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てんぷら近藤②

こんにちは🌞

marikaです✨

今日は前回に引き続き天ぷら近藤のレポします✍️

大きなピーマン🫑を頂いたあとは大きな大きな椎茸🤩🍄✨

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こちらも肉厚でジューシー💁‍♀️


そして少し時期は過ぎてしまいましたが絶対に美味しいと確信のあったとうもろこし🌽

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こちらは粒が大きくて甘くて弾けるおいしさ❣️


ここで登場したのは贅沢な雲丹天ぷら😍❤️

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バフンウニの濃厚な甘味と旨味が天ぷらになることによってよりギュッと詰まってる👍


味が濃いめのものが続いたのでここで生姜🤪

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ほっくほくの生姜って箸がすすむー🥢


そして近藤と言えば、大きなサツマイモの天ぷらなのですが、この時期はカボチャということで頼みました🎃

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こちらほんっとに甘くて美味しかったです😍


ちなみにここで突然ですが、

天ぷらの発祥

ってご存知ですか🤔🤔

ちょこっと調べたのがこちらです🥸♪


"南蛮料理"から日本を代表する和食へ
~天ぷらの歴史~

今や和食には欠かせない存在となっている天ぷら。年々増えている外国人観光客からも「食べたい和食」「おいしかった和食」の一つとして常に名前があがる人気の料理です。日本を代表する料理といわれる天ぷらですが、「てんぷら」という語感や「小麦粉の衣をつけて油で揚げる」という調理法は伝統的な和食とは少し違うようです。   では、その起源はどこにあるのでしょうか?
日本に天ぷらの調理法が伝わったのは室町時代。鉄砲の伝来とともに"南蛮料理"としてポルトガルから伝わったとされ、ポルトガル語の「テンポーラ(temporas)」/四季に行う斎日」が語源という説があります。カトリックでは、四季に行う斎日(テンポーラ)で祈祷と断食を行い、その間は肉食を禁じ、代わりに野菜や魚に小麦粉で衣をつけて揚げた料理を食べていたそうです。   一方、日本の天ぷらの起源とされる「長崎天ぷら」は、それより少し後の安土・桃山時代にポルトガル人が長崎に伝えたといわれています。このときの衣は、水を使わずに小麦粉、卵、酒、砂糖、塩を混ぜたもの。厚いフリッター状の衣にはしっかりと味が付いており、食材と衣の両方を味わうものでした。ただ、その頃の日本では油は大変貴重なものでした。そのため、油を大量に使う天ぷらは高級品であり、庶民の口に入ることは滅多にありませんでした。


なるほどーーー!!!!

天麩羅って漢字なので日本発祥だと思っていたのですが起源はポルトガル🇵🇹だったのですね!

さらに日本に入ってきた天ぷらの文化が今のスタイルになるまでの経緯も調べたら出てきました✨

江戸時代で庶民のファストフードに
江戸時代初期になると、油の生産量が増え、天ぷらは江戸の"庶民の味"として徐々に広まっていきました。その当時に発達したのが、日本のファストフードのルーツでもある屋台。寿司、うなぎ、そばなどの屋台とならんで人気のあった天ぷらの立ち食い屋台では、串に刺した天ぷらがおやつ感覚で食べられていたそうです。江戸に広まった江戸天ぷらは、薄い衣で味も風味を残す程度にして、天つゆをつけて食べるスタイルでした。  文献に初めて「てんぷら」が登場するのも江戸時代。
1669年の「料理食道記」に「てんぷら」の名称が記されたのが最初ですが、現在の天ぷらと思われる料理法が最初に文献に登場するのは1748年に刊行された「歌仙の組糸」です。        ここには「てんふら」の作り方として、「てんふらは、何魚にでも饂飩(うどん)の粉まぶして、油にて揚る也。但前にあるきくの葉てんふら、又牛蒡(ごぼう)、蓮根、長いも其他何にでもてんふらにせんには、饂飩の粉を水醤油とき塗付て揚る也」という記述があります。この頃には現在とほぼ同じ天ぷらが食べられていたようです。


意外と長い歴史があり、さらに昔はうどんの粉をつけて揚げていたなんてびっくり❣️

こういう話を知るとますます天ぷらを楽しめそう😊🥢✨


また気になった方は是非、天ぷら近藤にも行ってみて下さいね🍤



thanks all

Love..marika👣



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