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たまにはゆっくりとした時間を

子どもと一緒に過ごす日々が、日に日に大変さを増している。
1歳2ヶ月の息子。言葉や感覚よりも運動機能の発達のほうがめざましく(たぶん娘は逆だった)、とにかく部屋中を歩き回る、というか走り回っている。こちらは10年の時を経て、すっかり体力も衰えているのに。

平日の晴れた日の誰もいない公園は、とてもありがたい。陽射しも暖かくなり、春めいていて、自由に子どもを遊ばせられる。

祝日の雨の日は、本当に困る。
どこかに連れていくにも、屋内は人ばかり、公園では遊べない。ショッピングモールでひたすら歩かせてもいいのだけれど、どこに行くかもわからないので、できればハーネス(手つなぎ紐)が欲しい。

昨日は、そんな感じでわりと限界だった。子どももわたしも、いらいらしながら過ごしていた。でも、またしばらく雨だなあ、と。そして上の娘は、もうすぐ春休みだ。

毎日がしんどいまま、休みがない、というのはやっぱりつらい。今日は、妻がお休みで、子どもを連れてママ友と遊びに行く、というのでわたしはお休みをもらった(といってもいろいろな用事を済ませたのだけど)。

でも、コーヒーを飲みながら、本を読む時間が少し取れただけでも、とても嬉しい。

子育ては、しんどいことよりも、楽しいことのほうがずっと多い。
でも、しんどいことのほうがより重さを持って、響いてくる。だんだんその重さに耐えきれなくなって、崩れてしまう前に、ちょっとでもいいからお休みの時間を取りたい。

家族、友達、シッターさん、保育園、学校、地域。どこかで、少しでも助けてもらえたら、それでまた頑張れる。

異次元の子育て支援なんていらなくて、明後日の方向の支援もいらない。ただ、毎日のしんどさを少しでも取り除いてくれるささやかな支援がほしい。

昨日までのわたしは、ゆっくりと物事を考えることもうまくできなかった気がする。何もうまく考えられなくて、言葉も、気持ちも、外側に出ていかない。

たまにでいいから、ほんのいっときでもいいから、ゆっくりとした時間を過ごせたら。それだけのことが意外と難しい。ずっと我慢してしまったり、助けを求めなかったり、している人も多いのだと思う。

たまにはゆっくりした時間を、という願いが叶えられる、そんな社会であってほしい。


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