見出し画像

霊障にあったと言ったら友人たちが三者三様のアドバイスをくれたので、じっくり煮込んで自分なりの答えを出した話。


夏のある日、空手の稽古中に目眩がし始め、吐き気がし始め、「熱中症か。。」と思う間も無くどんどん寒くなってきたので、慌てて道場を途中退出し、帰宅しました。

車を運転しながら家に帰ろうとするけれど体が震え始めるし、呼吸が荒くなり、とにかくきつい。

「ああ、これ霊障かもな。前にあったやつ」と思いました。

人生で2回霊障と思われる症状になったことがあるんですが、1回目は熊本地震直後に箱根の温泉に行った夜。家族の目の前で震えと過呼吸と吐き気、寒気、号泣(苦笑)。

すぐに家に連れ帰ってもらい、よく分からないながらも塩がたくさん入ったお風呂に入りたいと思い、ひたすらお風呂でうなって一晩でよくなりました。後日その体験談を友人に話したら、「それは霊障の可能性が高いかも」と教えてくれ、地殻変動や移動した場所、その時の私のエネルギーのあり方という条件が揃ってしまったタイミングがあったのだろうと言われました。

2回目は友人の家に行った帰りで、同じ症状になり、その場に居合わせた音楽家の友人にホメオパシーで助けてもらい、その後絶えず霊障に遭っている(苦笑)友人に電話で救急処置の方法を教えてもらい、塩風呂と大量の水、そして音叉でしのぎました。

その2回の経験から塩が効くこと、音叉などの周波数で対処すると有効なことが分かっていたので、今度の霊障では家族みんなに塩を私目掛けてぶちまけてもらい、741の音叉をならしてもらい、塩風呂まで運んでもらってお風呂に入り、水を大量に飲み、やはり一晩で良くなりました。

しかし、対処法があるとはいえ、これねえ嫌なんですよ。ほんとに嫌。何が嫌って、もちろん恐ろしく体調が悪くなるのも嫌なんですが、

霊にあたっちゃう自分?

霊なんてものは自分の強さ次第でどうとでも払いのけられるだろうに安易に近づいてこられて更には身体にまで影響が出るだなんて。

魔を祓う力が著しく欠如しているのではないか。はたまた私はあまりにも無防備にこの世界に存在しすぎてしまっているのではないか。とにかく自分の未熟さを痛烈に感じてしまうこの状態がなんとも情けなくて、嫌なんですよねえ。

霊障に遭いそうだなと思うところ、例えば湿気があるところ、特に地震など大きな地殻変動のある時に湿気の多い場所に行く時などは用心していたので、事前にポマンダーやセージでのガードや簡単なお清めなどしていたんですが、よりにもよって、空手の稽古中だなんて。。。

風も通る清新な場所で霊障に遭うだなんて。。。。

これでは独自で編み出した法則にそぐわないじゃないか。。

なので、何人かの友人に、霊障にあわないような方法を聞いたんです。するとみんな様々にアドバイスをしてくれました。

一人は「塩を持ち歩いたほうがいい」と教えてくれたので、祓塩を購入しました。お世話になっているギャラリーのオーナーさんも「お塩あげるね」と島根県の八雲山にある神社さんの祓塩をくださいました。

もう一人の友人は、「ヒラヒラと無防備に歩いていると、面白そうなのが来たっていって寄って来ちゃうらしいよ」と、結界の張り方を教えてくれたのですが、まず天から金色のコードが降りてくる、と。次に、自分を囲む六面体のフラードームがその金色のコードに包み込まれるイメージをしながら暮らすといいらしい、と。しかし意識した時にはできるのだけど、そのイメージをしながら常に暮らすのは難しそう。。。

またもう一人の友人(そして星読みの先生でもある)は私のホロスコープを見ながら、「防御壁を作ったり線引きをしたり避けたりするのはみようちゃんらしくない。むしろ霊障を起こさせる相手を「癒す」ことで「自分も癒される」ような方法が合っている」と。

これはとても新鮮なアドバイスでした。「悪をも抱き参らせよ」的な発想、嫌いじゃない。確かに拒否するのすごく苦手なんですよね。霊障は絶対避けたいけれど結界を張るって発想がなかなかできない私にはむしろ合っているのかもしれない。うーーむ。。。

そしてもう一人の友人は、とにかくよく霊障に遭うらしくて、この方のアドバイスは経験者らしい力強くシンプルなものでした。つまり、

「塩とって水飲んで落ち着くまで寝てろ」

なるほどw。

曰く、「しょうがないのよ。来ちゃうんだから。でもそれで学ぶこともあるじゃない?霊障って悪いと最初から決めつけないというか。それで大きくアップロードされるところもあるのよ。起きてしまったらしょうがない。塩とって水飲んで寝るの。それしかないの。」と。

確かに。友人の言う通り、大きな気づきがあって「なるほど!」と心の中で膝を打ったことがありました。「ああ、これを学ぶために霊障があったのか」と深く納得した、それは愛の認知といった類の学びでした。

とはいえ太陽牡牛の私。身体的苦痛はぜっっっっっったいに徹底的にほんの1mmも嫌なのであるからして、しょうがないと受け入れきれない自分がいる。


さて、かようにしてもらった様々なアドバイスを大鍋に入れてグツグツと煮込みながら、私考えました。

つまりは、それらエネルギーを自分はどう捉え、どう決意し、どのように動くのか。それを明確にするしかないと。

正解不正解はなく、ましてや善悪もない。そもそもジャッジ自体存在しない。それが本来の世界の本質なのだから。

ただ、やっぱりシンプルに身体的不快は嫌なのであって、母であり妻でありワンコの世話係であり仕事人である私には、そういうエネルギーに付き合ってる時間はもうとうない。なので、こう思うに至りました。

「私は私の人生をどんな人とどんなエネルギーで関わりたいのか。それをきっちり心の中で公言せよ。その結果金輪際関わりたくないエネルギーとは関わりを断つと宣言せよ。グッズも良いが、まずは己自身の宣言ありきなのではないだろか。」

と。

ごった煮にして煮詰めてみたら全く別物の思いが生み出されましたが、いつも、どんな時でも、私たちは突きつけられるんですよね。


「結局あなたは何が大事なの?あなた自身はどう動くの?」


これをしっかり考えていくのは面倒だったり後回しにしたかったりしますが、腹を据えてきっちり考え決めていかないと、何度も繰り返す、というのが必定なのだろうと思います。

ひとつの出来事から体験と思いが生まれ、心が繋がる人たちとの対話を通して思いの形が洗練されていく。

ありがたいことです。。。。

もしかしたらこれこそが人生の醍醐味なのかも。。。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?