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僕が幸せを感じる瞬間


 最近憂鬱な時間が多い。意識してるつもりはないのだが、いつのまにかnoteの過去記事3つのタイトル全てに憂鬱という文言が入っている。憂鬱が口ぐせになってしまっている。自己啓発本なんかでは距離をとった方がいいとされる「ネガティブなことばかり言う人」だ。
 近寄ってはいけないと思われては心外なので(自分から人に距離取るタイプではあるけれど)今回は逆に僕がどういう瞬間に幸せを感じるかをテーマに文章を書いていこうと思う。

 大多数の人たちはどういう瞬間に幸せを感じるのだろうか。趣味のような楽しいと感じることをしたとき?それとも友達と飲みに行って語り合ってるとき?
 少なくとも僕はただ楽しいことをしたときにあんまり幸せを感じられない気がする。前にも書いたのだが、僕は浪人だったり部活で努力を強いられていた時間が長かったからか、ただ楽しいことをそのまま楽しめない人間になってしまった。罪悪感を感じてしまうのだ。

 そんな僕が幸せを感じる瞬間。それは時間を有意義に使えた時である。

 時間って伸縮自在だなって最近強く思う。早くすぎたり遅くすぎたり。誰かが言ってたのだが、セックスと麻雀が一番時間が流れるのが早いことらしい。

 逆に時間が遅く過ぎるときは自分で能動的に、丁寧に時間を使えてるなと感じる瞬間な気がする。時間を消費してしまった時は早く時間が無くなってしまうが、時間を有意義に使えた時は時間が延びる気がするのだ。

 そのような時間は自分で自分をコントロールすることができて、丁寧な暮らしができている。
 掃除した後の窓際で陽の光を浴びながら本を読む。早起きできた日に窓を開けて冷たい空気を肌で感じる。雨の音を聞きながら外出はせずに部屋の模様替えをする。など。そんな些細だけど充実した瞬間に僕は幸せを感じる。

 だが、自分で書いてて、そんな瞬間全然最近感じてないなと気づき愕然とする。時間を求める割に有効に使えてる気がしない。休みの日何してるの?と聞かれるが、特別なことは何もせずぼーっとしてるって答えてしまう。
 丁寧な暮らしどころか、YouTubeで動画見て昼寝してゲームしたら1日が終わる。丁寧な暮らしをしてじわーっとした地味な幸せを感じたいのに、むしろ荒みまくった生活をしてしまっている。

 丁寧な時間の使い方のほかに、自分自身を向上させるために時間を使うのも有意義な使い方だと思っている。僕自身が真面目で向上心が強い人間だからだと思うが、常に自分のレベルを上げたいと思っている。

 努力できなかった時に憂鬱になる自分が嫌で、最近は怠惰でもいいという考えを自分の中に取り込んではいるがなかなか自分の性格を侵略することができない。結局、大変だけど努力をして自分を向上させることが自分にとって一番幸福なんじゃないかと思っている。意識高い系を斜に構えた姿勢で見てはいるが自分もそういう生活をした方が憂鬱にならない気もする。

 僕が浪人してたとき、当たり前だがほぼずっと勉強していた。たまに家族で出かけたりすることもあったが、僕はそのような勉強以外の息抜きの時間は別になくでも大丈夫な人間だった。勉強してる時が一番メンタルが安定してて、息抜きがむしろ罪悪感につながってた。いい大学に入るための辛い手段としての勉強が僕はむしろ楽しかった。勉強自体もそうだが、自分がレベルアップしてるという充実感みたいなのを感じることが快感だった。

 怠惰な自分の肯定を目指してはいるのだが、結局そうならない方が自分にとってはいい気がしてる。仕事を始めてから、「休みの日には休む」ということでぐうたらと何もしなかったのだが、すごく憂鬱になってしまった。浪人の時も勉強以外のことを特にしなくても生活できていたから、今も休みの日でも休むことなく勤勉に努力をした方が幸せになれるのかもしれない。なんかそういう勤勉な人間は息苦しくていやな気がするが自分の元来の真面目な性格を曲げられない以上受け入れるしかない気がする。

 とりあえず今日から試しにだらけずちゃんと生活をする自分を目指してみる。ちゃんと憂鬱にならずに済むかなあ。

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