からっぽ
最近、自分はからっぽだなあと思うことが多い。
お昼ごはん食べなくてもあんまりお腹空かない。空いててもあんまり気にならなくなってきた。でもなんとか食べようとがんばってみる。
頭もなんかからっぽで上手く考えられない。じゃあ仕事もできないかと言われれば、仕事は進む。成り行きまかせに、あるいは坦々と進めていける。予定は勝手に埋まっていく。
心もなんだか、からっぽだ。虚しさ、寂しさ、ふと唐突にそうした感情に襲われる、すき間ができてしまっている。季節のせいだろうか?なにかをきちんと感じ取ることに鈍くなっている。
生活に余白や余裕があるときは、不思議とそういう感覚は生まれない。むしろ、余裕が無い、忙しさに追われてるときほど、「からっぽ」な自分を感じる。
きっと、物事を深く考えたり、あるいはゆっくりと感じ取るいとまが無いせいだろう。私の空白は、ゆっくり歩いたり、喫茶店でぼーっとしたり、家でうたたねしているときに満たされていく。
このnoteに綴る言葉を考える時間も、満たされていると感じる。丁寧な暮らしには憧れていてもたぶんできそうになくて、私にできるのは丁寧な言葉でとりとめもないことを伝えていくことだろうか。
からっぽのときには、なにかをじっくり考えることができない。仕事のことも、生活のことも、子どもや自分自身のことも、じっくり考えたい。そういうスマホの充電中みたいな時間をどこかで取らなきゃいけない。
からっぽな自分は好きじゃないから。
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