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〜 Neo-Impressionism 新印象主義の話 〜

≪ パリ滞在記・その31 ≫
 〜Musée d’Orsay オルセー美術館・② 〜

オルセー美術館の訪問1日目は「まず5階!」へ。
最初に出会った絵画は、シニャック そしてスーラでした。
昨年 縁があって、新印象主義やシニャックについて書かれた文章をいくつか読んでいたので、いきなりの出会いに驚き感激しました。

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私は新印象派の画家たちの作品に魅かれます。
展示室に入って、輝く色彩で溢れそうな画面を見つけると、優しく穏やかな気持ちになれるからです。

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しかし、構築的で安定したその絵画に近づいて小さな点描の筆跡を見始めると、‘感じる’ より ‘考え’ てしまいます。上手く言えませんが…。

オルセー美術館のスーラ『サーカス』シニャック『井戸端の女たち』が放つ明るく調和の取れた光。異次元に住む幾何学的な人物がポーズを取っているように見える不思議な世界に見入ってしばらく時が止まりました。

しかし、ふと我に帰って作品に近づいていくと、視覚混合のマジックから解き放たれます。その瞬間から彼らの技法や理論を '考え' てしまうのです、頭で。やはり上手く言えませんが…💦。

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印象派と呼ばれる画家の一人一人が ‘印象派’ を越える新たな試みを模索していた19世紀末。スーラやシニャックは点描のタッチを小さく均一にして視覚混合の理論を採用することで自分たちが求める色彩効果を得ようとしました。
つまりパレット上で絵具を混ぜるのではなく、カンバスに純色の小さな筆触を並べます。鑑賞する人の網膜上で色彩が混ざることによって、光と色の効果を最大限表現することができると考えたのです。新印象主義と呼ばれています。

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“ 刻一刻と変化していく自然をどのように描くか ”。
→ その瞬間性を直感的に捉えようとしたのがモネをはじめとする印象派の画家。
彼らの作品を観ていると、うつろいやすい光のきらめき、そして人々の息遣いまで感じ取れるような気がします。彼らも輝く色彩を求めて筆触分割の手法を用いましたが、直感的に色を重ねることで ‘形態’ が失われてしまいました。

これに対してシニャックたちは、この世界に色彩を持たせている自然の 恒久的な法則を分析し、それを絵画の創造の中に持ち込むことによって 自然を取り込むことができると考えるそうです。うーん🤔
つまり、色彩を分析し、線や形態も理論に基づいて画面に配置するという 色彩と形態の理想的な調和を生み出す規則に従って作品を制作したのだそうです。そのための手法が視覚混合…うーん🤔 うーん🙄
何事も感覚的にこなし、理論的に進められない私にとって難しい話です。

色彩の分解と再構築の原則、実はこの技法は画家たち本人をも拘束しました。
彼らは絵筆をもってキャンバスに向かう前に、色彩の配置を構想する必要があったといいます。
新印象主義の幕開けとなった『グランド・ジャット島の日曜日の午後』。スーラは約60もの習作を制作し、2年の歳月をかけてこの一枚を完成させたといいます。

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その後 スーラは31歳の若さで亡くなり、シニャックも徐々に厳格な新印象主義の様式から脱却を図っていくことになるのです。

また新印象主義の作品に影響を受けた画家は多く、マティスも一時期この技法に取り組みました。
アンリ・マティスチ『豪奢、静寂、逸楽』(1904年)

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しかしその後 色彩の点を面に変えて表現するようになります。
フォーヴィスムは「色彩を解放した!」と言われますが、色彩の法則に拘束された経験を持つマティスだからこそ、必然的に生み出すことができた新たな試みであったと思います。
そういう意味でも新印象主義の業績はとても大きいのです。

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ほんの2年半前から絵画を鑑賞するようになった私ですが、
もし私が西洋絵画史を二つに分けるとするならば、新印象主義より前とそれ以降です。
↑根拠は曖昧であくまで感覚的なボーダーです…💦

        <その31>終わり

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