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短気で怒りっぽい

 自覚は十分あって自重している部分もある。

 子供の頃から、上手くいかないことがあるとすぐ拗ねた。

 ゲームをしてもキャッチボールをしても思い通りでないと不機嫌だったと思う。

 性格の部分もあるが、家庭環境も短気に輪をかけた。

 以前にも話したが、優秀な兄がいる。何をさせてもそつなくこなし、勉強からスポーツまでマンガの主人公のように万能なやつだ。

 「どっちみちあれより上手くできない」と最初から敗北宣言しながらで上手くいくはずがない。実際勝てることは(音楽とフランス語を除いて)一つもない。

 短気はそこからもきていると思う。飽きっぽいとよく言われた。飽きっぽくもなるわけで、頑張ったところであいつより上手くできるとは思えない。だから、ダメと思った瞬間にはもうどうでもよくなってしまう。なりふり構わず投げ捨てるシーンは今も脳裏に焼きついている。トラウマになってしまったようだ。

 今考えると、子供の自分には結構キツイ環境だったと思う。投げ捨てる以外に自己主張の方法がなかったのだから。

 周りから見ると気まぐれで扱いにくいやつと思われていただろう。よく自分嫌いにならなかったものだと思う。

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 一人で外国に乗り込んだ経験のある方ならわかる。自分が動かない限り何も起こらない。否が応でも意思をはっきりと持ち、決断力がつくようになる。

 ここ最近特に意識するのが「有言実行」と「理不尽は嫌い」。

 自分に枷を掛ける意味での「有言実行」。むしろ「無言無実行」の方がピッタリくる。「やらないなら言うなぁ」ということで、SNSなんかでよく見かけて一人腹を立てている。

 「理不尽」の方は、実生活でしばしば遭遇する。納得できないことを面と向かってやられる。これには腹がたつ。

 ここでタイトルに挙げた「怒りっぽい」が出てしまう。

 もう少し外交的な態度でいられればいいのだが、2〜3回繰り返し言って、にっちもさっちもいかない時には声を荒げてしまう。

 フランスに長くいてこの「間」が短くなった。生徒相手でも感情的になる。

 最近の日本でもそうかもしれないが、子供が大人、それも先生を「目上」とは思わなくなっている。教わる立場であるにも関わらずだ。まさに「理不尽」の最たるもの。

 こうなると我慢しない。言った後で気分が悪くなるのはしょうがない。

 稀に担当の先生や上から事情を尋ねられることもあるが折れない。折れる必要を感じない。

 大抵の場合、次に顔を合わした時にはお互い知らんぷりをしている。向こうがわかったのかわかっていないのかは知らない。前回の衝突には触れないで、やることだけをやる。そのうち時間が忘れさせてしまう。

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 理不尽を押し付けてきた相手は「こいつは扱いにくいから用心しよう」と考えているだろう。

 それでいい。

 短気で怒りっぽいというレッテルを貼られた方がむしろ都合がいいと思っているので。

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