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エスカレーターの「空いているほう」

わたしはエスカレーターに乗るとき、必ず「空いているほう」で立ち止まるようにしている。たまに後ろから小突かれたり、無理やりどかそうとしてくる人がいたりするけれど、日本語が通じないふりをする。

「みんなで手すりにつかまろう」というキャンペーンをいつごろからか、ずっと鉄道会社は毎年行っている。下の記事は、2015年だから、少なくとも6年前には始まっている。(※国交省の資料を見ると平成21年からとあった)

東京に出てきたとき、地下鉄のエスカレーターの前に長い行列ができていて、やっぱり都会はこんなに人が多いのか、と思っていたら違った。
片側をあけているから長い行列ができているだけだった。深い地下鉄でエスカレーターの数が多くなればなるほど、その列は長くなる。これ両側にみんながきれいに乗ってたら、こうならないだろうな、と思うのに。

試しに「空いているほう」に立ち止まってみると、ちゃんと自分の後ろにはきれいな二列で並んでいる。ああ、これでいいじゃん、私は行列の解消に貢献している、と思って、それ以来ずっとそうしている(もちろん、それが本当の理由ではないけれど)。

最近では、エスカレーターの手すりに「立ち止まって二列で」みたいな文字が書いてあったり、壁に大きく張り紙があるおかげか、小突かれることも少なくなった。「ああ、この人は立ち止まる人なんだな」と思われるくらいだろう。

わたしが、ただ「わがまま」でやっている今の社会への小さな抵抗だ。

もし左足を骨折していたら、左手は松葉づえを持っていて使えない。右足を骨折していたら、右手は松葉づえを持っていて使えない。そのとき、左に立つか右に立つか選ぶことができなかったら、みんなはどうするだろう。左か右かどちらかではなく、どちらも選べる社会のほうが、きっと楽に生きられる。

障害は、いつだって個人ではなくて社会の側にある。

車いすの人が自由に電車に乗れる社会と、「わきまえて」乗らなきゃいけない社会、どっちが楽で、生きやすいだろうか。

エレベーターのない駅で降りようとした車いすの人は、エスカレーターの「空いているほう」に立つ私と一緒だと思った。もし、みんなが当たり前にエスカレーターで二列に並んでいたら、みんな二列で並ぶだろう。

そんなふうになるまで、ひたすら「わがまま」に電車に乗り続けたらいいと思う。車いすの人が当たり前に電車で移動できる社会のほうが、多くの困っている人が救われる社会になるはずだから。もちろん、小突かれるのもやっぱりストレスなので、無理しなくてもいい。でも、いろんな社会のおかしなことを「わがまま」でどんどん変えていけたら、面白いなと思う。


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