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『あのこは貴族』映画の感想

作家の山内マリコさんは、地方と都市、お金持ちと一般人、一見自由なようで、不自由なみえないカーストに縛られた日本社会を生きる女性の人生の機微を描くのが非常にうまい小説家だ。

タイトルどおり、この映画で描かれる登場人物もまた、それぞれの階層あるいはクラスター、社会学者のブルデューがいうようなハビトゥスみたいな、そんなものにそれぞれ属して生きている。

それぞれ、どんな家に生まれていても、もちろん人生に楽しいことも苦しいこともいっぱいある。そして、それぞれの生い立ちや環境は内面化しやすく、その人の性格や特技、そして将来の夢や実現したいことにつながっていく。

同じ大学に通っていても、全然生い立ちは違うことはいくらでもある。
それは私も経験している。ひと部屋の下宿を、親に買ってもらった学生もいれば、月々5000円もしない寮で共同生活をする学生もいる。でも、そこでなにか対立が起きるわけでもない、お互いにそんなこと気にしないで遠慮なく遊べる関係は成り立つことも知っている。

もちろん、まったく価値観の違う世界で生きている人もいる。私には全く興味のない事柄に固執する人もいれば、私みたいな生き方を見下している人もたぶんたくさんいた。正直、それはそれでどうでも構わない。ほとんどすれ違うこともなければ、直接対立することもほとんどないから。

映画も同じ東京で暮らす女性たちの全く違うクラスのそれぞれの人生をなぞりながらも、お互いに干渉することも少なく、ぎりぎりのところで交差する邂逅の場面を描いている。

ややもすると、深刻な対立が起き、どろどろとした感情があふれる場面になりそうなところを、うまくマイルドに収めているのが、とても見事な作品だ。

どんなふうに生きてもいい、どんなふうに働いてもいい、そうはいっても、どうにもならないしがらみもあれば、親やそのまわりの生き方しか分からない、ということもある。

階層はいまも存在する。それはどうしようもなくどうにもならない事実だけれど、それでもみんな頑張ってる。たくましく生きていくことはできる、そんな映画でよかった。


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