対称性の破れと美について

 素粒子物理学の用語に『対称性の破れ』というのがあって、我々の世界の一番小さい領域では、本来、対称であるはず形状がほんのわずかだけ崩れていて、それによって対称でなくなり、そのことがこの世界の様々な特性を生み出しているという理論だそうだ。

 その話を聞いた時、私は美しさにおける対称性についても同じではないかと思った。例えば、人間が美しいと感じる顔は、左右均等の対称的な顔に対してである。美男美女と呼ばれるような顔というのは左右のバランスが整っているのである。しかし、現実には完全に左右対称な顔の人間などいない。だれしもが顔の左右のバランスが崩れている。片方の眉だけが上がっている人もいるし、どちらかの目でしかウインクができないなんて言うのもそうである。であれば、人間はそのアンバランスさに対して醜さを感じるのかというと、必ずしもそんな事はなくて、そのわずかな非対称性に対して、むしろプラスの感情、その対象となる人間の持つ個性や親しみやすさや言葉では表せない魅力を感じとるのである。取っ付きやすい雰囲気と呼ばれるものはおそらくこれに近いのだろう。
 ”完璧なのは 可愛くないでしょう? 見逃してネー”っていうジュディマリのあの歌詞は、つまり対称性の破れを一言で言い表しているのである。ま、あれは性格的な事を言ってるのだと思うけど。

 対称性と美の関係は人間の顔に限った話ではない。例えば、バイクの造形に置いてもそれは同じだと思っている。バイクの形状は左右対称であるほうが、重量バランスや空気抵抗の面からも有効であり、それは動力性能や運動性能に良い影響を与える。しかし、実際のバイクというのは左右どちらかからマフラーが出ている。性能だけを追求するならバイクの背面の真ん中から排気するような構造にしたほうがきっといいはずである。もちろん、技術面やコスト面からできない理由もあるのだろうが、側面についているマフラーという部品、それがバイクにおける対称性の破れをもたらし、結果として個性や魅力の特性を生み出しているように思う。
 だからこそ、バイクのデザインと美しさの観点におけるマフラーの取り扱い方は重要である。マフラーがどのようにそのバイクの形状の対象性を破り、そのバイクの特性を表現しているのか。バイクの美しさや魅力とは、そこから発生するように思うのである。だからこそ、バイクのデザインを考える時、マフラーの形状、レイアウトは慎重かつ大切に扱われるべきである。
 (もちろん、左右両側に配置されたマフラーのバイクもあるが、それらは逆説的に、つまり、マフラーによって対称性を破るのがバイクの造形の魅力であるということを理解した上で、左右に対称的なマフラーを配しているという人工的な造形美を備えたデザインの美しさを見る側は無意識のうちに捉えているのである。)

 人の顔に限らず、バイクのマフラーに限らず、すべてのデザイン、形状、レイアウトにおいて考える時、何が対称性を破る要素であるのか、あるいは、何を用いて対称性を破るのか、を掌中にした上で事を進めていけば、きっと誰しもが良いと感じる、魅力的なものが出来上がるはずである。

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