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パーティが終わって

『パーティが終わって、中年が始まる』。少し物悲しく、とても美しい響きの言葉だと思った。

phaさんは、シェアハウスを運営しながら10冊ほどの本をこれまで世に出して、肩肘張らない気ままな暮らしや考え方を発信している、素敵な方だ。

本人曰く、なにもせずに自由に世の中からはみ出して生きてきたけれど、だんだんそうもいかなくなってきた、これは中年なのかもしれない、ああ嫌だと。

それがこの本の趣旨なのだけど、半分そうなのかもしれないけれど、そうじゃない気もしている。

人生40年以上も生きていれば、大体なにもしていないつもりでも、いつのまにかいろんなことを成している。

phaさんの考え方が好き、という人は私だけではないからこそ、何冊も本が出せるのだし、今も彼のフォロワーはきっと多い。中年になって、感性が変わった、体力が落ちた、保守的になった、普通になった、のかもしれないけれど、とっくに何者でもない人ではなくなっているからこそ、「変わった」のではないだろうか。

わたしはphaさんのようには生きられなくて、でももしかしたら同じような人生を辿っていたかもしれないと思うことはいっぱいある。
だから考え方にも共感できるし、混沌としたネットの世界の中でも信頼のおける書き手として尊敬もしている。
この本に書かれている彼の戸惑いは理解できる反面、ようやく気づいたんですか、という思いもある。何も背負いたくないと言いながら、たくさんのものを背負い、だるいといいながら、たくさんのことをやってきて完遂させている、のがphaさんだ。そんなふうにやれてしまっているのだから、どんどん「普通」になってしまうのも仕方ないのではないだろうか。

私自身も先月で40歳になった。「中年」という言葉は思った以上に重くのしかかるし、実際に20代の人と同じ戦い方ができるとも思っていない。
後悔することも、今を不安に思うことも、社会についていけないと思うことも、いっぱいある。夜遅くまで遊ぶことも仕事することもできないし、お酒もたくさん飲めなくなっているし、友人たちともあまり連絡も取れていない。できないことはどんどん増えていくけれど、まだできることもある。人生長過ぎるなあと思うけれど、まだ折り返し地点なのだ。

もっと面白く生きられたかもしれないし、もっと堅実に生きられたかもしれない、けれど、いまこうしてここに立っている自分を受け入れるしかない。同時に、これから、無茶はできなくてもまだまだ面白くできるかもしれないし、背負うものは背負いながら新しいことを始めたって良いのだと思う。

パーティのような賑やかで華やかな暮らしでなくても、静かな慎ましい暮らしもまた素敵だし、中年として変わっていったとしても、積み重ねてきた魅力は変わらないし、私は今も憧れている。

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