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ビッグテーブルのある暮らし

こんにちは。1925年(大正14年)創業、福島県郡山市にある家具屋「ラ・ビーダ」の3代目、渡部信一郎です。

今回は私の"大好物"である木の「ビッグテーブル」、長さ2mを超える長〜いテーブルのお話です。そんな”ビッグ”なテーブルは現実的じゃない!と思われるかもしれませんが、日本の住宅でも食堂と居間を分けずキッチンからリビング・ダイニングまでひとつの部屋にしてしまえば、長いテーブルでも問題なく設置することが可能です。テーブルを「食卓」として使うだけはモッタイナイ。子供たちが宿題を広げ、お母さんが配信ドラマで息抜きをし、お父さんがリモートで仕事する。テーブルは大きければ大きいほど暮らしの中でいろいろな役割を果たすことができるのです。


ビッグテーブルは木そのもの。アートでもある

1本の丸太から木取りした板を贅沢に使用した木のビッグテーブル、その最大の魅力は天板にあります。ところが近年、コロナ禍によるウッドショックや戦争による北方産木材の供給難だけでなく、森林の乱開発や乱伐による資源の枯渇、地球温暖化、林業従事者の後継者不足などさまざまな要因が重なって、樹齢300年を超える大木から伐り出した良材が手に入りにくくなっています。

そこで重要になってくるのが「幅接(はばは)ぎ」と呼ばれる接合技術です。複数枚の板を組み合わせて作った天板は1枚板よりも反りと割れに強く、しかも木という素材が持つ力強さと優しさを損なうことなく備えています。均一ではない素材のクセを活かしつつ、職人の経験と技によって洗練された「作品」となったテーブルは木工製品の醍醐味であり、そんなテーブルに出会えることが家具屋冥利に尽きる体験でもあります。

一般的な幅接ぎの例。 図左)フリッチ(丸太を挽いた角材)から取れる柾目(まさめ)の板を組み合わせた柾接(まさは)ぎ  図中央)ブックマッチ。本の見開きのように重なった部分を開き、木目が左右対称になるよう接合したもの  図右)中杢(なかもく)柾接ぎ。丸太の中心から遠い「中杢」と呼ばれる板に、中心部の両側からとれる「柾目(まさめ)」の板を継ぎ足して、天板幅を広くする技法

※ビンテージ家具などに使われた小樽オークのフリッチについては前回の「家具屋が恋した”小樽オーク”のハナシ」をご覧ください https://note.com/lavidafukushima/n/n0888a175349a

ブックマッチなど一部の接ぎの技法は、幹の直径が1m以上にもなる巨木から挽いた板がないとテーブルには使えません。また山桜など、もともと幹が太くならない樹種を使用する際などは、1枚の天板を作る際に6枚〜10枚ほどの板を貼り合わせて80〜90cmの幅にします。ここではそれぞれの板の木目や色、節(ふし)などを考慮してパズルのように組み合わせ、精密に接合するセンスと技量が問われます。

ラ・ビーダオリジナル「aテーブル山桜」の天板の例。10枚の板を使用して幅(写真の上下方向)85cmの天板を製作。同じロット、同じ木から切り出した板でも1枚1枚木目と性質、色味が異なるため、無駄になる端材を極力出さないようにしつつさまざまな組み合わせのなかから毎回最適解を導き出しています。そのため同じ天板がひとつもなく、お客様に「我が家だけのテーブル」として愛着を持って長く使えるものとなっています

安易な「無垢の1枚板信仰」に物申す

一方で丸太を製材しただけの、皮付き・白太(しらた)付きの無垢の1枚板をテーブルの天板用として販売する例を数多く見かけます。中には金属製の脚や台に載せ、ボルトで止めただけのテーブルもあります。

無垢の1枚板に憧れる気持ちは私にもあります。しかし私が大好きな、控えめで洗練された北欧のビンテージ家具と合わせることを考えた場合、無垢の1枚板のテーブルはあまりにワイルド過ぎるのです。そしてもうひとつ、無垢の1枚板と付き合うためには木材の性質を理解する必要があります。先ほど「白太」という言葉を使いましたが、これは丸太の周辺部にある成長部分を指します。水分を多く含み、虫に食われやすく、乾燥が進むと縮む性質があります。幅接ぎで使われる木材は木の皮と白太の部分を削ぎ落とした心材(丸太の中心部分)を使用します。心材には水を吸い上げる道管もなく硬く乾燥しているため、安定した構造を持っています。

つまり充分に乾燥させないまま無垢の1枚板を加工すると、時間とともに白太の部分が縮んでしまい、心材との間に亀裂が生じたり、板全体が歪んでしまうことになります。そこで無垢の1枚板を天板に使ったテーブルの場合、ウレタンや塗料などでガッチリ塗膜を作り木材が呼吸できない(乾燥しない)よう処理をします。冷たくてツルツルの塗膜はせっかくの優しくて温かみのある木の肌触りを台無しにしてしまうのです。

また、板を2枚接合するブックマッチに使えるような良材さえも入手が難しくなっている現在、1枚でテーブルに使える板は価格が高騰し、比較的安価で流通しているものは成長の早い熱帯産の木材が多くなっています。これらはもともと合板用に使われていましたが、1枚の無垢の板として見た場合、柔らかく反りやすい素材と言えます。100年使えてびくともしないビッグテーブルの天板に使うにはふさわしくない、そう考えるのは私だけではないはずです。

我が家のビッグテーブル

2009年、滝桜で有名な三春町の里山に自宅を建てました。その際に、まず安達太良(あだたら)山(※)が一番よく見える位置にビッグテーブルを置き、そこからリビング・ダイニングとキッチン、大きな窓ガラスを挟んでウッドデッキを配置し家の全体像を決めました。ビッグテーブルが好きすぎて、テーブルを中心に家を設計してしまったという訳です。

※ 高村光太郎の詩集『智恵子抄』に収められた『樹下の二人』の一節「あれが阿多多羅山、あの光るのが阿武隈川」に登場する山。『あどけない話』には「智恵子は東京に空が無いといふ、ほんとの空がみたいといふ。(中略)阿多多羅山の山の上に毎日出てゐる青い空が智恵子のほんとの空だといふ」という一節もあります

これは我が家にとって4代目にあたる楢(なら:オーク)のテーブルです。天板には橅(ぶな)科の木材特有の虎斑(とらふ)と呼ばれる杢(もく:木肌に現れる模様)があります。

初代はチーク、2代目は小樽オーク(※)、3代目は栗と素材が異なるものを使ってきましたが、どのテーブルも一目見て気に入ってしまったお客様の元に旅立っていきました。

※小樽オークについては前回の「家具屋が恋した”小樽オーク”のハナシ」をご覧ください https://note.com/lavidafukushima/n/n0888a175349a

これらのテーブルはみなラ・ビーダオリジナルのLテーブルをベースにしています。あまりにも好きすぎて自分で作ってしまったビッグテーブルです。このテーブルを作るにあたって私が大きな影響を受けたのが、建築家中村好文さんが自作した「フラティーノ」です。「若い修道士」という意味があり、ヨーロッパの古い修道院の食堂にある長大なテーブルに影響を受けたものだそうです。雑誌『芸術新潮』2002年12月号「よい椅子、よいテーブルってなんだろう」特集「建築家・中村好文と考える意中の家具」(新潮社 刊)のなかの「大テーブル主義」というページで中村さんはこう語っています。

『ものによっては500年くらい使われつづけているのにビクともしないフラテイーノ型のテーブルは、構造に無理がなく、また材料にも無駄がない、単純明快で実にすぐれたデザインです。3メートルくらいまでなら2本脚ですむので脚もともスッキリ、人が座ったときに膝の邪魔にならないし、強度も4本脚のテーブルより上です』

さらに中村さんはシェーカー家具との共通点も指摘しています。

『実は、というか、やはりというか、シェーカーのテーブルもほとんど同じ構造で、以前マサチューセッツ州ハンコックのシェーカーヴィレッジで長さ6メートルという、ほとんど廊下のような特大テーブルを見て呆然としたことがあります。「大テーブル中毒」の僕は、いっぺんでいいからあんな呆れるくらいの大テーブルを作ってみたいなあと思っています』

私も同じ「大テーブル中毒」患者。さすがに6mは無理でしたが、日本の素晴らしい木材と木工職人の卓越した技術を駆使して自分のビッグテーブル「Lテーブル」を作ってしまいました。天板だけでなく脚の部分にも日本の伝統の面取りや木組みの技術を惜しみなく注ぎ込みました。

ちなみにシェーカーというのは18世紀にイギリスからアメリカに渡ったキリスト教の一派のこと。教徒の多くは農業に従事し、無駄のないシンプルなデザインのオリジナルの調度品や家具を残しています。安全な水の確保、水力の活用、循環型農業の実践など、環境面での持続可能性を意図した生活様式を250年も前から実践していました。

シェーカーへの旅 〜祈りが生んだ生活とデザイン〜』 藤門弘 著(住まいの図書館出版局 刊)によれば、シェーカー家具を象徴する言葉として「優美 (Gracefulness)」「誠実(Honesty)」「規則(Rule)」「完全(Perfection)」「清潔(Cleanliness)」「健全(Health)」「永続(Permanence)」「進歩(Progress)」などが挙げられています。
またテーブルについては

『共同住宅の食堂で使われたダイニング・テーブルは、足元をすっきりさせた軽やかなものが多い。
テーブルの脚は普通、トレッスルと呼ばれる形になっている。真横から見るとアルファベットの大文字のIの形をしたもので、食事用として使う限りは充分な強度がある』

と紹介されています。

ちなみに私が敬愛する北欧のデザイナー、ハンス・ウェグナーボーエ・モーエンセン(※)もシェーカー家具から大きな影響を受けていることを公言しています。フラティーノ型のテーブルやこれらの家具に共通している点は、日々の暮らしのなかで出しゃばることなく存在し、使い続けることで愛着が増す家具として「素材」「クラフトマンシップ」「デザイン」が高い次元でバランスしていること。これが私の理想の家具像となっています。

※2人のデザイナーについては「ウェグナー、モーエンセンと日本の新しいスタンダード」もご参照ください https://note.com/lavidafukushima/n/n7a28efb0cb01

こうした「暮らしのなかで使い手によって育まれる美意識」のことを、美術評論家であり思想家であった柳宗悦(やなぎ むねよし)さんは民藝運動の中で「用の美」という言葉を使って繰り返し説明しています。機能を重視し装飾的な要素を限りなく削いでいくと自然な美しさのみが残る「機能美」という考え方に対し、「用の美」は人が物を暮らしのなかで使用し続けることの美しさをも表現したものとなっています。また柳宗悦は「工芸品というものは頑丈でなければならない」と主張しており、「100年使えてびくともしないビッグテーブル」という私の想いにも繋がっています。

中世の修道院の食堂でも、シェーカー教徒の共同住宅でも、ビッグテーブルの周りには常に人が集まっていました。想いを共有し、心地良く離れ難い場でもあったのです。4代に渡って我が家の暮らしの真ん中に置かれているビッグテーブルの周りにも、家族だけでなく親戚や友人、ラ・ビーダのお客様の他にも公私を超えてたくさんの人が集い、充実した時間を過ごすみんなの居場所になっています。多彩な講師を迎えてのワークショップ、コンサート、炊き立ての新米を味わう会。テーブルを独占して三春の里山の風景を眺めながらの「ひとり居酒屋」も私にとっては至福の時間となっています。
そしてラ・ビーダの店頭にあるビッグテーブルたちも、スタッフの研修やミーティング、お客様の想いを受け取る場として活躍しています。

中村好文さんは先ほど紹介した雑誌の中でこうも述べています。

『家具というものは世の中にそれこそゴマンとあるのに、たとえばテーブルひとつにしても、自分の設計した住宅で使える、確かな素材でできた、程良いサイズの、妥当な価格で、しかも品格のある普通のデザインのものがどこを探しても見つからなかったのです』

この問いに対する私なりの答えがラ・ビーダオリジナルのaテーブル、Lテーブルだと思っています。「ビッグ」の定義は人それぞれ。マンションの四畳半のリビングに長さ160cmの楕円天板のテーブルを納品したこともありました。いろいろな用途に使える大きな台であり、人が集まる心地良い居場所として、あなたもぜひ”ビッグ”なテーブルと暮らして見ませんか?

無垢の1枚板で作るビッグテーブル

ラ・ビーダではカスタムオーダーのビッグテーブルも手がけています。先ほど安易な「無垢の1枚板信仰」に苦言を呈しましたが、吟味した素材と構造、卓越した木工職人の技を駆使することで、無垢の1枚板でも「100年使えてびくともしないビッグテーブル」を作ることが可能です。

材木屋さんの目利きの力に製材屋さんの磨き抜かれた技が加わって奇跡的に出会うことができた欅(けやき)の1枚板を、熟練の家具職人が宮大工の技法を使ってテーブルに仕上げました。板を慎重に、かつ充分に乾燥させたうえで脚と接合する部分の構造を工夫することで天板の暴れを抑えています。そのため天然由来のオイルのみでの仕上げが可能となり、触り心地の良さを存分に楽しむことができる究極のビッグテーブルになりました。※このテーブルはお客様の元に納品済みのものです

ラ・ビーダが考える良い家具についてはホームページをご参照ください。http://www.lavida.co.jp

参考文献

芸術新潮』 2002年12月号「よい椅子、よいテーブルってなんだろう」特集「建築家・中村好文と考える意中の家具」新潮社 刊
シェーカーへの旅 祈りが生んだ生活とデザイン』 藤門弘 著 住まいの図書館出版局 1992年8月 刊
これらの資料はラ・ビーダの店頭で閲覧できます。ご興味のある方はスタッフまでお声がくけださい。



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