ルイ・ル・プランスを忘れるな
12月28日は、映画の誕生日とされる。
これは、リュミエール兄弟が、初めて劇場で一般向けに映画を公開した日にちなんでいる。そのため、一般的に映画の発明者は、リュミエール兄弟とされる。
しかし、リュミエール兄弟が劇場で映画を公開した1895年の前年、1894年に、発明王エジソンは、発明した映画用カメラ「キネトグラフ」で撮影した映像を、映画観賞用装置「キネトスコープ」で一般公開していた。
実際、リュミエール兄弟は、エジソンが発明した「キネトスコープ」を改良し、映画をスクリーンに投影、劇場で観られるようにしたにすぎない。
ではなぜ、リュミエール兄弟が映画の発明者となるのか。それは、映画の見せ方の違いにある。
エジソンが開発した「キネトスコープ」は、一人が箱をのぞき込んで映像を観る方法をとった。リュミエール兄弟は、一度に大勢が観られる方法をとった。
映画とは、劇場で一度に大勢が観るもの。だから、リュミエール兄弟が映画の発明者とされたのだ。
リュミエール兄弟以降、劇場で一度に大勢が観る映画は世界的に普及した。
しかし、映画の発明から120年たった現在の映画鑑賞方法はどうだろう。映画館での鑑賞というのも勿論あるが、家で家族や恋人、友達と鑑賞することもある。一人で観ることもあるだろう。テレビに限らず、タブレットやスマホで観ることもあるはずだ。映画は、劇場で大勢が観るものとは限らない。
120年の時を経て、人類がエジソンが発明した一人で観る映画、という鑑賞方法に辿り着いたと言えなくもない。
いずれにしても、映画史としては、リュミエール兄弟を映画の発明者とし、エジソンを映像の発明者とする解釈が、無難といえるかもしれない。
しかしである。そうすると歴史的事実に背くことになる。
実は、リュミエール兄弟よりもエジソンよりも、何年も前に、動く写真、つまり映像を撮っていた男がいる。
映画史を学んだことのある人であっても、その男の名前を知らない人がいるかもしれない。事実、筆者も若い頃、映画史の本を何冊か読んだが、彼の名前はどこにもなかった。
ルイ・ル・プランス。
これが、人類ではじめて、映像を撮り、映像を目にした男の名前である。
ルイ・ル・プランスの生涯
ルイ・ル・プランスは、1841年、フランスに生まれた。
青年期、ル・プランスは、絵画と化学を学んだ。いかにも、後に映画を発明することになる男らしい。大学を卒業後、イギリスに渡って就職した彼は、”動く写真”の開発に興味を持つようになる。そしてその開発に没頭していく。
研究開発を重ねた末、1888年、遂にル・プランスは、動く写真、つまり映画の発明に成功する。それが、『ラウンドヘイの庭の場面』である。ギネスブックにも、この『ラウンドヘイの庭の場面』が、最古の映画として登録されている。
つまり、ル・プランスこそが、映像の発明者、そして映画の発明者、それが、純然たる歴史的事実なのだ。
しかし、ル・プランスの名前は映画史の本にすら載っていない。つまり、映画史から忘れられた存在なのだ。
なぜ、ル・プランスは、映画史から忘れられたのだろう。
映画史から忘れられた男
ル・プランスが映画史から忘れられた理由、それは、彼が、自身が発明した”動く写真”を一般公開できなかったからである。
1888年、”動く写真”を発明したル・プランスは、翌1889年、自身の”動く写真”の公開、また、”動く写真”のさらなる開発のため、アメリカに旅立った。
しかし、ル・プランスの”動く写真”が、アメリカで一般公開されることはなかった。ル・プランスがアメリカに着く前、謎の失踪を遂げたからである。
彼の失踪については、自殺説、家族による暗殺説、また、後に映画を発明し特許による莫大な利益をあげたエジソンによる暗殺説まである。しかし、決定的な証拠はなく、真相は闇のままだ。
ラウンドヘイの庭の場面
現在、ルイ・ル・プランスが作った『ラウンドヘイの庭の場面』をYoutubeで見ることができる。
1888年10月14日、イギリス・リーズで撮影されたこの2.11秒こそが、最古の映画である。
人類で初めて映画を作った男、ル・プランス。映画の発明者とされるはずだった男、ル・プランス。しかし、映画史から忘れられた男、ル・プランス。
この映像をみて、思うことはたった一つである。
ルイ・ル・プランスを忘れるな。
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