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ためらいながら、服を買う

服を買うときに、野菜やお肉、冷凍食品を買うときのように、生産国や原材料を気にするようになったのはいつからだろう。

高いブランドものを身につけるでもない私は、だいたいのタグにCHINA、VETNAM、などといった国の名前が書かれているし、たまに買うJAPANもまた、技能実習生が作らされているものではないだろうか、と疑ってしまう。買わないけれど、イタリアやフランス製のものはもはやどんなふうに作られているかすらわからない。

次第に、ユニクロや無印良品の服を買わなくなったけれど、彼らが大きすぎて見えやすいだけで、そこらのブランドも同じように資本主義というシステムのなかで誰かを搾取して作られたものでしかないかもしれない。

だからこそ、作り手の顔が見える、流通経路がわかる、直接消費者に届けられるようなD2Cと言われる小売の形態が流行るのだけれど、それもまたピンからキリまであって、D2Cの皮を被っただけで結局よくわからないものもたくさんある。

そして、エシカルで正しくつくられた製品は、正しくお金が行き届くように、当然ながらお値段も高く、ここでまた、別の意味でのためらいが生じてしまう。私は、自然で健康的に育った動物のお肉や野菜だけを選び取って食べる、そんな金銭的な余裕もないし、それは服に対しても同じことだ。

べつに安いものでも、高いものでも構わない。すでにそこにあるものは、もう作られてしまっているし、誰も買わなければどんどん値段が下がってやがてどこかで捨てられてしまう。そう思わないと、服を買うことができない。そして、なるべく長く着てリユースする。

好きな服を、好きなときに、好きなように着る。歳を重ねたおじさんの言葉ではないかもしれないけれど、そうやって服を着ると少し幸せな気持ちになれる。

スーツのような服が苦手だ。幸いなことに、何度も仕事が変わっても、ここ10年くらいずっと自由な服装で働いている。パリッとしたシャツよりも、ゆるっとしたシャツが好きで、ぴったりサイズのパンツよりも、ちょっとちぐはぐなくらい細身かワイドなパンツがいい。

いいなと思った服を手にとったあとに、服のタグをみる。そこに書かれた生産国、原材料、価格にひととおり目を通すと、どこかでなにかが引っかかる。そんなうしろめたさとともに、服を抱えてレジに向かう。あるいは、たくさんのためらいを振り払い、スマホの画面をえいっとタップする。見えない遠い遠い作り手に「この服が好き」が伝わったらいいな、と思いながら。

#ファッションが好き

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