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引き算で計算できない日常

引き算の時間と足し算の時間、という言葉を本で見かけた。

未来のある地点から逆算して、現在の意味やなすべきことを決めるような時間が、引き算の時間で、大人になればなるほど引き算でできた日常が増えていく。何が起こるか、世の中がどのように変化していくか、予測できるようになって、それを見越して計算していく。

反対に、今あるものを積み重ねていくのが足し算の時間だ。今日やるべきこと、明日やるべきことが次々に加えられていくような足し算的な日々。家事をしていると、そんな時間を感じることが多い。今できることを少しずつ積み重ねてたしていくしかない。できる日もあればできない日もある。足し算の時間は波がある。動物的でもあるし、自然に従ってるようなそんな感じの時間。天気の悪いときは休むし、頭が痛くなる。

先行きのみえない、引き算ができない状況は不安がつきまとう。不確かさ、分からなさが多いなかで、今いる場所、今の時間を変えずにいたいと思う。

でも、確実に変わっていく世界で、変わらずに留まっていることが本当に正しいだろうか。

そんな引き算ができない日常のなかで、全くわからない世界に飛び込んでいく仲間がたくさんいる。たくさんの人の、これからの話を聞いた。私も変わっていくように、みんなも変わろうとしている。変わらざるをえない人もいるし、進んで変わる人もいる。

予測できなくて、どうなるかわからない。わからないけれど、ワクワクする。そんなことを語り合うのはとても楽しい。楽しかった。

ひび割れた日常のなかでも、人は逞しく生きることができる。

ときどき、楽しみよりも不安が大きくなったら、植物に話しかけてみる。すると春が確実に、近づいていることを教えてくれる。



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