2/6 『熱帯』

昨日は、小沢健二を流し、ミスチルとサザンのモノマネをする、なんとも令和にふさわしい飲み会があったせいで日記が書けなかった。飲み会といってもいつものメンツである。その日、僕以外の二人はTVOD『ポスト・サブカル焼け跡派』を持っていて、同じ時期に出た田中宗一郎と宇野惟正の『2010s』ではない方でワンペア出来上がっていることが面白かった。
僕は、家の積読山が半分に減るまでは我慢するつもりだ。

さて、明日からバイト三連勤が控えている。明日からの三連勤が控えている日には、控えているにふさわしい一日を過ごさなければいけない。それはつまり、催促メールが何通も届いている図書館へ本を返しに行くことと、積読山に君臨する厚めの何かを読みきることだった。

阿部和重『ピストルズ』と迷ったが、森見登美彦『熱帯』にした。今年に入って一番興奮している『映像研』による脳内の湯浅万歳コールが、間接的にこの選択を決めたのだと思う。集中して一冊と向き合うのも久しぶりだった。のめり込んでページをめくる気持ちよさを思い出す。

誰も読み切ったことがない『熱帯』という小説の正体を追いかける物語は、『熱帯』を追う人の回想が、別の誰かの回想の中に入りこみ続ける冒険だ。でも、幻の本の中身が語られないままの作品ではなく、読者も熱帯の潮風が運んでくる匂いを味わえるから、単なる入れ子状の作品に留まらない。

俺たちは本というものを解釈するだろう?それは本に対して俺たちが意味を与える、ということだ。それはそれでいいよ。本というものが俺たちの人生に従属していて、それを実生活に役立てるのが『読書』だと考えるなら、そういう読み方は何も間違っていない。でも、逆のパターンも考えられるでしょう。本というものが俺たちの人生の外側、一段高いところにあって、本が俺たちに意味を与えてくれるというパターンだよ。でもその場合、俺たちにはその本が謎に見えるはずだ。だってもしその謎が解釈できると思ったなら、その時点で俺たちの方がその本に対して意味を与えることになってしまう。p.31

僕はこういう発想が好きで、うる星やつら『ビューティフルドリーマー』の、ループする町を飛行機から見下ろしたら自分たちの町だけが切り取られて宇宙に浮いていたことが明らかになるシーンのような、夢や魔術的な世界に今でもワクワクする。
ただ、『熱帯』は『千一夜物語』と絡み合うことで、物語の存在や人が物語を語る営み自体がもつ魔術が軸になっている。物語の前で、人はどこまで自分の存在を信じられるか試されているのかもしれない。
(小説にまつわる小説という意味では楽しめたけど、もしかしたらCLAMP作品の方が好きかもしれない。『XXXHOLiC』に似たような話があった気もする。)

この世界には無限の事実があり、いくらでも選ぶことができるのだから。分かりますか。君は『熱帯』の謎を調べているつもりだが、その実、バラバラの事実を結びつけることによって、新たな謎を創造しているのです。だとすれば、その妄想から解放されないかぎり、謎が解けることは永遠にない。p.207

ひたすらページをめくるなかで、人の記憶を追体験し、途中の分岐路もしくは落とし穴からさらに深い記憶を辿り、海を歩き、砂に足をとられ、森と図書館と祭りを通り抜け、目の前の『熱帯』を読み終わった。
500ページ超のボリュームにどっと疲れがくる。自分が今いる喫茶店は、いつもの喫茶店だ。


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