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イラストの守破離について考える


私の中に、描き出したい世界がある。
それはまだはっきりと形になっていなくて
漠然と私の脳や心に存在している。
私の画力では到底表現できないものなのかもしれないけれど
その為に私は絵を描き続けているともいえる。

どうやってそこに辿り着けるのか
常々考えている。
自分を自由に表現できる世界。

そこにすでに到達しているだろう人たち。
個性的で魅力溢れる絵を生み出す人たち。
キラキラしていてとても素敵だ。

その人達の過去のイラストを遡って見てみることがある。
平均で10年。
試行錯誤を繰り返している。
神絵師は最初から神だったわけではなく、
普通のにんげんとおなじ地道に長い間努力しているのかと思うとモチベーションに繋がる。

そこでふと「守破離」をおもいだす。

剣道や茶道などで、修業における段階を示したもの。「守」は、師や流派の教え、型、技を忠実に守り、確実に身につける段階。「破」は、他の師や流派の教えについても考え、良いものを取り入れ、心技を発展させる段階。「離」は、一つの流派から離れ、独自の新しいものを生み出し確立させる段階。

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あの有名なさいとうなおき先生の「3ヶ月上達法」は
この最初の「守」の部分だと思う。
描きたいものを描くための画力をここで養う。
イラストを描くということにとって初心となるこの部分はとても大事だ。

しかし、私のように自分の世界を表現したいとか言い出す変人にとってはそれだけでは足りない。

「破」
おそらく私が今いる場所はここ。

ここにくるともう画力とかの話ではなく
持っているセンスをどのように活かすかということになってくる。

今までの人生で手に入れてきたパーツを
どう調理するか。

今年からオリジナルを描き始めて
表現について考えることがすごく多くなった。
去年までは仕事絵ばかりだった為、特にオリジナリティについて考えることはなかった。
クライアントが望む絵を描くことが仕事だからだ。
しかしお金を貰いながら「守」の部分を鍛えることができたことは本当に運が良かったと思う。

オリジナルを描くことに恐怖があった。
自由は恐怖だ。
自由に表現することがこわい。

仕事絵はクライアントの満足というゴールがある。
オリジナルはゴールが見えない。
また仕事絵はクライアントの表現であるが
オリジナルは自分のありのままの姿だ。

誰が良いと言ってくれるかわからないし
誰も良いと言ってくれないかもしれない。
まるで素っ裸の自分を評価されている気分だ。

この恐怖に打ち勝てば
自分の魅せるべきものが鮮明になるのかもしれないと最近思う。

心で感じるより頭で考えてしまう私にとって
これはとても難しいことだ。
たぶん「破」とは、心の解放に近い。

噴水広場で、打ち上がる水飛沫にぐちゃぐちゃになりながらも
自由に、楽しそうに踊る少女が
とてもキラキラしていて、とても魅力的で
私の心にずっしりとのしかかって涙が出てきた。

あの少女のようにぐちゃぐちゃでビショビショの姿を気にもせず
心のままに舞うことが出来たらきっと
他人の心も動かすことができるのだろう。

自分の殻を破る。

「離」

まだここに到達していない私はこれについて書くことができない。
ここが私の目指す頭の中の世界。
誰も見たことがない全く新しいなにか。

その宝箱に何が入っているのだろう。
ワクワクする。

右手に持っていくのは
見栄でも自信でもなく
暗闇を進んでいく覚悟だけだ。

この先もあらゆる困難が待ち受けているだろうけども
見たこともない新しい世界をみるために
今日も宝箱を探す冒険にいく。

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