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「引き継いでいける」というしあわせ

立て続けに【抹茶】の記事を書いていたから引き寄せたご縁なのかな?
と思える出来事がありました。

私が今持っている茶筅は2種類ですが、どちらもボロボロで買い換えが必要な状態です。

①は八十本立て
②は百本立て

です。
②の百本立ては見るからにボロボロですが、①の八十本立ても実は要買い換えな状態だったようです。


先日、私の親世代の女性から茶筅を2種類もらいました。
数回使っただけでケースに入れたまま保管していた「八十本立て」と「百二十本立て」。
「百二十本立て」の方は持ち手部分にヒビが入って裂け目ができていたけれど、「百二十」という言葉に興奮した私が無理を言ってもらってきました。

もらってきた茶筅たち

一見問題なさそうに見えますね。

左側が「百二十本立て」。
裂けてしまっていますが、紐でしめてあるためバラけてはいません。
泡への影響を知りたいので、もちろん使ってみる予定です。

新旧茶筅比較

左側がもらった茶筅、右側は私の茶筅。
どちらも八十本立てですが、私の茶筅小さいなー。

私の手に合わせて小さめの茶筅を購入していたとしても、外側の毛先がほとんどなくなっていたのね。。。
比べる機会がなかったから、あなたがすでに満身創痍だったなんて気づかなかった。

茶筅さん、ごめんなさい。


地域によっては違うかもしれませんが、アラフォーの私から見た親世代は「花嫁修行」という言葉が普通に存在していて、お花(華道)やお茶(茶道)のお稽古をするのが一般的だったのかと思います。
だからお茶道具一式を持っている方が多いように感じます。

茶筅は消耗品だから捨ててしまっていても、「抹茶碗」や「棗」は使っていなくても捨てていない。

でも、もう家で【抹茶】を点てようとは思わない。

そんな方々も多いかもしれません。

また、世代なのか、良い食器をセットで揃えている方々が多いように思います。

私達世代はどちらかと言えば、プチプラなものをどんどん消費していく世代。

「昔のものの方がしっかり丈夫に作られている」と言いますが、時を経ても残っているものは質が良いもの(質がそれほど良くなければ長持ちしないから)って意味なんだろうと思います。

良いものは引き継いでいきたいけれど、その相手がいない。
となると、捨てて処分か二束三文で引き取ってもらう、もしくはお金を払って引き取ってもらうことになります。

が、その先の使う人の顔は見えず、大切に使ってもらえるかどうかは分かりません。

理想は自分が大切にしてきたものは、同じように大切に使ってもらえる相手に引き取ってもらえること。

だから「着物を着る」人のところには着物が集まっていったりします。

私のお茶文献の中で中国語で書かれているものは、一冊以外全てもらいものです。

プーアール茶もほとんどがいただいたもの。
茶器たちの中にも、もらってきた子たちがいます。

『ぐうたらママなら大切にしてくれる。』
と思ってもらえているから私に託してくれている。

そう思ってもらえるのって、すごくうれしいし、しあわせ❤️

今回は茶筅を譲ってもらいましたが、彼女が持っている食器や茶器もすてきなものだらけ。
将来的に私がいただく予約をとりつけてきましたが、予約を喜んでもらえました。

良いものを引き継いでいける、なんて贅沢でしあわせなことだろう😍




サポートいただきありがとうございます。 いただいたサポートでお茶を買いに行き、記事にさせていただきます😆