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「できる」と「できない」のあいだに

「できる」と「できない」の間に「できるけど疲れる」ことがたくさんある

精神科医の吉川徹先生の言葉だ。これまでにも、何度か見かけたことはある言葉だけど、久しぶりにこの言葉に出会い、考えを巡らせた。

わたしも、うつ病になってから、この「できる」と「できない」のあいだを散々さまよってきた感覚がある。これは「できる」、これは「できない」なんて明確に言えるものはほとんどないんじゃないか、と思っている。

たいていのことは「できるけど疲れる」。ほかの人よりもずっと、たくさん疲れてしまう。だいたいいつも一日の終わりには、いつも熱が37.2℃を超えている。短い時間しか働いていないし、働き方ずいぶん変わった。それでも、やっぱり疲れやすい。
『封神演義』のはなしが通じる人には「ずっと宝貝を使っている感じ」と表現しているけれど、だいたい通じないので、一日中マラソンしているような感覚、と伝えている。

発達障害とうつ病はまた全然異なるものだけど、どこか似ているところもある、と感じている。自分の心やこれまでの生き方を長い時間をかけて振り返り向かい合うと、社会と自分とのあいだで、「疲れる」できごとがたくさんあったことに気づく。その「疲れ」をどうしようもなく動けなくなるまでほったらかしていたら、いつまでも治らない今の状態になってしまった。
光や音に過敏になり、世の中の何もかもが速すぎるように感じた。自分は、そんなにはやくできない、ゆっくりしたい、朝の光は眩しいし、人の声は大きくてびくびくする。そんな状態を薬で和らげていく。いまの自分に合った、ちょうどいい量を探りながら。
いまも、頭の中に「薄い膜」があって守られている感覚がある。感覚が鈍くなったせいか人当たりがきつくなったり、逆に膜のせいで何も感じられず動くこともできなくなったり。その「薄い膜」がかかった状態に慣れるまでにたくさんの時間がかかったけれど、ようやくいまは世界と折り合いを付けながら向き合えている。

いろんなことをしてみたい、やってみたい、たぶんできる。できるけれど、頭のなかはいつもたくさんの言葉や思いにあふれていて、消耗していく。
得意も苦手も、できる・できないも、やっぱり明確な線引きはできない。
先日読んだ小説で、「できないことはできません」ときっぱり言える強さを羨ましいと思った。でも、わたしはそんなに強くないし、「できるけど疲れる」とこれからも付き合っていく。そして、ほかにもたくさんの人が「できるけど疲れる」を抱えて生きていることを、忘れないでいたい。


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