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小説 電子禁煙 第三章 原因と結果

 煙草の売り上げというのは、たばこ税が増税になる前後で、駆け込み需要による急上昇と、その反動による急落をし、その後は増税を期に禁煙する人がいるせいで、結果としてはやや減少となる。しかし、これは長期的な視点で見た場合の、例外的な変動であり、逆を言えば、通常は、一年を通してほぼ横ばいの売り上げを保つ。季節や気候、行事、イベント、社会情勢、メディア、景気、流行などによって極端に売り上げが上下することがあまりないのが煙草という商品の特徴である。もし、増税以外の理由で売り上げが明らかな減少をしているとなれば、それはなんらかの異常事態が起きているサインということになる。
 現在、NTは全国に計13の支社を持ち、月に一度、オンラインでつなぎ、各地の営業担当責任者が一堂に介する定例の営業会議が行われている。ここで、それぞれの地区の先月の代わり映えしない売り上げ情報が報告され、それに基づいて今後の代わり映えしない営業方針の決定されるのである。
 ところが今月は事情が違った。すべての支社において、売り上げが前月比および前年比の両方でマイナスとなっていたのである。増税のタイミングでもないのに、全支社の売り上げが全面的に減少することなど通常あり得ないことであり、営業部門を取り仕切るヤマモリはこれらの報告を聞いているうちに、なにか『異常事態』が起こっているのではないかとの不安を抱いた。未知の、把握できていないなんらかの原因があるに違いない。これはいかなる手段を以てしてでも発見し、テコ入れせねばならない。とはいえ、今月だけの偶然というも可能性は低いながら考えられないわけではなかったから、ヤマモリはこの焦燥感を自分の心の中だけにとどめておく判断をした。

 営業部長ヤマモリは、毎朝、通勤途中に駅構内の喫煙ルームに立ち寄っては、一服するのを日課にしている。自身がヘビースモーカーで少しでも時間があれば吸いたくなってしまうということもあるし、お客様がどのように煙草を嗜んでいるか、格好の市場調査の場所でもあった。このルーティンはヤマモリにとってすっかり朝の生活リズムの一部になっていた。
 ある朝、ヤマモリはいつものように立ち寄った喫煙ルームに、利用者が少ないことに気が付いた。ベンチには空席が目立ち、多くの人が取り囲むふたつの灰皿も今日は片方に数人いるだけである。もっと多くの人がいたはずなのに、と心がざわついた。そうして、ここ最近の喫煙ルームの様子をを思い出してみると、今日が突然ではなく、徐々に減ってきていたような気がしてきて、頭の中で名探偵が右往左往し始め、岸壁を侵食する波の映像が猛スピードで再生された。ざわつきはよりギザギザしてきた。そんな違和感を抱いたまま乗り込んだ電車の中も、以前とは様子が違って見えてきた。
 乗客がスマホを触っているのはずいぶん前からだが、その多くが、画面に向かって口を近づけている。その仕草はすこし照れ臭げで、なるべく目立たぬようにしているのか、背中を丸めて小ぢんまりとした格好で。こちらでもあちらでも、人々はいったい何をしているのだろう。ヤマモリは正義感が強いので、他人のスマホをのぞき込むなんて悪事は絶対にしない人であったが、今回だけは好奇心のほうが勝って、前に座っていた乗客の画面をちらと覗いた。「煙だ」とヤマモリはすぐに気が付いた。煙草の煙だ。でもそれ以上のことは分からなかった。画面の中の煙草を見つめて人々は何をしているのだ。
 会社に着いたヤマモリは、部下に、今朝見たスマホの光景のことを話した。部下の中にはアプリの事を知っている者も多くおり、ヤマモリはそこで初めて、喫煙できるスマホアプリが世の中を席巻していることを知ったのだった。この時すでに、電子煙草NEOのダウンロード数は600万に届こうとしていたから、むしろ、その存在を知らないヤマモリのほうが少数派ですらあった。ある部下が言うには、そのアプリは画面に煙草と煙が表示されるだけなのになぜか中毒性があり、つい繰り返し起動してしまうのだという。しかし、中毒性の真偽や仕組みについては、誰もわかっておらず、「不思議なんですけど」と皆が首をひねるばかりだった。
 部下からアプリの話を聞いて、ヤマモリはここ最近気になっていたことのすべてがつながったような気がした。先日の営業会議の資料にあった右肩下がりの売上グラフ、人がまばらな喫煙ルーム、そして、スマホに向かって息を吹きかける人々。ヤマモリはこれらすべてが、その正体不明の喫煙アプリによるものであると直感的に推察した。アプリによって煙草を吸えるようになった人々はやがてわが社の煙草をを買わなくなってしまう。このまま、そのアプリを放置すれば、この会社の売り上げの急落をもたらすに違いない。今のうちに何とかしなけれならない。ヤマモリは焦り始めていた。

 善は急げである。午後の重役会議で、ヤマモリは早速この事を議題として報告した。
 「というわけで、先月の売り上げ減少の件につきましては、この喫煙アプリによる影響がある程度あるのではないかと考えております。今後の普及次第では、わが社の売り上げにさらなるマイナスの影響を与えかねず、今のうちに何らかの対策を取るべきではないかと考えております」
 ヤマモリの心配に反し、出席していた上層部の反応は皆一様に鈍かった。多くは「スマホアプリが喫煙の代わりになるわけがない。科学的な根拠もはっきりしていないのだから、今はどうすることもできないだろう」というものであった。スマホもアプリもわかっていない老人の無知を差し引いたとしても、これは至極当然の反応であり、「煙草を吸えるゲームなんて本当にあるのか」という指摘も決して非常識なものではなかった。今なお、アプリを作った本人以外、この国のだれもがあのアプリの仕組みを理解していなかったのだから。ヤマモリの意見に賛同したある役員からは、「これは間違いなく脅威であり、今のうちに芽を摘み取り、つぶしてしまうべきだ」との急先鋒も出されたが、「根拠がないのにどうやって」という別の役員の弥次によってあっさり宙に消えさった。その後もかみ合わない議論が続いた。要するに、上の者は皆、正体の分からぬアプリの降臨に思考停止の混乱状態になりかけていたのであったのだが、絶対にそうとは認めたくなかったのである。
 最終的には「健康問題とは違う、他の観点からいちゃもんを付ければ攻めていけるのではないか」とのざっくりとした指摘に皆が大筋で同意し、まずは法務部内に特別チームを立ち上げ、今後の対策を検討するとの結論に至った。

 寝耳に水の命令を賜った法務部の面々は、ほとほと困り果てた。NTの名を騙り金を巻き上げているわけでもなければ、そもそも今の段階ではNTとは何の関係もない。うちの売り上げが減っているのがアプリのせいであるような気がするというだけのことである。根拠など誰も持っていなかった。画面に煙草と煙が表示されているだけの人畜無害なアプリに対して、どんな対抗策を取ればよいのか。そもそも法的手段にでるような事案ではないのではないか。散々悩んだ挙句、苦肉の策として、アプリ内で使用されている煙草の3Dモデルに着目した。白い円筒形の煙草のポリゴンモデルの、フィルター部分にある2本のグレーのラインが、NTが販売している煙草のデザインと酷似している点を利用し、これが著作権の侵害にあたると主張すれば、アプリの公開差し止めが可能ではないかと考えたのである。パッケージデザインやロゴマークならともかく、煙草1本のデザインなどどれも似たり寄ったりであるから、法務部としてもこれが荒唐無稽な思いつきであることは承知の上であったが、かといって他に思いつく手段もなく、上司から言われたからには何かしら形で残す必要があり、資料をまとめ、社内の稟議に提出した。
 どうせ却下されるだろうと散文的に笑っていたら、すっかり冷静を失っていた上層部はこの案を了承。いざ、ゴーサインが出てしまった以上、法務部としても今さらやめるわけにもいかず、書類を作成し、アプリストアの運営会社にこの喫煙アプリの公開停止を申し入れたのだった。

 運営会社の対応は早く、翌日、アプリは公開停止となった。社内の稟議が通っただけでも驚いたのに、アプリストアでもすんなり受理されるとは。正直なところ、書面を提出した法務部の面々も、こんな順調に事が進むとは偶さか思っていなかったから、いきなりすべてが解決したこの状況に戸惑い、次にどうすればよいか全くの白紙状態になった。法務部からの一報を受け取った上層部は、これで、このくだらないよくわからないかかわりたくない問題は解決したと安堵した。電光石火の対応で被害を最小限に抑えられたとして、ヤマモリも鼻高々であった。
 しかし、問題は解決どころか、悪化する可能性を秘めていたのである。アプリストアの運営会社は、配信停止だけでなく、すでにダウンロード済みのアプリについても起動できなくなる措置を取っていたのだった。これは申し入れの内容が妥当であると判断された場合の、運営会社の通常の対応であった。しかし、昨日まで使えていたアプリが急に使えなくなったユーザーはこの対応に激怒した。普通のフリマアプリやSNSアプリでも突然使えなくなれば苦情が出るのに、”気持ちよくなれる”アプリが使えななくなったとなれば、その怒りの大きさは比ではない。ドーパミン中毒の禁断症状という実害表れた始めた者も少なくなかった。”煙草”を吸えないイライラによって、各地でいざこざが起こり始めていた。踏んではならぬ尻尾をNTは踏んでしまったのである。

 ほどなくして、アプリ停止の申し立てを行ったのが、他ならぬNTであることが判明し、それがネットを通じて拡散されたことで、ユーザーの間から申し立ての取り下げを求める運動が起こり始めた。吸えないイライラと大企業の利益独占主義に対する反発との負の相乗効果により、彼らの行動は急激にエスカレートした。お行儀良いデモ行進などすっ飛ばして、NTの商品不買運動や自販機の落書きなどへと、急速に悪化していったのである。
 当初、NTは彼らの行動に対しては無視を貫いていたが、暴力的な不買運動の影響は徐々に大きくなり、売り上げは誰の目にも明らかなレベルで下がり始めていた。アプリの普及による売り上げ低下への懸念を端緒としておこなった申し入れのせいで、結果的にそれよりもさらにひどい売り上げの落ち込みとなってしまった。

 そして事件は起こった。
 狂った男がアプリ停止のせいでさらに頭がおかしくなり、NT本社を襲撃したのだ。男は地下鉄の最寄駅から地上に出るや、一目散にNT本社ビルへと全力疾走してきて、右手に竹刀ほどの長さと太さの鉄パイプ、左手にステンレス鍋のふたを持って、そのままの勢いで正面玄関の大きな一枚ガラスに激突した。眉間がぱっかりと割れ、吹き出した血によってガラスは真っ赤になった。男は流血などまるで気にせず、絶叫しながら、鉄パイプでガラスを連打。血で手が滑り、鉄パイプを落としてしまった後も、自らの握りこぶしと鍋のふたでガラスを叩き続けた。やがて、ガラスに数か所ひびが入ったところで、男は駆け付けた警備員らに取り押さえられた。地面に伏して、側頭部を警備員の膝で押さえつけられながらも、しばらくの間、男は喚き、そして鍋のふたで玄関タイルを連打し、それは何にも勝るけたたましさの音を作り出した。結局、玄関のガラス数枚と男の眉間が割れた程度で社員や通行人に被害はなかったが、そのインパクトは多方面に対して大きかった。街ゆく人が撮影した動画がテレビや動画共有サイトで繰り返し再生された。血まみれで大声を喚きながらアプリ復活を要求する男の狂気は、NTにとってもはや知らぬ存ぜぬでやり過ごせるようなものではなかった。
 苦渋の決断を迫られたNTは、本意ではなかったが、申し立ての取り下げを決定。配信停止からひと月と経たないうちの前言撤回となった。さらに、事態を重く見た経営陣は記者会見を開催。社長自らが出席し、今回の事態に至った経緯についてという自己擁護を説明した。最初から最後まで知的財産保護の重要性を語り、売り上げの減少を回避するためという本音は一切語らなかった。
 アプリストアに復帰した電子煙草NEOは、これら一連の出来事によって知名度は上昇、ダウンロード数もめきめきと伸びて、いよいよ1000万の大台到達も時間の問題と言えるところにまできていた。一方で、NTは不買運動の影響で売り上げは減少し、その影響で株価も急降下してしまった。誰かがどこかの段階で大きな過ちを犯したわけではなかった。社内の皆が、それぞれ自分の立場で、消極的ではあったかもしれないが、自分に課せられた仕事をしたのに、結果として、本社ビルのガラスは血まみれになり、社長は謝罪させられ、商品が売れなくなった。なぜこんなことになってしまったのか、誰も理解できていなかった。その正義感が今回の騒動の発端となったヤマモリは、いつしかその姿を社内で見かけなくなっていた。

 シメジはこの独り相撲の様子を、NTの従業員として、そしてアプリの開発者として、内側から眺めていた。眺めているだけで何もしなかった。いつものごとく仕事はしていないし、アプリの配信が停止されたからといって何か手を打ったわけでもなかった。下手に反応して、アプリの開発者としての自分の正体を晒すわけにはいかなかったという理由もあるにはあった。ただ、ぼけーっと眺めていたら、NTの偉いさんたちがが勝手に走り出して、足が縺れて、つんのめってコケて怪我をしていたのである。まるで肝だめしで、おりもしない幽霊を見たと騒いで走って逃げる子供のようであり、滑稽かつ可哀想に思えた。NTに対する復讐が少しだけ現実のものになったような気もしたが、手ごたえは何もなかったから、何の感情も生まれなかった。そもそも、復讐したかったのかどうかも今は曖昧だった。

 つづく

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