見出し画像

気軽に生きたいと思うこと〜肩を張らずにフランス 番外

「今」を満足して生きる。エピキュリアン。

« non fui, fui, non sum, non curo »

Je n'étais pas, je fus, je ne suis plus, je n'en ai cure.

存在しなかった、存在した、もう存在しない、そんなことは気にしない

過去に囚われない。未来を憂えない。今ある自分を生きる。

              ***

多くの思想が中心に置く「生と死と幸福」観。とりわけ最後の « non curo »「存在しなくなったらそれを気にする自我も消滅するのだから憂えても仕方がない」という考え方はキリスト教の教義に真っ向からぶつかる思想。「死後の救い」は無意味と投げつけた。

刹那主義や享楽主義という定義では捉えきれない考え方。思想というよりも実生活での振る舞いへのアドバイス。

              ***

何かを信じて生きているわけではない。ただ人間として60年生きてきて大方のことは経験した。そして決着をつけた(と思う)。誰も皆この歳になると考える。残りの人生のほうがこれまでの人生よりずっと短いということを。

引きずるほどの過去はもうない。過去に依存していた生は大方清算した。

              ***

今が気分よく生きていられているか?
答えは « Oui »。

この先もっと気分よく生きられるのか?
答えは « non curo / Je m’en fous »「知ったこっちゃない」。

              ***

誰かに何かを期待するでもなく、まだある仕事を辛く感じるでもなく、一瞬一瞬にカタを付けながら生きる。先のことはできるだけ考えない。白紙のままで置いておく。


なんとなく感じが掴めてきた昨今。


次は定年。


(まあ気楽にしましょう)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?