2020.3.1 取り戻す。想像力で?

「想像力は未来だ!人への思いやりだ!それをあきらめた時に破壊が生まれるんだ!」

無理にお酒の用事を作らず、何かをやり残したような突っかかり気味の足取りでおとなしく家に帰り、家族とご飯を食べているときに金曜ロードショーで流れていたのは「映画ドラえもん のび太の月面探査記」だった。
辻村深月による原作は、装丁の美しさに惹かれたまま、読みそびれていた。

あの本が書店に平積みされていたころ、僕は就職活動で小学館の説明会に参加した。「この本は、大人向けの単行本と、子供向けのジュニア文庫の二種類出すことで、大人にも読んでもらおうという戦略と、文藝コーナーと子供向けコーナー両方に置いてもらう営業面積拡大戦略の二つを実現しています」小学館のドラえもん担当の話を思い出す。
確かに、辻村深月原作のドラえもんには興味が湧いた記憶がある。同時に、高校生の頃に読んだ「凍りのクジラ」は、各章タイトルがドラえもんのひみつ道具だったから、ドラえもん好きの作家にこの話を持っていた人はやり手なのだろうと邪推する。

帰宅したときには半分くらい経っていたから、冒険のきっかけは分からない。ドラえもん一行は月に住むヒト型の人工生命体の姉弟(?)「エスパル」と親交を深めていて、エスパルが持つ「エーテル」という超能力を奪いに宙海賊が襲来する。彼らの星はかつて「エーテル」の悪用被害を被り荒廃しており、彼らの力で星をよくしようと画策していた。自分たちの身代わりとなって拉致されたエスパルを助けるため、地球へ戻されてしまったドラえもんたちは再び宇宙の敵陣に乗り込んでいく。

久しぶりに家で食べるパスタに夢中で、物語の筋をなんとなく耳に入れているような状況だったのだけど、民を苦しめ、地球侵略という本来の狙いを暴露した大ボスが、実はなんの理想もない人工知能だった…!と明かされるやり取りの中で聞こえてきたのが、冒頭のセリフ。あれはドラえもんが言っている。

そこから、しっかりおしまいまでを見た結果、このドラえもん映画は「想像力」を改めてテーマに持ってきていることがわかった。さよならだけど、僕たちには想像力があるよね、というお別れでめでたしめでたし。
辻村深月は、この話をどう物語っているのか読みたくなった。”人工知能対ヒトの想像力”のメタファーとなるひみつ道具はでてきているようだったけど、改めて想像力をテーマに持ってくるだけのストーリーがあったのかは分からずじまいだった。でも、ドラえもん(水田わさび)が言い放つあのセリフだけで大人は一撃だ。今の僕、今の日本だからこその意味が、自然と乗っかってしまった気持ちでいっぱいになった。

2月の更新が滞ったことを、とてももったいなく思っている。大阪で書店巡りをしたり、初のNGKを体感したり、ロロの公演を観に行ったり、中居くんがジャニーズをやめたり、佐久間さんの帯番組があったり。面白いモノもたくさんあった。でも。コロナウイルスに対する政府の対応や、皺寄せを食らっていくエンタメ業界を想像して気持ちがどんどん暗くなっていた。2月の終盤から佐々木敦が3.11について書いた本を読んでいたこともあって、ダブルパンチだ。
あの本から派生して読んだ本もいくつかあるから、全て読み切ったら改めて書こうと思う。意味を持たせない日々の記録のつもりだったけど、意味や理屈がないがしろにされることによる生活の疲労感を、これ以上加速させないような文章を、この3月は書けたらいいなと思う。全感覚祭に行ったときに思い出した、自分の生活を起点にしたうえで価値や感情と向き合う一番真摯な行動を、僕は文章で続けるのだと決めていたはずだ。

そうそう、大阪に行く前後は、「物語る」ことへの興味がわいて、日記や小説や、その中間的な文章をたくさん読んだ。アラビアンナイト・千夜一夜物語もいつか読みたい。
そんな話も出てくる古川日出男『ボディ・アンド・ソウル』で、藤子不二雄について書かれた場面があったけど、それはまた明日。想像力から乖離した、物語るという行為について。それを享受する僕は物語から想像力を出発させるけど、物語自体はそこにずっとある。あった。


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