脳をデフラグしたい、そしてマッドマックスフュリオサを観た

フリーランスとしてはとてもありがたいことに、いろんな方からいろんなご依頼をいただいている。それはとてもありがたいことで、せわしないのは自分の問題だ。もともとシングルタスクな進行しかできないので、パワーショベル的に出力して一つひとつ完了していくことを繰り返すうち、細かいタスクが重なってくると混乱して思考が上滑りし処理能力がおかしくなる。脳をデフラグしたい、と叫んだら友人に瞑想をすすめられた。10日間くらいいってきたらだいぶすっきりするんじゃないですか、という。確かに。しかし10日間すっかり連絡を遮断して篭る勇気がまだない。

ここ1年くらいお世話になっているクライアントのビルを訪れる。ここの地下フロアは飲食店とフリースペースがほどよく配置され、そんなに人も多くなくてわりと落ち着くので、よく移動の合間に作業をしている。この日も仕事が終わって地下のフリースペースに赴き、隣のテーブルの人とは目線がかち合わないように背を向けて座ろうとするが、その人が楳図かずおのプリントTシャツを着ているのが気になりすぎてその人がさりげなく見える位置に座り直す。しかしプリントされたキャラクターがなんの作品に出てきた何なのか、どうしても思い出せない。「楳図かずお キャラクター 髪の長い人」こんな検索ワードではまったく引っかからない。なんだっけ。なんだっけこれ。「楳図かずお Tシャツ」で検索しても該当のTシャツはヒットしない。ヨージヤマモトやXガール、atmosなどがコラボしてるやつがヒットしてきて、へえこんなんあるんだ、かわいいな、とか見てるうちにまあまあな時間が経ってしまった。こんなことをしているからいけないんだな、と思った。

夜は友人と約束をしていた「マッドマックス フュリオサ」を観た。この友人はわたしがすすめた映画をぜんぶ素直に観てくれるのだが、前回「悪は存在しない」その前は「perfect days」その前は「福田村事件」だったので、マッドマックス鑑賞後「うん、こういう考えせられる系じゃない映画、いいよね」とほっとしていた。なんかごめん。

ジョージミラー監督はもうずいぶんな年齢であると思うがとてもアグレッシブで、そして時代にもフィットする作品を撮っててすごいと思う。マックスよりも今はフュリオサ撮りてえんだ、という気分がぐいぐい伝わってくる。フェミニズムの文脈はあくまで寓話的にしかしはっきりと組み込まれていて、抑圧してくるものへの怒りが自然と湧いてくるのがよい。思えば一作目でマックスの妻と子どもがあんなふうに奪われるの、当時小学生だったわたしには衝撃的すぎたが、そりゃあマックスもマッドになるよね、とマックスの怒りはよく理解できた。やられたらやりかえす、という以上の、踏みにじるものへの怒りについての話。復讐が終わってすっきりすることもなく生きる限り人生は続く。

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