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万(よろず)の事は、頼むべからず

 他人に期待しすぎて当てが外れたとき、相手に対して怒りを覚えることがある。布団に入ってからコトの成り行きを思い起こしていると、だんだん勝手な考えをしていた自分が情けなくなって眠れない。そんな夜をこれまで何度も過ごしてきたはずなのに、私という人間はなかなか成長しないものである。

 それでも歳を重ねていくと防御本能が働くのか、自分が傷つかないように、期待が外れた場合の状況を頭の中でシミュレーションしたりする。そして「やっぱりね。そうだと思ってたよ」と自分を落ち着かせるのである。
 また日常生活でよく起こる小さな期待外れは、笑い話のネタとして面白がるよう努めている。

 しかしこれが仕事になるとなかなかコントロールが難しい。同僚や後輩に期待を寄せる=相手を応援することにもつながるため、思い通りの結果を信じて疑わない。その分、大いにがっかりして 寝付けない夜を過ごすことがいまだにあるのだ。
 後輩へのエールがいつの間にか自分勝手な期待にすり替わっているのかも知れない。その相手への期待は、「自分ならこうするので、相手も同じように行動するだろう」という大前提を置くことから生まれる場合が多い、と分析している。布団の中で、何度も。

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 コンビニで買い物をしてお会計するとき、商品をレジ台に置くや間髪入れず、
「袋は要りません。温めなくていいです。お箸ではなくスプーンをつけてください」
と自ら進んで意思表示するようにしている。しかも少し早口で。
 店員さんが「袋はどうしますか?」「お弁当は温めますか?」「お箸ご利用になりますか?」と毎回質問してくれるのが申し訳なく、またお互いの無駄な手間や時間を省きたいと思って出てしまうセリフである。

 先日お弁当屋さんで代金を支払うとき、
「袋は要りません。お箸をニ膳付けてください」
と言ったところ、少し間を置いて定員さんがまるで何事もなかったかのように、
「袋はお付けしますか?」
と聞いてきた。
 いやいや、いま言いましたよね。と驚きつつ、そこは大人の対応で再度、
「袋はい・り・ま・せ・ん。お箸はニ膳付けてください」
と念を押した。

 このびっくり出来事を家に帰って話したところ、また驚いた。
 旦那さんはいつも店員さんにひと通りの質問をしてもらい、聞かれたことだけに答えているのだと言う。
 彼いわく、
「同じセリフで接客をすることに慣れている店員さんのリズムもあるでしょう。質問するのも店員さんの仕事の一つなんだから少し待ってあげればいいじゃない。主導権を渡しておけば、こっちはあまり喋らなくていいんだし…」と。
 えーーーっ!そうなの?。

 せっかちな私と冷静沈着な旦那さんとは昔からスピード感や行動力が大きく違っていた。特攻隊のように飛び出していく私をいつも「まあまあ」と制御してくれる存在を頼もしく思って一緒になった、と言っても過言ではない。
 今ではお互いに歩み寄り、同じ時間の流れを楽しんでいるつもりであったが、今回 久しぶりに「まあまあ」を聞いた。

・店員さんは、面倒臭いけどクレームになるから仕方なく質問しているに違いない!
・私が全ての意思表明をしたことで店員さんは「なんて良いお客さんなんだ、助かる」と思うに違いない!
そして
・他の人はともかく、いつも一緒にいる旦那さんはこの話に同意してくれるに違いない!
という前提。
「あなたが無意識に持っている前提を当然の事だと思い込んだり、それを基にした相手の行動を当てにしてはダメだよ」
と教えられた。良しとする処世術が大きく異なる旦那さんに言われると、
「なるほど、もっと柔軟に対応するべきなのね」
と素直に思える。私の人生の選択は間違っていなかったのだ。

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 後日、母親と姉の家に行って今回のことを話したら、我々母娘3人には同じ血 ー せっかちでお節介、お喋りで常に主導権を握りたがる ー が流れていることを思い知らされた。姉は、私よりもっとハキハキ「袋は要りません!」と言っているに違いない。

 しかしこの血が一番濃いのは、間違いなく母。
 昔から相手が「1」を話したら「100」を汲み取って行動する母は、その勘の良さと要領の良さから、相手の期待に沿えないことは滅多になかったと豪語するのであるから始末が悪い。相手に対する期待値も半端なく大きいのである。

 馴染みのお店に何かを予約をするときは電話で名乗らない。
「どうも〜。いつもの食パン今日の2時頃取りに行くのでお願いします」
ガチャン、といった具合。ヒドい話だ。よく注文するとはいえ、
「普通はまず名乗るでしょう」
と嗜めるつもりが、
「商売するなら お客さんの声や口調を覚えておかないとダメよ」
と自分の正当性を主張し始める。いやいや、と私も少しは食い下がるのだが、すぐに母に言いくるめられ ケラケラ笑われて終わり。
 現在はこれほど極端ではないものの、その片鱗はチョイチョイ顔を出す。腹立たしくて「もう口なんてきくものか!」と思うのだが、私も似たところがあるので、なぜか憎めない。

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 そんな母も最近は思うように外出できず、日中は誰とも話さないため口数も減って塞ぎがちだ。先月、呂律がうまく回らない母を見てちょっと焦ってしまった。ずっと一緒に楽しくお喋りしていたいよー!なんとかしなければ…。

 読書が趣味の母のため、古本屋さんで『にほんごであそぼ 雨ニモマケズ』(著:斉藤孝)という本を購入した。ただし読書用ではない。私が数ページずつコピーして毎週持っていく。これを母に音読してもらうのだ。
 『にほんごであそぼ 雨ニモマケズ』は、論語、平家物語、枕草子といった古典や、俳句、短歌、小説から早口言葉に唱歌まで 広い分野の作品から名フレーズだけを掲載している。母がよく知っている馴染みの名文を 大きな声で朗読してもらうのが目的なのだが、実はコレ、小さな子ども向けの本である。文字が大きく全ての漢字にふりがなが付いているので高齢の母が朗読するのに勝手がいい。

 先週、自宅でコピーしながら私も声に出して読んでみると、なんとも気持ちが良いではないか。

月日(つきひ)は百代(はくたい)の過客(かかく)にして、行(ゆき)かふ年も又旅人也。『おくのほそ道』
国破れて山河あり 城春にして草木深し 時に感じて花にも涙をそそぎ 別れを恨んで鳥にも心を驚かす。『春望』
祇園精舎(しょうじゃ)の鐘の声、諸行無常の響きあり。『平家物語』
親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。『坊っちゃん』
山のあなたの空遠く「幸」住むと人のいふ。『山のあなた』

 すでに知っているはずのフレーズ。
 しかし私の思考からは到底生み出せない言葉を発音して、その響きの美しさとリズムを聞き酔いしれながら その情景を思い浮かべ味わう。なんとも贅沢なひとときである。
 日頃は刺激されない脳の眠っていた部分がモソモソ動き始める感覚が新鮮。

「音楽のように素敵なフレーズを自分の口から発して自分の思考に植え付けたい!」その欲求を抑えきれずに本屋さんに直行。
 手始めに…と購入したのは『徒然草』兼好(校訂・訳:島内裕子)。古文は大嫌いな教科だったが、朗読するとなんとも味わい深い言葉なのね、日本語って…。
 50歳頃の兼好法師が完成させたエッセイに学び、感心させられ、時には「いやいや」と突っ込みを入れてみたり。とにかく楽しい。

 私の朗読用テキストに採用された『徒然草』。
 兼好法師から私への “今日のメッセージ” は、第二百十一段。

<原文>
万(よろず)の事は、頼むべからず。愚かなる人は、深く物を頼む故に、恨み、怒る事有り。
(中略)
身をも、人をも、頼まざれば、是なる時は喜び、非なる時は恨みず、左右(さう)、広ければ、障(さは)らず。前後、遠ければ、塞がらず。狭き時は、拉(ひし)げ砕く。心を用いる事、少しきにして、厳しき時は、物に逆ひ、争ひて破る。緩くして、柔らかなる時は、一毛も損せず。

 朗読していると、言葉の心地よいリズムに乗って、自分に都合の良いメッセージだけが頭の中に刻みつけられる。

<メッセージ>
 ___全てにおいて、当てにしちゃぁいけない。期待が強すぎるから、当てが外れて人を恨んだり怒ったりするんだ。
 自分も他人も当てにせず、広い心で結果を受け入れよ。
 そこの君、緩くて柔らかなる ‘心の働かせ方’ をしたらどうだい?___

 ふむふむ。正確で丁寧に訳され<現代語訳>を読むだけでは、
「わかっちゃいるけど、難しいんだよなぁ」
と思うことも、<原文>を朗読すると「なるほど」とすんなり受け入れられるから不思議である。
 
 そして第二百十一段は、次のように締め括られている。

<原文>
人は、天地の霊なり。天地は、限る所無し。人の性(しょう)、何ぞ異ならん。寛大にして、極まらざる時は、喜怒、これに障らずして、物の為に煩はす。

<メッセージ>
 ___人間の魂は広大な宇宙のように広がっているんだ。
 ‘心の働かせ方’ を訓練して物事に煩わされないよう努めたまえ!___

 兼好センセイ!ガッテンでありまする。

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 先日 仕事のことで眠れぬ夜を過ごしたのだが、この<原文>を何度も朗読して気持ちが晴れた。

 “万(よろず)の事は、頼むべからず”
 “寛大にして、極まらざる時は、喜怒、これに障らずして、物の為に煩はす”

 相手が理解してくれない時は、自分のやり方や言い方が悪かったのではないかと疑って 工夫を心がけ、
 逆に相手の話を自分が理解できない時は、自分の知識や理解力が不足しているかも知れないと精進していくことにしよう。

 よし。今日も笑顔で「おはよう!」。

<終わり>


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