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どこかでつながっているかもしれないから

だれに宛てる手紙でもないし、自分のための日記でもない。なにか特別ためになることも書いていない、ここは不思議な場所だと思う。

なんのために書くのか。とくにきまっていないし、きめていない。

それでも不思議と長いあいだ、書き続けているし、ときどきなにかを書きたいと思う。

文章を書いているときは、一人じゃない気持ちになる。

だれかが、そこにいる。なんとなく世界とつながっている気持ちになる。言葉はもともとだれかに何かを伝えて、届けるものだから、きっとここに書いてあることもなにかを届けたくて書いているのかもしれない。

書くことは問いを立てることに似ているし、問いを贈ることにも似ている気がする。自分のなかにある、気持ちや思い、まとまらない言葉を、いったいどうしたらいいんだろうと思いながらも書き始め、いつのまにか誰かに問いかけている。

今朝、美容院に行ってきた。美容師さんが問いかける。
「今日はどうしましょうか?」。
それにちょっと似ている。

いつもよりちょっと短めで、とか、明るい雰囲気で、とか、さっぱりしたい気分なんです、とか。とてもあいまいで、自分でもどうしたいか、よくわかっていない問いにたいして、きちんと応答してくれる。突然、予約して現れるお客さん、名前しかわからないし、顔も髪もはじめましてなお客さんに、いい感じにしてください、といつも無茶ぶりをされる。

それでも、最初は必ず問いから始まる。どんなふうにしましょうか。

「今日は何を書こうか」と自分に問いかけて、いつのまにかこうやって文章ができあがる。

「問い」は世の中にたくさん満ちていて、いつも私たちは無意識に自分にも他人にも問いかけている。生きていると謎だらけだ。生きること自体が不思議だ。「問い」と向き合っているときは、たぶんひとりじゃない。どこかのだれかが、答えてくれるのを待っている。

そうして世界とつながって対話できたら、なんか嬉しい。だから、問いを贈るように、文章を書き続けたい。


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