」を具体的な方法をもって変えなければ、そこで生じている関係による障害も変わらない。
だから権利擁護や虐待の研修なんかでよく「ちょっと待っててね」が悪しきものとして紹介されるんでしょう。


だけど、解決すべきは「そうなってしまう」構造の方で、そのことは制度設計から見渡して、どいうことが現場の「ちょっと待ってて」を生み出しているのか、そ「れはこうした障害特性や理解の研修で得られるものとはまた別の「構造」があって、その親元についてももっと考えて具体的なアクションを起こしていかなければと思ったりもしました。

この記事が参加している募集

最近の学び

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?