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8/3 ぬねってんじゃねーよ。

島田潤一郎『古くてあたらしい仕事』(新潮社,2019年)

「本」「読書」「本屋」をテーマにした書籍は、他のジャンルに比べてハイペースで面白いものが出てくる印象がある。文藝の棚が狭くても、これらに関する棚を確保してる店をいくつも知っている。
本を書く人は本が好きだし、本屋に来る人も本が好きなのだ。
当たり前のことかもしれないけど、各分野への興味や知識への門戸を広く開いている本屋の中で、本や読書に関する書籍が充実した棚を見るたびに、この棚を目にする全員が共通した視線を持って対峙できる特異点のようなものを感じる。
本に対する思い入れがさほどなくとも「本を本屋で買う自分」への視線を持つ人が、インターネット普及以降増加傾向にあることも、本に関する本と読書の関係性をより強固なものにしていると思う。

でも、決して本好きだけが本を読むわけではないし、おしゃれなアイテムとして都合よく利用するわけでもない。
このアンバランス感。

夏葉社という出版社をひとりで運営・経営している著者の本づくりと、ひとり出版社から広がる、半径を感じさせる人間関係のリアルで実現可能な距離とか暖かさが、こだわりに昇華されるまでの物語のような、記憶の羅列。

書店や出版社の経歴を持った人が、本屋や出版社を一人で立ち上げるに至った経緯が描かれる本は幾つもあるけど、著者がひとり出版社を始めた直接のきっかけは、従兄の死と再就職の失敗だった。
導かれるわけでも、夢や諦めをうちに秘めるたわけでもない。本を作ることは、模倣からくるものづくりであり、肉体労働であり、それが性に合うと気付いた著者の仕事を、確かめたいと思ってまた本屋に戻る。


以下、日記。

1時間早く目が覚めたのでゴッドタンを見る。さらばは声がいいのだとずっと主張し続けていたから、ラジオが面白いのはわかりきっているのだけど、久々にピンで抜かれた東ブクロを見ると改めて「こいつはモテるわな」と思った。
「唇ペロッと舐めるとこ」
が何度も映ってドキッとしてした。
コンビバランスも最高だけど、ニューヨークの屋敷がYouTubeで、
森田さんはモテない状態で「ふざけんなよ!」と言いたいだけやねん、実は歌がうまいサッカーうまいモテる要素そこそこあるのにあえてモテないようにしてる。
と解説していた内容は広まらないままであってほしい。

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ただバカを聴きながら出社。相変わらずマジで作家の声が邪魔。腹立つ。

金土日の好きなラジオを日曜のうちに聴き終えてしまったので、佐久間さんとcreepyと、久しぶりにサンドリまで聴いた。
もうTHE中学生めちゃくちゃ面白かった。あれぞMC。
ぬぬぬぬ〜べ〜ぃのネタはマスク越しに分かるくらい笑ってしまったんだけど、あれは古今東西誰がやっても面白い。でも、キツネが出てきたときのネタは笑えなかったから不思議だ。原始的な衝動というより、一応、流行とか作品性みたいなところだからか、キツネの方がよほど進歩した使い方なのだろう。でも、衝動でボタンを連打する様が一番面白いんだから人類の進歩なんて大したことないわ。嬉しい。

表参道から裏原(まだこの概念ある?)を歩いていたら今の東京にしては異様なデカさの喫煙マークを見つけた。吸い寄せられるようにして入る。ショーパンを履いた女性に体温計をピッとされる手続きを終えると、アメスピが用意した小洒落た喫煙所が広がっていた。吸えるならなんでもいいばい。
今日1日で何回手をアルコール消毒しただろう。菊地成孔が「手がアル中」と、もしかしたらまだ誰も言っていないことを書いていた。いずれジュニアが喋るだろう。
(時空を飛ぶけど、これを書いてる時からみて先週、つまり8月末のテレビで、ファッサマが、大勢で乗るエレベーターでは、後ろから来た人が扉付近になるので先に降りる。順番が逆転するせいで、先にエレベーターを待つ人が損をする現象、どうにかならないか?という話を、(あろうことか、と言うのはよくないけど)『すべらない話』のセットで話していた。それはもう、ジュニアが「ぬねる」という動詞までつけて昇華し終えてんのよ、と思ってしまった。「め」の派生であるはずの「ぬ」、「わ」の派生であるはずの「ね」、「ろ」ありきの「る」が全て、五十音で本家より先走って登場していることから、ぬねる。なのである。天才かよジュニア)

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東京をテーマにした展示会が無期限延期になっていた、そこで発表されるはずだった浅野いにおの書き下ろしがやわらかスピリッツで無料公開されている。
中途半端で結果を出すのが怖い漫画家志望のアシスタントが渋谷の工事現場を眺め、「この方が私は好きだしずっとこのままでいいです。(中略)中途半端なんですよ私も。結論を出すのが怖いんです」と言う場面があった。彼女と並んで歩く男は知った風なことを言うんだけど、「誰も他人に興味ないしみんながみんな上辺です。だからこそ東京は誰でも受け入れてくれるんです」この感じに古さを感じた。
とっくの昔に底を割っているロマンティックを引っ張り出している感じが少し気持ち悪くて、でも渋谷の工事が続いているうちは何も変わらない東京の現在を実際よりだいぶ短い期間にくくってしまう気持ちもわかる。
ジワジワ値上げしていくタバコ、増えていく感染者、マスメディアから各方面への影響力。なんでもジワジワ変えれば気づかねえと思ったら大間違いだからな。宇宙船がやってきても確実に新しい日常生活は生まれていくだろうけど、そういう小さな関係性だけででも幸せだね、なんて確かめるほど貧しくあってたまるか。そう思う人こそジワジワ増えている気がする。
だけど、自分が渋谷にそびえるクレーンや、機械的に点滅する赤いライトを眺めて感じ続けていた安心感の理由を言い当てられている気も少しした。
あと、交差点のシーンはすごい。しかも2ページってところが、意外と新しいぞ?と興奮。

地元駅のロータリーに一度も入ったことのない喫茶店があった。少し眠たいけど帰り道の今ここしか本を読める時間がないだろうと思い1時間と決めて入るとなんと、タバコが吸える。
席についてコーヒーとタバコを交互に持ち替えて本を読むなんて、どれくらいぶりだろう。仕事終わりか、もう一仕事のサラリーマンが、そこまで長居をせずに一服しにやってきていた。再開発ばかりの地元に今更好きなところが増えるなんて思わなかった。
懐かしさついでにTSUTAYAに寄り、SMAPの中古を3枚買った。
インポートという言葉が結局一番懐かしかった。

大学生の超友達が、秋学期のリモート授業決定により東京の部屋を引き払うのだと連絡が来た。今月末に何かが変わってるとは思わないけど、どうにかしてベロベロになっていつも通りに別れたい。

自分が好きで読んでいる、会ったこともない人のブログは、粛々と仕事をこなし、パートナーとの生活を送りながら、本のを読む自分のコンディションを淡々と綴るものが多い。本を開く瞬間の高鳴りや、文字が上滑りする無情さまで正確に書き残している人の日記は本当に面白いんだけど、みんなバラエティやラジオやお笑いへの興味は薄く、つまりその類のコンテンツを楽しむ時間まるまる働いているかご飯を作るか本を読んでいる。
だから、彼らのように本を読むのは時間の都合上どうやっても無理なのだ。
作品とは言えないし哲学も物語もない、流され続けていく電波が自分にとった一番の至福エンタメだった。

こんなことが書けたらいいなとか、そのためにこんな時間の使い方したいなとか、そんなことありきで脳みそに詰め込むから、一番最初に入れた、一番楽しみなものが最後にならないと出てこない。「ぬねってんじゃねーよ」
最近それにようやく気づいた。

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