「死にたい」気持ちは消せない
ふと漠然とした不安や生きづらさに押しつぶされそうになって、「死にたい」と口にしてしまう。けれど、本当に生命の活動を停止したいのかといえば、たぶんそうじゃない、と思う。
「だれにも気にされずに消えてなくなりたい」「世界から私という存在を無くしてしまいたい」じゃないだろうか。
本当のところは誰にもわからない。自分でもわからない、いろんな思いがその4文字には詰まっていて、どうしようもなくて出てきた言葉だ。
「死にたい」「つらい」という感情は、思った以上に厄介だ。
今、まさにこの瞬間にそれを感じているのに、「この先」いいことがあるよ、とか、「ここまで」乗り越えてきたんだから、なんて慰めにもならない。「今」のつらさを一瞬で解消する方法は、つらいと感じる自分もまるごと、消えてしまうことだ。
でも「つらさ」だけを切り取って捨てることはできない。捨てることができないから、抱えて生きていくしかない。
私たちの生きている世界は、完璧に作られていないから、私が失敗するように、すべてのものは失敗している。完璧な「つらさ」もないはずだ。
見えにくいし、わかりづらい「つらさ」は、どうしたって消えることはない。消せない代わりにできるのは、和らげることだ。同じように、わかりづらいもの、自分にはよくわからなくても薬が和らげることもあるだろう。
見えにくくてわかりづらいものは、同時に救いになることもある。もちろん、それにも完璧なんかを求めてはいけない。
すべてが不完全な世界で、私たちは足りないものを嘆いて、いびつなものに怒り、目に見えないものにおびえている。同時に、私たちは足りないものを愛し、いびつなものを許し、目に見えないもので癒されている。
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