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小説 電子禁煙 第二章 視覚と聴覚

 有給休暇の朝、シメジは夜明けとともに起きた。そして、洗面台へ行くよりもまず先に窓を開けて、外は期待通りに快晴の空、清々しいキャンプ日和だ。
 シメジはここ最近、一人キャンプにハマっており、気分転換したい時には朝から車を走らせ、キャンプ場で一人のんびりと過ごすのだった。流行に乗っかるのはあまり好きではないシメジであったが、やってみたら存外これが楽しくて、それ以来、テントや道具を少しずつ買い足しては、その使い心地を確かめたりながら、独り悦に入っているのである。
 軽い朝食とモーニングテレビショウもほどほどに部屋を出て、昨晩のうちにパッキングしておいた道具とクーラーボックスを両肩に、マンションの長い廊下を進み、エレベーターで駐車場へ。愛車のハッチバックのラゲッジルームに荷物をに積み込みイグニッションオン。車を北へと走らせた。朝の早い時間帯ではあるにせよ、自宅周辺の幹線道路はすでに通勤する車で混雑し始めており、交差点ではどのレーンも車の長い列ができていた。シメジが並んでいた直進レーンが先に動き出して、交差点の中いつまでも右折できずに路線バスを加速しながら追い越した。一旦、都市部を抜けてしまえば道は空いており、高規格道路を時速100キロで車は進んでいく。
 運転中、シメジはずっと、新しいアプリの方向性についてと、意図せずアクセスできてしまったデータベースについてを、防音壁とその隙間から見える山の割合で、考えるともなく考えていたが、問いなき答えは出なかった。何かが足りない。そして、その、何かがあればこの二つを結びつけることができるような気だけがしていた。100キロの時速によって、近くの防音壁と遠くの山稜の残像は混じりあい、やがて、ひとつの巨大な塊となった。朧げな残像の塊は、走るハッチバックを取り囲んでいた。
 高速が空いていたこともあり、キャンプ場には予想していたよりも早く着いた。ウッディーな手作り感あるアーチをくぐり抜け、入り口横の三角屋根のロッジで受付を済ませて、奥へと進む。アウトドアブームとはいえ、平日は人もまばらだ。水場に近くて、木陰のある場所に車を停めた。一人キャンプはすでに何度か経験しているから、準備の手際も大分良くなってきた。あっという間にタープを張り、テーブルをセットし、肘掛椅子に座り込んで、向こうに広がる湖を眺めた。森では小鳥が愛をさえずり、湖面を撫でるそよ風が小さな波音を作った。
 綺羅めく木漏れ日の下、どれくらいか湖を眺めて、空腹を感じてきたので、一人用のBBQグリルを取り出し、炭を並べて火を熾す。炭がひちひちと音を立て始めたのを合図に、クーラーボックスから肉と野菜を取り出して、網の上に並べていく。炭の火力と遠赤外線が牛ハラミ肉を焦がし、煙が立ち上った。牛ハラミ肉の隣の牛バラ肉を焦がし、煙が立ち上った。肉を焼くと煙が上る。私が肉を焼く、煙が上る。上る煙を私は見ている。焼けた肉を食べる。私は焼けた肉を食べて、おいしいと感じる。私が焼いた肉だから、私はよりおいしいと感じる。ぐるぐるぐるぐる、思考は螺旋を描く。立ち上る煙を見ながら食べる肉はおいしい。私によって立ち上った煙は、私が食べる肉をよりおいしくさせる。
 そんな当たり前のことに何かきっかけがありそうな気がして、シメジはさらに肉を焼いた。持ってきた肉と野菜を全て食べ終えて、シメジは満腹感だけではない満たされた気持ちを堪能していた。何かがある、自分でやるということに何かがある。

 翌日から、シメジは職場での時間のほとんどを、研究開発部門のデータベースを盗み見て過ごした。アプリ開発の何か参考になるような資料はないかと漁るのが目的だったが、大企業のデータベースにハッキングしているという背徳感による高揚もまた楽しかった。
 資料のほとんどは、タバコの葉に関するもので、乾燥のさせ方による味の違いを事細かに調べたものや、葉の切り刻み方に関する実験結果、あるいは栽培中や貯蔵の際に発生する害虫を駆除する薬剤に関するものなどがあった。タバコガという蛾がいることを初めて知ったし、資料は読んでいて知的好奇心を刺激するものではあったが、昆虫図鑑アプリを作りたいわけではないシメジにとっては、何の役にも立たなかった。
 黙々と読み続けて1週間後、シメジは目を疑うような資料を発見した。<極秘>のスタンプを押されたそれは、25年ぐらい前の古い、超音波に関するレポートだった。おそらく、本来ならば社内でもごく限られた人間しか閲覧することのできない資料であろうと思われた。すでに退職している研究員によるこのレポートは、これまで見てきたものとは全く異質な内容で、音波や光についての計算式が何十ページにもわたって続いている。要約すると、ある特定の帯域の周波数の音波と光のオン・オフのパターンを組み合わせて用いることで、人の脳内物質の分泌をコントロールすることができるというものであった。対象とする人間に超音波を聞かせ、さらにそれとシンクロした光の明滅を見せることで、脳内麻薬として知られるドーパミンなどを分泌させることができる、つまり、煙草を吸ってニコチンを摂取したのと同じ状態を、超音波を使って作り出すことが可能だというのである。果たしてそんなことが本当に可能なのか信じがたい技術であったが、その資料には臨床実験の結果も示されており、被験者のほぼ全員において脳内物質が検出できる程度まで増加したとの報告がなされていた。
 そして、資料の最後には、”この技術は人体に対して過度の負荷を与える可能性があり、既存の煙草と組み合わせて使用すること、および、新規の製品へ転用することを許可しない。この研究はこのレポートを持って終了とする。”と当時の責任者の署名入りで書かれていた。
 何の前触れもなく空から人工衛星が落下してきたような、あるいは自分の座っている椅子の真下で直下型地震が発生したかのような衝撃がシメジの体を貫いて、シメジの頭の中ですべてが組み合わされて、広大なる設計図が完成された。これこそが探し求めていた新しいアプリの中核であると震えながら確信した。煙草を吸わなくても煙草を吸った感覚を、幻ではなく、全く同じ感覚として与えることのできるアプリ。そんなものがもしも世に登場したら。きっとすべての人は禁煙を実現できるのではないか。滔々長々と喫煙の恐ろしさを説かなくても、皆が煙草を吸うことを止めるに違いない。シメジの脳内でも歓喜と希望と恐怖と破滅の興奮物質が出まくっていた。そして、すぐさま新しいアプリの開発に取り掛かった。すべてがつながった今、もはや開発の障壁となるものなどなかった。シメジは画面に向かい、何かに取り憑かれたのようにキーボードを一心不乱に打ち続けた。二度の屈辱と一人キャンプのBBQと極秘研究資料は混じりあい、巨きなプログラムのコードとなり、そしてアプリが誕生した。その過程は人知が及ばぬ領域の出来事のようであった。

 完成した新アプリ、『電子煙草NEO』を公開した翌日。シメジはそのダウンロード数を見て、最初、その数字が理解できなかった。たった一晩で20万を超えるダウンロードがされていたのである。アプリストア内にある急上昇ランキングでもぶっちぎりのトップであった。驚異的なのはダウンロード数だけではなかった。以前なら酷評しかなかったレビュー欄にも、今は数えきれないほどの5つ★が並んでいた。
 予想だにしていなかった状況を目の当たりにして、シメジの心臓はダンスミュージックのBMPで拍動し続けた。信じられない気持ちと、嬉しさと、恐怖と、高揚感と、この先どうなるのかという不安とが散りばめられた五目チャーハンのような、宝くじに当たったような、盗んだ車で旅に出てしまったような、ものすごくいろんな種類の感情の発生でシメジの心は破裂しそうになっていた。

 では、一体、シメジはどんなアプリを作ったのか。
 先日の一人キャンプでの「自分で焼いた肉はおいしい」という発見によって、「能動的な行動の結果に対して人間はより高い満足感を得る」という当たり前のことに着目して、シメジは、禁煙ブックとはまるで違う、前代未聞のアプリを作った。
 まず、アプリを起動すると、一般的なカメラアプリと同じようにスマホのアウトカメラが目の前の景色を映し出す。そこで、画面をタップすると煙草を指に挟んだ手のCGが実際の空間の中に合成されて表示される。AR機能を搭載した昆虫図鑑が机の上にカブトムシを歩かせるのと同じようなものである。煙草の先端をタップすると、火が点く。煙草は赤く光り、チリチリと音がし始め、そして煙が上がり始める。スマホに向かって息を吸うと、マイクがユーザーの息を吸う音を検知し、火種の炎は勢いを増す。その後、画面に向かって息を吐きかけると、マイクが今度は呼気の音声を検知し、画面の中に紫煙が広がり、数秒揺らいで儚く消える。あとは吸って吐いての繰り返していると次第に煙草は短くなっていく。つまり、アプリの利用者は画面の向こうでヴァーチャルな喫煙を行えるのである。
 そして、ユーザーが息を吸って吐きかける行為にシンクロして、煙草の先の火が付いた部分と漂う煙が特殊なアルゴリズムに基づいて規則的に明滅し、それと同時にスマホのスピーカーから超音波が発せられるのである。超音波とは、文字通り、人間が聞こえる周波数を越えた音なので、ユーザーには何も聞こえない。しかし、その光は網膜を通じて、その音は鼓膜を通じて、脳に届き、そして、脳は騙されて、興奮物質の分泌を始める。自分が能動的に行った、吸って吐くという動作によって分泌した物質であるから脳はそれを疑わないばかりか積極的に受け入れて、心地よくなってしまう。あれよとユーザーは虜になり、そして、★5のレビューを書いてしまうのである。レビューを書いたらまた、仮想現実の世界で一服するのである。一服すればするほど、行動と快楽の結びつきは脳内で強化されていき、さらに気持ちよくなり、さらに吸いたくなるのである。なんと恐ろしいアプリをシメジは開発してしまったのか。

 アプリのダウンロード数は増加し続けた。1週間後には200万ダウンロードに達し、ネット系メディアを中心にこのアプリについて様々な議論が巻き起こった。禁煙できたことを報告し素直に喜ぶ者がほとんどであったが、禁煙はできたが心身の不調を感じ始めた者や、あまり効果を感じなかった者もいくらかはいた。個人の聴力や視覚、左右のバランスなどに影響されるところがあるのだろうとシメジは考えていた。
 中には、子供への悪影響を強く心配する書き込みや、このアプリにはサブリミナル効果が使われており、瞬間的に表示される欲求を刺激するような写真によって、利用者のマインドコントロールを行っているのだと主張する”アプリに詳しい専門家”もいたが、誰一人として、超音波についてして言及している者はいなかった。
 子供への影響は、シメジにも心配の種であった。そもそも喫煙は20歳からであるから、ヴァーチャルに煙草を吸うこのアプリの年齢制限も、もっとも厳しい18歳以上にはしていた。それでも年齢を詐称したり、他の何らかのグレーゾーンな方法で年齢チェックをすり抜けるなどして、未成年に対してもかなり浸透し始めているようであった。煙草を買わずに、煙も出さずに吸えるのだから普及するのも当然ではあった。年齢制限ではない、なにか違う方法での未成年の締め出しはできないだろうかとシメジは考え始めていた。

 アプリのリリースも完了し、研究開発部門のデータベースも粗方読み終えてしまったシメジは、クラウドに移行されたデータベースがもう一個あることを思い出した。自動販売機に関するデータベースである。
 煙草の自動販売機は、たばこ店やコンビニなどの商店主がNTから機械を購入して設置し、売れればその店が利益を得て、NTは卸しと補充の利益のみを得るパターンと、NT自身が路上や駅構内の喫煙所近くなどに設置して販売する2つのパターンが存在する。どちらの場合でも、商品の補充を行うのはNTが委託した子会社の社員であり、そのルート設計や売り上げ管理のために、この国中の煙草の自動販売機に関する、位置情報、取扱商品情報、売り上げ、消費電力に至るまですべての情報を一元管理しているのがこのデータベースなのである。
 データベースにはあっさり入ることができた。開発部門の時と同じく、”勝手口”には監視カメラもなく、合い鍵を使えば入れる状態になっていた。データベース内を探索しながら、もしこの不備が明るみにになったら、システムを開発した会社はどうなるんだろうな、とシメジは意地悪な想像を膨らませた。まず第一報はメールで届くんだろうか、それとも電話がかかってくるんだろうか。しどろもどろで電話に答える平社員の様子が頭に浮かんだ。謝りに行くときは上司と部下が揃ってやってくるんだろうか。こういう時はデパ地下で手土産のお菓子を買った方がいいのかな。うちの会社に一番近いデパートはどこだろう。せんべいみたいなしょっぱい系よりもゴーフルとかクッキーみたいな甘いやつのほうが許してくれる確率が高そうな気もするな。シンプルなビターチョコはちょっとお洒落すぎて謝罪の手土産にはふさわしくない気もするな。まず、第一声はなんて言えばいいのだろう。自分が上司だったらどう切り出すだろうか、というところまで想像したところで、自分がこうやって勝手にデータベースへアクセスしていることが会社にばれたら、という可能性が急に顔をのぞかせたので、どきっとして、ぞっとして、背中がチクチクして、すぐさま想像をやめた。鼻から口へ大きく深呼吸した。目は泳ぎ、挙動不審だったに違いない。でも、相変わらずこの部署の人たちは他人に無関心だから、誰も気づいていなかった。
 一方、自販機のデータベースは、その件数の膨大さには驚いたが、内容は無機質な数字の羅列であり、シメジには何の魅力も感じられなかった。超音波の時のような劇的な出会いはそうそうあるもんじゃないから、と心の中でつぶやいて、シメジはさっさとログアウトし、帰路に就いた。

 つづく

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