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仕事と子育ての両立がママの個人スキルで成り立っている

いま働いているNPO法人では、ママの忍耐や根性だけで成り立っている両立をどうにかしたい、「社会的な仕組みを作って新しい両立をつくりたい」という想いで訪問型病児保育などの事業を展開している。

実際に、いくつかのnoteを見てみると、やはり個人のスキルや工夫、知恵を凝らしてリモートワーク×育児・家事などをこなしているケースが多い。こうしたいくつかの実践の事例はもちろん、とても参考になる。実践事例を私も参考にして、なんとかやりくりしたいし、これで救われるママワーカーはいっぱいいると思う。

先日、母性研究についての博士論文をベースに著書を上梓された元橋利恵さんと映像作家で『マザリング』を書かれた中村佑子さんの対談を聴いた。

対談のなかでは、「母性」という言葉がともすれば、フェミニズムが目指してきた女性の自立と対立してしまい、扱いづらいというネガティブな手垢がついてしまった現代で、それでも「母」という言葉を置き去りにしたくない、という強い意志を感じられた。

実際に育児をする父親も増えてはいるが、事実として育児の「仕組化」「オペレーション設計」をしているのは、ほとんどが母親であることが多い。例にとれば、予防接種や保活のタイミング、復帰後の病児保育先の確保、地域での関係性づくり、一週間の献立を含めた一連の育児と仕事の両立のなかでの限られたタイムマネジメントなど、全体的なシステムを整え、はじめて「分担」ができる。

父親が、がんばっていない、という話ではない。ファザーリングジャパンのメンバーの中にいると、本当に父親が子育てするのが当たり前(当たり前なんだけど)になった、と実感するけれど、その内輪のなかにいると本当の現実が見えてこない。リモートワークができる職種はやっぱり一部でしかなく、長時間残業が大企業を中心に見直されつつあるものの、依然として労働時間の長い仕事を強いられている男性も多い。そしてその分だけ女性だけが家庭に縛られ、時短しなければならない風潮も続いている。

個人のスキル如何で育児と仕事の両立をする、だけでは、子どもの成長のたびに、壁にぶつかり、それぞれの壁に対してやはり母親が主体となってどう乗り切るか知恵を絞ることの繰り返しになってしまう。

でも、育児と仕事の両立だけでも大変なのに、さらに社会をアップデートしていこうよ、なんてことを母親だけに求めるのは、さらに負担をかけてしまうだけだ。これは社会全体の問題だ。あまり社会的なメリットとか公益性みたいなことは言いたくないけど、仕事を続けられるくらい優秀な人がそのリソースを両立システムの構築にそれぞれバラバラに費やすのはもったいない、という気がしてならない。

母親の置かれている状況に対する問題を、母親という属性を剥がさずに、これは社会全体の問題なんだ、と理解してもらうにはどうしたらいいだろう。中村さんは母親の声がまだ全然表に出ていない、と述べる。多くの人の声の可視化を、そしてその声を届け、実際に仕組みを変えられる力を持つ組織とのつながりを作るための戦略が必要だ。合理性や生産性、正義の倫理で作られた世界と同じくらいに大事な、もうひとつの声があるということを伝え続ける必要がある。それは、母親だけでなく、誰もができることでもあるはずだ。

母性は男性でも保育者でも、持っていて構わない誰もが持っていていいものだ。ただ、そこから母という言葉を取り除きたくない、という強い気持ちを受け取った。それは、母がこれまで背負ってきたものの重さを、忘れさせたくないということだろう。

最近「ケア」に関する本がたくさん出されている。私自身も今の社会には「ケア」が仕組化されていない、個々の自助で成り立っていると感じることが多い。だからこそ、今再び注目されている概念なのかもしれない。でも、安易に母性をケアと置き換えてしまうことは、これまでの母親の努力や忍耐を見えなくさせるのかもしれない。

もうひとつの声としての「ケア」をこの社会でどう担い、どう個人の負担を軽くするのか、誰かの自己犠牲にならないあり方はなにか、学びながら考えて、言葉にしていきたい。


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