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わたしのフランス⑤ 会話の流儀について

「エクリール」というサイトを立ち上げました。
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在仏20年余りの「わたし」視点で書くフランス、第回目の主題は、フランス的会話の流儀について。長バナシにならないといいのですが……。

フランスに暮らすようになって、一番戸惑ったことは「会話」です。フランス人との会話は、言葉の壁は言わずもがな、それとは別の、コツみたいなものを掴めず苦労しました。今も克服したとは言えません。

そもそも、わたしは「大人の会話」というものを理解したことなかったのではないか、フランスに来て、言葉の壁もあって、会話力のなさに気づいただけなのではないか、とも思う、今日この頃です。

フランス式会話パターン① ママ友編

フランスの特徴の一つに、社会的階層によって様々な流儀が異なる、ということがあります。
例えば、階層フラットなママ友グループと、いわゆる上流階級とでは、会話の流儀も異なるのです。

わたしが混ぜてもらっているフランス人ママ友グループには、読書会やウォーキングなどがあります。ここでの会話の流儀は至ってシンプル。「喋りたい人が喋る」のです。

皆さんよく喋るんですよ。また話手が終わっていなくても、ガンガン割り込んでハイジャックするし、でも、乗っ取られた方もそれをよしとしているところもあるというか、乗っ取り返すチャンスがあれば取り戻す。それを繰り返しながら会話が続くのです。 

日本だったら「ちょっと話すぎちゃったかも」と感じたら、別の人に話を振りますよね? また無口な人がいたら、その方に話しかけたりしますよね? 

でもフランスではそういうことはしません。(「フランスでは」と大きな主語で書いていますが、これは、「わたしが知っているフランスでは」と読み替えてくださいませ)

ここで見受けられる会話の流儀は、実にフランス的だなぁ、と毎回感心します。どういうところが、というと、

身勝手。――自分が話したいことをとにかく話すという。

正直。――話したいんだもん、だから話しているの。話したいのに人に譲ったりしません。自分の気持ちを偽らないのです。

甘えがない。――話したいのなら、自分で割り込んででも話す。誰かが、「最近、ミキはどうしているの?」などと振ってくれるのを待ったりはしないのです。自ら動けないのなら話すべからず、なんでしょうね。

さっぱりしている。――みんながそれぞれ話したいだけ話して、笑って解散します。ここで話を聞いてもらおうとか、よいアドバイスを貰おうとか、友情が育もうとか、目的も目標もないと思われます。

踏み込まない。――話したい人は話したいことだけを話します。話していない部分に関しては、聞き手は踏み込んで聞いたりしません。例えば、お子さんが優秀な学校に進学することが嬉しくて話しまくっている人に対して、「でもあなた、学費が大変でしょう」といった質問はしないのです。少なくとも上手に間接的にユーモアを交えて探りを入れられる自信がないのなら口をつぐむ、が正解です。

気楽でいいね

このようなママ友達とのやり取りに、当初は「これはなんなの?」と呆れました。今でも時々そう感じちゃうかな。会話のキャッチボールはなく、「いい時間を過ごした」という実感もない。正直なことを言えば、子ども関連の情報を得るため、フランス語のヒアリング力のため、という利己主義な事情がなかったら、この集いには参加しなくなっていたと思います。

でも今は、こういう会話も悪くない、と思うようになりました。
何よりも気楽でいられます。みんな身勝手なのだから、わたしも気を使ったりしなくていいから楽。話さなくてもいいところも楽。また、日本では相槌や気の利いた合いの手を入れてあげなくてはいけないというプレッシャーを感じることがありますが、この集いではそんなお役目はなし、です。
「さっぱりしている」ところで書いたように、目標がないところが楽に感じるときもあります。みんな、この会話になっていない会話のためだけに集まっているのです。

上流階級編

次に上流階級における会話の流儀を見てみましょう。
前回の中で触れましたが、わたしの相方さん――呼び方は「夫」「主人」「旦那」でもいいのですが、学生時代の友としてスタートした関係のせいかどれもピンと来ない。なので英語でいう、my better halfを「相方さん」と訳して使いたいと思います
――ということで相方さんですが、彼は貴族層に属しています。そこでの会話の流儀は、ママ友編と正反対なのです。

どう正反対なのかというと、ママ友が「身勝手」だとすると上流階級は「自制」がキーワード。ご説明しましょう。

パターン② 自分のことは話さない貴族たち

上流階級の人達の会話の特徴を挙げると、際立っている点としては、

自分のことは話さない。ママ友達が、気軽に自分の身に起きていること、感じたことを話しまくるのに対し、上流階級の人々は、そういうことはそう簡単に公開しません。礼儀、警戒心、美徳、理由は色々なのでしょうが、自分のことを話したがらない。それよりも、相手への興味を示すべく、質問をします。でも、相手だっていきなり個人的なことは聞かれたくないでしょうから、とかく差し障りがない話題に徹します。

ネガティブなことも話さない――差し障りがないことが大切なので、ネガティブなことはご法度です。だからといってオール・ポジティブかというと、そんなことなはく。
たとえば、子どもの学校について話しているとします。上流階級マダムが「ええ、いい学校ですよ、いかにもイエズス会でしてね très Jésuites 」と言ったとします。これは、「いい学校」というのは4割本心、「厳しすぎる、宗教色強すぎる」というのが6割の本心なのです。なので次の質問はそれを反映した内容でなくてはなりません。
ネガティブを真綿に包む理由には、悪口は良くない、という高貴な気持ちと、狭いサークルだし壁に耳あり用心せよ、という警戒心、両方から来るものだと思います。

無口は許さない――質問合戦と言いましたが「合戦」なのです、双方で質問し合うのです。上流階級では無口=無粋とされます。先のママ友グループであれば、観客でいればよいので何も提言しなくともお構いなしでいられるわたしも、上流階級の集まりでは、質問をして、合いの手を入れて、とプロアクティブな姿勢を求められます。

教養大切――差し障りのない、と再三書いておりますが、わたしのワンパターンな質問は「お住まいはどちらですか?」「お仕事をされているんですね」「バカンスはどちらへ?」。それに対する応えを聞いて、気の利いたことを返せたらいいのですが、大抵「そうなんですね」くらいしか出てこなくて、会話キラーとなっているわたしです。
一方、上流階級の強者たちは、お相手の答えのちょっとしたところから会話を広げていくことが得意。会話の場では、音楽、美術、文学、時事、経済、政治、歴史、教育などなど、教養が試されるのです。

基本的に不親切――上流階級もフランス人ですから厳しいです。甘えは許しません。なので上手に社交できない人(わたし)に手を差し伸べるようなことはしません。人と人を引き合わせることもほとんどしてくれませんので壁の花となってしまったら、自ら会話相手を探さなくてはならないのです。でも女性は男性や年上の人に話しかけてはいけない、というルールもあったりするから、どうしたらいいの???となることもあります。

会話は回すもの――ここもママ友グループと正反対な点でして、会話は民主的にみんなが少しずつ話すもの、という認識があります。なので、いつ話題を振られるかもわからず。わたしは、ディナーなどの前には、時事ネタを確認したり、日本のことを上手に説明できるように、フランス語の語彙チェックする、といった予習をするようにしています。上流階級はツライよ、なのです。

会話ってなんだろう?

思えば、フランスで難儀するまでは、会話というものについて真剣に考えたことがありませんでした。日本にいたときは、興味がある人がいれば、ずかずかと近づいて話しかけていました。自分のことも話したし、相手のことも知りたくて、深く考えずに質問して。日本人は基本的に優しいから、そんなわたしにも呼応してくれて、楽しいひと時を過ごしたなぁ、と悦に入って。わたしは、それが会話だと思っていたのです。

でも、あれは本当に「会話」だったのでしょうか。

会話に似た言葉で「対話」というのもあります。会話と対話を氷山に見立てると、会話は水面から出ている部分を話し、対話は水面下の、お互いの見えない部分について話す、という説明を読んだことがあります。

なるほどねぇ、と思いましたよ。

会話・対話の違いーーこれは距離感という言葉に含められることなのかなーーは、幼いころからの人との交流を通して体得していくことなのでしょう。確かに「なんとなく」分かっていたこともありますよ。そこそこに空気は読んでいたと思うのです。

ですが、時には、会話と対話の境界線が曖昧になっていたなぁ、会話的場面にふさわしくない、ちょっと突っ込み過ぎた話をしてしまったこともあったなぁ、と反省しています。それなのに、微笑みで受け止めてくださった日本の方々、おやさしさに感謝です。

そして、そういう人はわたしだけではない、とも思います。不躾な質問をしてしまう人、その場でちょっと浮いてしまう人、というのは、この境界線ルールを知らない人、分からない人ではないかしら。

『不適切にもほどがある』という、昭和おやじが令和にタイムトリップして、言動一つ一つがハラスメント扱いされるというドタバタ・ドラマが面白い、と聞いていますが、わたしも他人事ではありません。
わたしの場合は、タイムトリップならぬリアルトリップで、フランスという、会話と対話の境界線きっちり、階級による違いきっちり、甘え(優しさ)ゼロの国に来てしまって、会話のルールが違うらしいがどうしたらいいのかよくわからない、と こころの中でドタバタしてきたのです。

まとめます

長々と綴ってしまいましたが、まとめましょう。

フランスでは、社会的階層によって会話の流儀が異なる、ということが一つ。

会話においては、自分がこころの中で思っていることや、個人的な体験談は求められてないくて、
そこら辺のことは対話レベルのコミュニケーションに入ったときに話すべきこと。
この暗黙のルールを頭の片隅において、会話のシーンでは差し障りのない話をして、その場の流れに乗って漂う、対話のシーンではこころ柔軟に聴く・語る。
これでよし!

会話はこのように軽やかな存在なわけですが、なくてはならない存在でもあります。
・ひとりでいることが重く感じるときなどに、軽い会話を交わすことでこころも軽くなること、あるある、でしょ?
・男女であれば、会話と対話のギリギリのところで言葉を交わして、深い関係に入るか、入らないかを探り合う……スリリングではないですか。
・会話で手探りして、「あ、この人きっと気が合う」と思ったら、次回会うときには会話を対話レベルに持って行けたらいいですよね。

以上、これが20年余りのフランス暮らしで分かった会話について。
もし、これが日本で暮らしていらっしゃる方にとっても何かの参考になれば幸いです。

ご高読メルシーボク―!
また2週間後に会いましょう。

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