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5/16~22

月曜日 HALLS「オーシャンブルー」~「シャンパン特集」

吐きそうなくらい低気圧、梅雨入り発表も近いはず。
小学生時代の味を急に思い出した、電車のなかで無性にミンティアのソーダ味が食べたくなった。あんなに小さい一粒なのに、甘さと爽やかな香りが口を包むあれ、昔はザラザラ口に流し込んでいたけど今なら一粒で十分に満足できる確信がある。考え始めて止まらない、とにかくいま必要なのはミンティアのソーダ味しかない、むしろあれがないまま今日も働くなんて無理だと思った。

フラフラと入ったキオスクにはしかしミント味しかない。ミントの強弱で白、青、緑、黒、4種も必要かねと誰ぞ問い詰めたくなる、みんなそんなに口臭と睡魔に蹂躙されているものか。
いわんやおや、そんなことはなかった、すまん。視線を挙げると飛び込む黄、紫、ピンクすなわちレモン、グレープ、ピーチ。だがすまん、それらの粒はデカイ新入りパッケージ、こどなの階段に立つ俺が求める名刺サイズの小粒はすたれたのか。

この国の平均年齢が48歳と知ってから、自分たち世代のために何かが整備されていないことに対する諦めを度々味わわされるようになり、ミンティアの味バリエーションこそがその象徴に思えてくる。
ソーダ味の何か、それでも駅のキオスクから離れられずにいると、ヒーローは常に飛び込んでくる、視界の隅から。HALLS。
水色と紫の二種類もある。水色の方「オーシャンブルー」俺はこの飴をよく知ってる。
カラオケに狂った中学生時代、友達3人で8時間など余裕で必ず買っていったのがホールズ。煙草も吸わないでなぜ喉が痛くなるのか、今はもう懐かしめない日々、80点を下回ったらガムシロップを一気飲みする罰ゲーム。ソーダ味のミンティアを想って泣き崩れそうだった自分に、あの薄紙の包装紙が懐かしかった。舐めながら地上行きの階段を上がる。

植本一子さんが新しく始めたメルマガ日記の一通目が届いた。阿久津さんの読書日記に負けず劣らず大ボリューム。去年に引き続いて「個人的な三月」を作ったらしく、大阪の書店扱いが多いから今回はblackbird booksで予約した。もともとこの書店との企画で生まれたのが前作『個人的な3月―コロナ時ジャーナル―』で、ありがたく読んだ本だ。予約したものと読み比べたとき、何も変わっていない(むしろ悪化している)この国とコロナについてどう思うんだろう。

こんな酷い気圧の中まともに歩き回っている人が大勢いる意味に取り残されそうになる。いつでも吐ける無意味な自信は最寄り駅に着くころ悲しさに変わった。銭湯で自律神経を掘り起こす以外何をしていいかわからなくて、30分熱い風呂に浸かる。帰り道に自販機とベンチが並ぶ広い通りがあって、ソルティライチと煙草を交互にやりながらヒグチアイの「ぽたり」を聴いた。GW明け低気圧に蹂躙されている今のテーマは”掘り起こす”。「錆びついた涙腺がもうすぐで壊れそう」から始まるこの曲を何回聴いたか。ヒグチアイとの記憶というか、との、とつけても一方的な思い出なんだけど、それを書いた文章がおそらく自分の昔のブログに一本だけしかないのがもったいないくらい要所要所でこの人の曲を聴いている。忘れてしまってもいつか思い出してくれるならそれでいい、そんなようなことをMCで話したあとはたいてい「メグルキオク」だった。ヒグチアイ、CRCK/LCKS、TAMTAM、ものんくる、この4組はずっといつか思い出す。
去年3月から延期されていたNUMBER GIRLのワンマンがついに中止を発表されて、7000円くらいの払い戻しを今日申請した。見たくて見たくてたまらなかったバンドとの細い糸がついに霧散してしまった寂しさを感じる体はそれでもポカポカしていたからか、ヒグチアイ「かぞえうた」の口笛を吹きながら帰った。

そうした全ては、喪失という事件性を含んでいるわけではなくて、どちらかと言えば手のひらから徐々に零れ落ちていく悲しみだと思う。<かなしみ>を知らない少年が夏休みのお婆ちゃんちで幽霊の少女に出会う『さいごのゆうれい』を読み終わった。
Titleで原画展をやっていた西村ツチカの挿絵は過不足ない線が綺麗で、文章は斉藤倫による物語。以前読んだ『ぼうがゆびをぱちんとならして、きみがおとなになるまえの詩集』は高野文子が絵をつけていて、読後感は絵本や「青い鳥文庫」に近い。子供のころ初めて本を読んだときの没入感や新鮮味を味わえたのは幸せなことだと思う。<かなしみ>と<いと>

夜は風がやんで、控えめな湿度がぼんやりアスファルトを覆っていた。川からは泥の匂いがするんだけど、どことなく甘い香りも鼻の奥に残る。直感がシャンパンを求めていると気づく。コンビニのスパークリング缶しか選択肢がなかったけど、それでも久しぶりに2011年6月5日放送の「シャンパン特集」を聴けば。
今日みたいな一日を過ごした夜は結局ここに戻ってきてしまうのかと思うと苦いけど、もう何回目かわからない歌舞伎町にある寿司屋の裏メニュー「姫セット」その内訳がAM電波で語られる放送は、シャンパンの泡がゆっくり確実に立ち上っていくグラスを想像させるに十分だった。第8回目の放送にして、その後数年続く番組のトンマナが完成していてうっとりする。近年のTwitter騒ぎはなかったことにしたい。ジャネット・ジャクソン『All For You』を聴きながら、2月7日の日記を更新した。

火曜日 ホエルオーの鯨油〜『ODDTAXI』7話

伊集院光チケット転売にぼやく『深夜の馬鹿力』を聴きながら出社。
転売という事象に関わる人、転売を防ぐための方策(抽選、個人情報の紐づけ、オンライン配信)に触れつつ、選択肢が多いなかの最適解に関する要望やアドバイスめいた意見を浴びすぎると、そもそもやらなきゃよかったと考えてしまう不安を吐露するラジオらしいラジオだった。
自分にとって儀式めいた意味合いがある師匠との二人会に対して、お前の利益と関係ないのだからと開き直る転売野郎も、コンテンツとして見やすい設備を願うリスナーも、チケット代の対価に見合うモノを完成させるための感情とは別のところにあって責任をどれほど感じていいかも分からない。だから、この一連のすべてにただただ萎えちゃう、という話。
演者が上目遣いで努力を約束するみたいな対応をとる必要もないと思う。
そんなことより伊集院のラジオが近年すごく聞きやすい、久しぶりに聞いても置いて行かれない情報整理が素晴らしい。ホエルオーに鯨油という単語、ポケモンに触れて育った自分からは絶対出てこないと思った。ディズニーランドの魔法的な、なにか絶対的なフィクションの錯覚にかかっていたかもしれない。

植本一子さんのニュースレター、下高井戸のトラスムンド、西荻窪の喫茶店JUHA、タイ料理屋ぷあん、三品輝起さんのお店FALL、HATOBA(衿沢さんの個展で言ったことがある)行ってみたいところが続々登場する。
いま読みたいものは、こういう身近な土地で暮らしている人たちの生活記録だったりする。お店や人との出会いはオシャレな選民思想的な疎外感や厭らしさをと隣り合わせかもしれないけど、それもこちら側の勝手な気分次第だ。

『ODDTAXI』7話。小戸川が警察官・弟に状況説明する形でついに人物相関図が現れた。いつ描かれるか自分の中で注目していたこともあって、矢野(まさかラッパーとは)や水死体など、物語の根幹に関係するピースが新登場したものの、明らかにこれで座組は確定したと少し寂しくもなる。この相関図に従って話は進み、最後に番狂わせを起こして結末を迎えるカウントダウンに進んだということだ。
登場人物それぞれの目的と動機がしっかり描かれる群像劇として十分面白い(説明の無駄を省くためにある種テンプレ的(ユーチューバー、アイドルオタク、アプリゲーム重課金ユーザー)なキャラクターも多いのだけど)。だから、今後の肝はアイドルマネージャーと漫才師になるはずだ。彼らだけ目的が不明&不明瞭。

帰って植本一子『かなわない』を開く。
2011年の5月、雨や土壌、食品の放射線濃度が気になる季節に小さい子供二人、仕事と生活と家庭のバランスが取れなくて難しそうだ。デモ。「石田さんが頭脳担当なら私は生活担当」

2年前の今頃に書いていた日記を読み返すと、今の自分には理想的なトーンが通底していて驚いた。あの当時は手ごたえがなく、評判があるわけでもなかったのだけど、今の自分らしい気がした。就活と大学の両輪で肥大しかける何かを抑え込むように、見聞きしたものをその場で書き残そうとした痕跡が見られる。バラエティで面白かったことも、スクショだけじゃなく発した内容も書き起こしていて、きっと言葉への執着が強かったのだと思う。

水曜日

気圧に身体を押し込めらる気持ち悪さを少しでも解消しようと耳を揉んでいた16時、新垣結衣と星野源の結婚発表があった。ドラマや映画の共演者が後に結婚する例がパッと思いつかないのだけど『逃げ恥』は作品のテーマが夫婦像や家族だったせいで、湧き上がる気持ちは確実にそれに影響されている。フィクションがリアルに接続される歓びは以外と大きい。「Family Song」を聴きながら帰った。

『有吉の壁』服飾学院の回。さらば青春の光だけがちゃんとしたコントをしていて、改めてすごいなあと感心する。アーティストの壁では、もう中バンドが輝いていた。ジョイマン高木のラップがカットインしてきたのがカッコよくて思わず声が漏れた。

『芸人動画チューズデー』『霜降りバラエティ』粗品vs野田クリ『相席食堂』ZAZYvs狩野英孝も見た。
先週はTVerで見た番組に3連続で錦鯉が出ていて、今日はなんと5GAPが3連続で出ていた。Aマッソとランジャタイはもう普通にいる。
「アイドルのいる生活」YouTuberチャンネルを知って1時間くらいずっと見てしまった。”見ていられる”が一番の感想になるこういった動画を見ている自分が何を考えているのか分からなくて怖い。

『かなわない』2012年に入った。子供のイヤイヤ期に翻弄され、感情が爆発したときのことも詳細に記録されている。「~のです」文体は健在。このときECDは50歳だったのか。

木曜日 銭湯帰りの「東京ポッド許可局」

ANNを聴きながら出社
「今日星野源の曲ながすの~?、とフワに聞かれてウザかったわ~」と話す佐久間の1曲目はSAKEROCK「餞」。俺はこの角度で選曲するぜ、の姿勢をイジっていく軸は面白いのだろうけど、好きになれない。「まあ、でも」と続けるのなら全体のトーンを調整した方がいい。嫌いなものにあえて触れて自分の感覚を守るという不甲斐ないことをしている。

友達の「ベルセルク、、」というLINEで作者の訃報を知る。駅前ロータリーが工事で閉鎖されているせいで、朝夕の喫煙スポットが一つ消滅しているのにそろそろ悩み始める。明日も気圧やばそう&金曜定休なので銭湯に寄った、電車に乗っているとき、俺は10分後には裸で湯船に使ってるぜ、と変な優越感を感じながら。風呂は最高、比較的ぬるい方に15分くらい浸かってリセット。石鹸の匂いと、湯舟でどんどんお腹が減ってくる感覚をゆっくり味わう幸せさよ。

遠回りをしながら溜まっていた『許可局』を聴く。
・タレント横綱審議委員会
一番楽しい話題。岩井、あんり、オリラジ藤本には大きくうなずく。あんりが最近「現場で虐げられてる若いADを守れる力が欲しい」と話していたのも知っている。カズレーザーの唯一性は気になっていたけど、もうひと化けするの?ほんと?ヒロシがBS、CSの雄になるのではという指摘は、手が届かない背中をグッと押される快感。ダーリンハニー吉川(=タモリ化)は全く知らない話題だった。フワちゃん、綾部、そして、横綱送り出し番組が『あちこちオードリー』なんです。

・なぜ酒を飲むか論
人と会って喋るならお酒を飲みたいけど、突き詰めていくなら自分は味派だと思う。酔うために9%を飲むことはこれまでもこれからも無い。家飲みについては、さほど好きというわけでもなくて、飲むぞ飲むぞスイッチ切るぞの気分で一口目を飲むのは野外がいい。散歩するお供としてのアルコール。

・すべて演技論
演技論ではなくて、すべて演技論、というのが許可局らしい。全部演技じゃないか、だから演技という言葉をネガティブに使う必要はないじゃないか。それは昔から「プロレス」「ポエム」「テレビ(動詞)」にも感じていることだったりする。セリフじゃなく気持ちを再生する。それは書くときと喋るときと同じ。「2人とも話したいこと話してるだけだね」とPK。ツッコミというか情報整理で飛び出た言葉だけど、そんな会話もなにもかも、最高の番組だ。羨ましい。

『あちこちオードリー』キャラや傷つけないお笑いを背負って一年過ごしたぺこぱの本音や二人の関係性、少なからず同じ道を歩いてきたオードリーからぺこぱへの指南などすべての会話がすこぶるよかった。

松陰寺「ただ、この『誰も傷つけない』ってワードで出てこれたんで、一生背負っていかなきゃいけないなとは思ってます」
若林「覚悟してんだ」
松陰寺「テレビ一周させてもらって、何が一番できたかって、俺、覚悟ができたんすよ」「シュウペイはめちゃくちゃ細い橋を渡ってるんですよ。俺は重い十字架を持ってる」

若林と松陰寺がお互いの話で「(TAIGAさんって)まっとうだね/まっとうですね」と話すのもいい。何より、これから乃木坂番組のMCをするぺこぱに対する若林のアドバイスにしびれた。ゲストへの興味で本音を引き出すトーンから、同じくらい真摯にゲストへ伝える若林を初めて見たかもしれない。今後の番組に加わっていくかもしれない新しい側面だった。

友達がまーた、ママタルトは売れてる、と言い出している。有吉の壁に出ていることが評価軸として、融資できますかね?

金曜日 『大豆田とわ子と3人の元夫』6話

昨日の『あちこちオードリー』を見て、一週空いた「ぺこぱのANNX」を聴いてみる。コーナーは少し物足りないけど、初回に感じた化けそうな予感は消えていないので、ちょこちょこ聴いていこうと思う。

会社でこっそり日記を書いた。
creepy nutsANN0「クイズGREEEEN or Green Day」を聴きながら川沿いを遠回りする散歩。NewDays限定販売「新橋SLビール HAZY IPA」がかなり美味しい。ゆっくり散歩する帰り道に飲むビールは、スイッチをオフる役割でもあり、散歩のお供でもあり、一番ナイスなビールだ。
夜は『Aマッソの両A面』を聴きながら「よなよなエール」で散歩する。
「金を稼ぐとか女ハベらす自慢って男のモノじゃん。エステとかサロンで美を保ってる女がそれを自慢するマンガとかあってもいいのにな・・・いや、あったとしても私は買わないわ笑」
過渡期を宣言したAマッソ『ゲラニチョビ』でハマってからもうすぐ5年経つ。学生時代の年末、バイト終わりモヤイ像の喫煙所で村上さんを見つけて「ウチは村上派閥です。」ステッカーをもらい「ほな、よいお年を」と立ち去られた日も結構昔の思い出。少し冷えるのでおとなしく帰宅して『かなわない』を読み終えた。

『大豆田とわ子』6話。3人の元夫たちによる餃子作りは、天丼、フリ、オチのお手本のようなシナリオ&演出で、坂元裕二ってこんなことするんだと意外に感じた。餃子パーティーは女性陣が相手のどこを好きだったか伝える場面に進んでいき「どうしようかなー、言っちゃおうかなー」と逡巡する石橋静河の「それは恋を終わらせるとき」にゾクッとした。
とわ子の幼馴染で親友のかごめが突然死ぬ。コロナでリアルに感じる人も増えてしまったであろう突然の死。比較的富裕層にあたる人物ばかり登場する物語で、「あなたみたいな人がいるってだけでね。あっ、私も社長になれるって、小さい女の子がイメージできるんだよ」がスッと心に差し込まれてくる。

土曜日 三品輝起さんや夏葉社や玉田企画

『トゲアリ~』で村上が趣旨ズレしていて大変だった話をした直後の曲振りに、村上が「POP STARで平井・・いや平井堅で(笑)」と言うところが面白すぎる『両A面』を聴きながら出かける。加納の「YouTubeでファーストテイク?なに、意味わからんやん、なにそれなんの保険やねん」であの企画の何をありがたがるべきだったのか考える。ほぼ毎週おかわりされてきたサーモンスターの名作「遠足太郎」が「林間学校太郎」に進化。大爆笑をかっさらったのだった。

植本一子のニュースレターで知ったお店にいろいろ行きたくなったので、西荻の「ぷあん」からスタート。カオマンガイは平日限定メニューだったので、カレーラーメンと説明するのが一番簡単であろうカオソイを食べる。カオマンガイはないけど蒸し鶏ならあるから、白ご飯とそれでどうかと教えてくれた店主は優しくて朗らかそうな人だった。常連お婆さんの「カレー二種盛、ご飯は少なめにして。カレー食べられなくなっちゃうから」という会話が妙にいい。

駅の反対にあるFALLで夏葉社『風の便り』を買う。店主の三品輝起さんの著書は二冊とも読んでいて、夏葉社から出版された方の『すべての雑貨』は経験に富んだ思慮とどこか冷ややかな視点がたまらなく面白かった。いつか行こうとずっと思っていた店が行ったことのある場所として記憶される嬉しさを久しぶりに感じる。文章から想像していた店内より現代的な空間で、展示企画などレイアウトが変わる楽しみも定期的にありそうだった。レジで三品さんと少しお話できた、著書を読みました、ありがとうございます、くらいのやり取りだったけど、エッセイを読んだ人と直接会うというのはなんだか嬉しさが大きいのです。(植本さんの語尾を借りて)

『雑貨の終わり』の冒頭にある仕事場の描写、なんとも寂しく温かい情景が浮かぶようで大好きな文章の、そのレジスペースをもう少しじっくり観察してみたかったと後になって気づく。そのまま駅に背を向けて歩いていると雨が降り出し、住宅街に見つけた軒下で30分雨宿り。
見極めたタイミングで飛び出して、うわさに聞いたセブンの折りたたみ傘を買った。カバー内側に給水素材が貼られているのが素晴らしい。濡れたものをカバンにいれるストレスがかなり軽減された。
駅を過ぎて商店街を下り「喫茶去 一芯二葉」へ。喫茶は休業中だったのだけど、店主が試飲に進めてくれたアイスティーがすっきりと温度以上に涼しい飲み物でとても美味しかった。そのまま坂を下ってギャラリーhatobaを少し覗いて折り返す。子供がお母さんに連れられて、店員さんにおやつをもらっていた。
どんぐり舎が空いていたので水出しコーヒーを注文。「入れる?」や「土曜日だけど来ちゃったよ」など店の常連たちの声もちらほら聞こえた。本棚に大橋裕之『シティライツ』が見えた、『街の上で』の青の部屋に積まれていたやつ。こまごました時間に読もうと鞄に入れっぱなしだった『街の上で』パンフレットを眺める。作品内から漏れたであろう、机に一本だけ置かれたメンソールの煙草について二人が話す台詞がのメモを撮ったページがあって、それはいかにも青が言いそうな言葉の羅列だった。撮られたはずのシーンは独立したままそこに残っていて、だけど答えを知らないままでも余裕で想像がつくやり取り。そういう作品だったと改めて思い返す。
『風の便り』も少し読んで、吉祥寺行きのバスに乗った。

僕がまた東京に舞い戻ってきてから、もう四年になります。僕はよく「夕張りへ帰ろうか。」と心の中で呟いたりするのです。まるで生れ故郷でもあるかのように。正直にいって、そこが僕にとって、そんなによかったというわけでもないのに。けれども、その人にとって、ある境遇なり時期なりがよかったというのは、どういうことなのでしょう。僕たちは不幸についてならよく知りつくしているように思い込んでいるかせに、幸福の方はといえば、さっぱり見当がつきませんね。(『風の便り』)

下北沢まで井の頭線に乗って、小劇場B1で玉田企画『サマー』を見た。
玉田作品をしっかり見るのは初めてかもしれないが、期待していたよりもわかり易かった。コミュニティの現場としてボーリング場が登場する芝居が続いている。

霜降り明星ANN0の続き~ラランド・サーヤの虎視舌舌(加納ゲスト)を聴きながら待ち合わせに向かう。霜降りの「一行」で「Aマッソと沖縄ロケしたこと、なかったことにしてる?」というネタが読まれた。「なんやったんやあれ!M1優勝前やぞ!」「でもまたやりたいなあ」みたいな感じに。あの企画は大好きだからいつか笑神様とかで再戦してほしいマッチメイク、そのときもせいやの単語ダービーで終わってほしい。

ボブと本の帯や書籍刊行イベントについて話す途中で、禁酒している太郎が来た。グアバジュースとトマトジュースと、コンビニでアイスコーヒーを飲んでいたけど、確かに最近のあいつは酔うために飲み、酔ったらきちんと壊れていたことが思い出されて、だから酒への執着が無くなるのは全くイイことだと話した。許可局の「なぜ酒を飲むか論」がタイムリー。スピってます。
ボブも入社してから身長が1センチ伸びていた、会社員生活を1年続けると人はちょっとだけ成長する説はいずれ立証されるだろう。駅前ロータリーを閉鎖するある種の律儀さに笑いながら解散した。日中思いついた、高速を降りるタイミングを教えてくれるカネコアヤノ「左の方、左の方へー」を言い損ねた。思い出すことはないだろう、さようなら。

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