見出し画像

競争から降りて新しい評価軸をつくる

こちらの連載を読んで、久しぶりに仕事がつらかったころのことを思い出した。

自分が「戦線離脱だ」と思い込むほどに、それまでの自分は仕事に身を捧げていたのだ、と改めて気づかされた。自律的に主体的に選び取ってきた、というより、「ちゃんと」評価されるために、という他者評価軸で、身を粉にしてきたのだ。でも、それでは「ちゃんと」家族を護ることができない。

子育てしながら、共働きフルタイム。子どもは乳児でまだ病気になりがちで、子どもが病気のときは仕事をどちらかが休まなければならない。育児をしない父親は「いくじなし」だと思っていた私は、育児にもっと関わりたくて、でも育児に関わろうとすると、会社のなかで仕事にフルコミットできる男性との距離がどんどん離れていくのが感じられた。自分はいつのまにか、ちゃんと評価されなくなった。

「ちゃんと」評価されるのはあきらめて、「ちゃんと」家族との時間を優先するために主夫になった、とか言えたらかっこいいのだけれど、本当はそんなかっこよくなかった。

仕事と育児の「両立」ができなくて、ぼろぼろになるまで家でも会社でも働いて、身体にも影響が出始めるほど心が壊れていって、会社を辞めた。そうして、体を休めながら、主夫の生活を始めた。

評価軸を「ひっくり返す」ことは、普通の人にはなかなかできない。私は自分が一度壊れるまで働いて、ようやく少しずつ新しい評価軸を立て直すことができた。でも、ともすれば簡単にもとの「評価軸」に戻りかねない。男性が会社で評価されることのほうが、一般的には大多数だから。

ケアと向き合うには、子どもと共にいるためには、圧倒的に時間が必要となる。この時間を効率化したり、減らしたりすることはできない。

そう、だから仕事の時間を短縮する。効率化する。効率化して余った時間を仕事に充てない。ケアと向き合う時間をつくる。

私は何度も、振り返る。いま自分の軸が、誰かに評価されることに向いていないか。大切な人との時間をないがしろにしていないか。これから、私がやっていきたいこと、考えていきたいこと、をはっきり再確認できたような気がした。

読んでいただいて、ありがとうございます。お互いに気軽に「いいね」するように、サポートするのもいいなぁ、と思っています。