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漫画『神戸在住』のこと

 神戸を訪れたのは、修学旅行の一度きり。しかも現地で何をしたのか全く覚えていない。異人館街には行ったような、記憶の捏造のような。覚えているのは、道路の反対側を同じく修学旅行であろう制服の集団がぞろぞろ歩いていた光景。ふと見た横道の真上、オレンジ色の「THE ハロウィン」といった感じの満月が浮かんでいて「アニメのワンシーンか?!」と興奮したこと。
 当時の私がこの漫画を読んでいたならば、もっと神戸での滞在時間を大事にしたはずだ。現在の私がまた神戸に行きたいと思っているのだから。

『神戸在住』 作・木村紺 出版・講談社

 劇場版があると今日初めて知ったが、未視聴なのと「実写化」が苦手なのでそちらについては触れない。
『神戸在住』は、主に東京から神戸に引っ越した大学生の主人公視点でストーリーが進む。その内容は「主人公による神戸在住エッセイ」といった雰囲気で、買い食いしたものやショッピングでの戦利品、乗り物の運賃等が細かく明記されているところもエッセイ漫画を彷彿とさせる。東京と関西の風習の違い、個性的な大学の友人たちや先生、同じマンションに住む人たちとの交流などが穏やかに描かれる。
 一方で、その穏やかさに潜む悲しみがある。作中の時間軸はあの阪神淡路大震災から数年後。主人公の友人たちは震災を経験しており、親友の一人とその恋人は被災している。震災の話は、彼らの生々しい現実の回想として描かれる。また主人公はとても慕っていた祖母を幼い頃に亡くしており、その喪失が今も胸に残る。身近な人の死。見知らぬ人の死。国際色豊かという華やぎの別側面、人種差別や二世の苦悩。ガイドブックでは紹介されない「そこに生きる人たちの陰」と「死」が、穏やかな日常にひっそりと寄り添っている。

 この「死」というテーマは後に主人公に大打撃を与えるのだが、それはさておき私は明るい日常部分が大好きである。何より素朴な雰囲気の主人公(女性)が大好きである。彼女は友人がハイブランドのスカーフやヒール靴を買っている横で、可愛いハスキー犬の貯金箱に一目惚れするのである。余談だがハイブランド品を大学生がぽんぽん買う描写に私は驚いた。作中当時バブルはとっくに弾けていただろうしその友人は仮設住宅で恋人と二人暮らしの節約生活だったはずなのだが。
 主人公は自分を「普通」や「地味」「大人しい」と捉えており、実際周囲からも素朴な印象を持たれている。いやしかし、現役モデルかつ大学のミスコン一位を獲得する友人から初見で「可愛い男の子おるー♥️ 絶対友達になろー❤️❤️」(注:ショートカットだったので男性に間違われていた)と一目惚れされていたり、面白い・恐ろしいほど絵が上手い・しかも可愛い大阪人の友人から「おもろい」判定を出されているのは果たして「普通」や「地味」だろうか……? 主人公の周囲に魅力や才能やセンスの爆発した人間が集まるのは、土地柄だとか大学の校風とかそんな理由ではなくそういう人間を集めるフェロモンが主人公から出ているからでは? と思う。

 古い漫画だが、電子書籍でなら今も読めると思う。私が感想を書くものは大抵古いが、それはふと読み返したり見返したりしたくなったときに書いているからである。
 部屋で窓の外の雲を眺めていてふと、『神戸在住』のワンシーンを思い出したのだ。夏のある日、主人公が近所に石碑を見つけてスケッチする。主人公はその石碑に彫られた名前を知らなかった。やや物悲しいような切ないようなシーン。白く焼けつくような日差しと、取り残されたような石碑。作中には春夏秋冬が描かれているけれど、私は夏と死の組み合わせが強く心に残っている。

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